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【魂レベルの幸せの探求者へ】#3カムキアン和尚法話 日本語訳

目醒めた魂の居場所づくり

をしている

HIROEです!

体験セミナーご招待🍊 

目醒めのロードマップ🎁付き





チャルーンサティ瞑想マスター

カムキアン和尚法話を訳しました。


「悟りの境地へ」本物の瞑想マスター


日本人の精進している僧侶たち

菩薩心のある目醒めの道の探究者

光り輝く子供たちを育てている先生たち・親たちへ


真なる法話を受け取ってください!

byHIROE


この動画の日本語訳#3(#1~4)です。


カムキアン和尚法話#1日本語訳

カムキアン和尚法話#2日本語訳



観察し続ける。。。

観察し続ける。。。

観察し続ける。。。

気づき続ける。。。

気づき続ける。。。

気づき続ける。。。

。。

。。

。。

このトレーニングです。


質問があります。


寒い時、

あなたは、寒さに気づいていますか?

寒さを観察できていますか?

それとも、

寒さと同一化してしまっていますか?

寒いという現象に巻き込まれていますか?


お腹がすいたときはどうですか?

冷静に、空腹に気づいていますか?

それとも空腹で苦しんでいますか?



イライラしたときはどうですか?

冷静に自分の怒りを見つめていますか?

それとも、

イライラに飲み込まれて、

イラついていますか?


もし、

これらの質問に答えられないなら、

あなたは、この世から逃れることはできません。

不道徳な縁から逃れられないのです。


怒りは次から次へと起こります。


しかし、

わたしたちは、

気づきのトレーニングをしています。

気づきの方法・手段を知っています。


直視できます。向き合います。

否定しません。


目を閉じないでください。

観て気づくのです。


ある人々は、

思考を止めます。

思考が悪いものだと思っています。


思考が悪いのではありませんが、

思考が浮かんだらすぐに、

体の動き、いまここに

戻りましょう。


親が子供の躾をするような、

先生が生徒を教えるような、

子どもや生徒が間違えたら、

指導しするような、

良いトレーニングですね。



お話しする時間はそれほどないですが、

SATI(意識)を目覚めさせる方法、

トレーニングのやり方を説明します。


間違った道への誘導・指導はしないことを

約束しますね。


さて、

手を膝の上において下さい。

気づき(SATI)の経験をしてみましょう。


「今、あなたのてはどこにありますか?」

と私が聞いたら、どう答えますか?


膝の上にありますね。


もし、私が、あなたの手は、背中にあります

といえば、信じますか?


私のことを信じないでしょう?

どうして信じないのですか?


膝の上にあるのを知っているからですよね?


どうやって知っているのですか?

目で見たからですか?


では、目を閉じてください。

目を閉じても気づいていますか?

目を閉じても、

手がどこにあるかわかりますか?


はい。

そうですよね。

肉眼でみたからだけではないですよね。


どうやって気づいたのですか?


そうです!

SATIの気づきで知っているのですね!


SATIと呼んでいます。


仏教用語パーリ語では、

SATI-SANPAJYANYSATIA

といいます。


手を挙げてみましょう。


手は上にありますか?

はい。そうですね。

わたしが、

いや、手はまだ上にないよ。

と言ったら信じますか?

いいえ。


自分で自分の手がどこにあるか

気づいたのですか?


それとも私から

手がどこにあるかを

教えてもらったから、

知っているのですか?


私たちは、自分で気づきます。

自分で知っています。


誰もあんたを騙せませんね。


手を挙げてください。

そして、手をお腹にあててください。


左手を挙げてください。

自分の手の動きに気づいてください。

そこから、

どこにも行かないように。


ここにいるのですよ!


左の腕を挙げましょう。

左手をお腹にあててください。


あなたの手はどこですか?

お腹ですよね?

背中じゃないですよね?


体の動きを感じてください。


体の動きを感じながら、

手を膝まで動かしてください。


。。

。。

。。


あなたのマインドはどこですか?

家で家族と一緒ですか?


違いますね。ここにいますね!


これが瞑想です。土台作りです。


今までたった1時間でも、

気づき続けたことはありますか?


いいえ。全くないですね!


わかりますか?

トレーニング不足です。


自分が自分のことを忘れているのです。

自分自身のことに気づいていません。


仏教徒は、寛容で優しく、戒律もきちんと守りますが、

自分の気づき(SATI)が足りません。


昔、ニューヨークで法話をしたことがあります。

人々が私の話を

何が学べるのだろうかと

聴きに来ました。


寒かったので部屋に座っていました。

瞑想指導をしていました。


ある人が私を指さして、

あなたに質問があります。

とやって来たので、

了承して、部屋に招きました。


彼は立ったままで、

「あなたは何を知っているのですか?

何を教えに来たのですか?」

と質問しました。


彼に座るように言ってから、

「私は、自分のことを知っていますよ」

と答えました。


「どういう意味ですか?」と聞かれたので、

座禅するように言ったのですが、

西洋人は座禅ができないようですね。

膝を押してあげました。


そして、体を動かすように言いました。

一つひとつの体の動きを気づきながら、

感じながら、

動かすように言いました。


手動瞑想を教えました。

動きに気づき、

気づきながら動く。。。

気づきと共に動くのです。


1秒に1つ気づいたら、

1時間にどれぐらいの気づきがあるでしょう。


➡#4へと続く


合唱





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