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自分への愛情

愛ではどうにもできないのが
病気や障がいというものだと
私は思っている。

どんなに愛し合っている同士でも、
ひとりが病気になることも、
先に亡くなってしまうこともある。残酷だと思う。

どんなに大切に想い、健康に気を配っていたって、
愛犬や愛猫が、
病気やケガで旅立ってしまうことはある。

これらは、決して、
愛が足りなかったわけではない。

そして、どんなに健康を気遣った食事をしていたって
癌になってしまう人はいる。

なぜこの例を出したかというと
健康を気遣った生活をするというのは、
自分への最大の愛だと思うから。

これは、パートナーや家族などのためにするのと同じくらい、
人によっては、それ以上に労力がいることではないかと感じる。

ーーー

話は戻る。

精神的な病気などは
「オレの愛でなおしてあげる」
という気持ちになるのかもしれない。

というのは、
上記は私が以前、実際に言われたセリフだから(笑)


「はっきり申し上げて
私は愛に飢えていないし、

もうひとつ付け足すと
私が愛されてこなかったようで、捉えようによっては偏った見方です。」

と、家に帰ってから思った。
その場では、あっけにとられて何も言えず…。
(次はその場でガツンと!)


お互いに追い詰められることになるので、
病気や障がい、気質などは
愛の大きさや深さとは
結び付けない方がいい。

実際、私はルーナ(うさぎ)がうちに来てからだって
現役を続行している。

(私は14歳から摂食障害であり、何度か私のnoteを読んでくださっている方はご存知の通り、ルーナが大好き。)


愛情は生きる力になる。
心を支えてくれる。
これは確かなこと。

ーーー

生理的に受け付けない、というのは、人に対してでもあるものではないだろうか。

この匂いは無理、好き、
この味は嫌、おいしい、
この人好き(←雰囲気などのことです)、
というのと同じように。

暴力などのつらい記憶から、
似た背格好や声の人を怖く感じる場合だって、あるだろう。


傷つけるなど何もしていなくても、拒否されてしまうことは、
ごく自然にある。

症状は、出るときは出る。
そして、症状は人柄などとは別だとしても(そう思っている)、
現時点でその人が持っていることも事実。

症状がなくならないかぎり、
一緒にいることはしんどいと感じるのなら、
それが答えなのだと思う。

その時点のその人を
“受け入れられる”ことが、
第一歩なのかなぁと。


なお、ここまで書いていることは、プライベートで深く関わり合うとき。
残念ながら、私は恋には疎いので、そちらのお役には立たないかも。

ただひとつ、本人にきくことができる悩みは、本人に確かめるのがよいと思います。


さて、

“気にならない”は、
“受け入れられている”ということではないかと、私は感じる。
症状や癖にかぎらない。
その人が持つ個性、生き方も。

仕事熱心でいつも仕事のことを考えている、
その姿が気になって仕方がない人もいる。

私はそうはしないけれど、ご自由にどうぞ、と思えるか。

好きになれない部分があったっていい。
好きになれない=嫌
ではないから。


ーーー


夏の間も、軽い筋トレとウォーキングを継続していた。
が、数日前から、すでに冷えてジンジンしている。
昨日は足が、冷却シートより冷たかった。

(私は極度の冷えからくる、線維筋痛症でもある。)


努力で簡単にどうにかなるものではないのが、
病気や障がいともいえる。


でも、対処はできる。

“病気に支配されないこと”
は、ずっと変わらない私の目標。


振り回されるのは仕方ない。
それでも、乗っ取られないように生活する。

自分を見捨てないことは、
自分への愛情だと思うんだ。


2024.10.9









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