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【音楽エッセイ】気ままに一曲『高橋優/素晴らしき日常』

本日のnote投稿が連続100日目になるので、何を投稿しようかと考えていました。書き上がっている小説や詩、エッセイもいくつか控えています。

せっかくの100日目…ですが、これはあくまでも通過点であり、いつもと変わらない日常です。

ということで、今回は大好きな高橋優さんの『素晴らしき日常』についての紹介を新たに書き下ろしました。


高橋優「素晴らしき日常」

2010年7月21日、高橋優さんがメジャーデビューを果たし、そのデビューシングルとしてリリースされたのがこの『素晴らしき日常』です。

「まあ捨てたもんじゃないかな」という日常を歌えないかと思い、作られた曲。

Wikipediaより

高橋優さんの曲との出会いはデビューからだいぶ後で、この曲を初めて聴いたのは2015年ごろだったと思います。ベストアルバムに収録されていた数々の名曲に心を打たれましたが、この曲の歌詞も特に胸に突き刺さりました。できれば歌詞のすべてを掲載したいところですが、著作権の都合もあるので、一部だけを引用させていただきます。ぜひ多くの方にこの曲を聴いていただきたいです。

麗しき国に生まれ育ってしまったために
どれもこれもあって当たり前の日々を生きて
完璧なものだけを欲しがっていった始末に
完璧じゃない人間を遠ざける人々
僕らが生きてることに理由(わけ)
なんてあってもなくてもいい
なんにしたって泣いて笑っている
あの少年も政治家も 同じこの星を

高橋優『素晴らしき日常』より


14年も前の曲なのに、色褪せることなく、そのメッセージは人それぞれの形で心に響くと思います。前向きな言葉が僕の背中を押してくれる一方で、日々起きている事件や事故、それらを遠巻きに見ている人々への皮肉も含んでいるところがまた高橋優さんらしいですね。

MVの再生回数は700万回を超えていました。わざわざ私が紹介しなくても十分有名かもしれませんが…身近にこの曲をまだ知らない人もいるので、やはり紹介して、たくさんの人に聴いてもらいたいと思います。

今日も、いつもと変わらない朝を迎えています。
皆さんにも素晴らしき日常が訪れますように。


読んでくださった皆さんへ!
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
ご感想をいただけると励みになります。

『素晴らしき日常を送る者』
ミノキシジルでした。

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