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芸術と学問

たまには,自分の研究について語っても罰が当たるまいということで,会話分析について,語ろうと思う.

こういう,テンマルの打ち方も,いかにも研究者っぽくって,良いものである.
わたしはパソコンに変換ソフトを2つ入れていて,noteなどを書くときと,研究を書くときとで,使い分けている.
変換ソフトを切り替えるたびに,頭も切り替わるような形である.

ただ,やっぱり,少し書きづらいように思うので,ここから普通の点丸にしようと思います。


会話分析とは,人と人が,日常場面の中で,どうやってコミュニケーションしているかを分析し,明らかにする分析手法・態度である.

たとえば、私は どのようにイラストや図が、会話のなかで意味を与えられていくのか、ということについて研究しています。
(ある絵が、ウサギとされたり、アヒルとされたりするのは、どのようにしてだろう、ということ)
もともと芸術家の知覚について興味があったので、ゆくゆくは、そういう研究に発展していきたいものです。
(天才と呼ばれる人たちの頭の中って、気になりませんか?)

なぜ急に会話分析の話をしたのかというと、先日、数年前に芥川賞を取った方と、少しだけ、会話について話す機会があって、その人の(おそらく芸術家としての)直感と会話分析の知見が、やたら近いことに、ちょっとびっくりしてしまったからなのです。

人が語るときに、そのオチに行く以前から、音で「オチ」が分かる、という話をされていたのですが、わたしは勝手にひとり、会話分析のことを思い浮かべて比べたりして、興奮してしまいました。優れた芸術家は、優れた学者でもあるのかもしれません。

その方は、「オチ」を分らせてしまうのは、他人を恐れているからだ、とも、おっしゃっていて、会話分析の研究ではだいたい似たような説明されているのですが、「恐れ」とは言われておらず、わたしは、その言葉の選び方にひとり感動してしまいました。
同じことについて語るときでも、そこで使われることばは、ずいぶん違うものです。ただ、その違いにこそ、その人の人生、が現れているような気が、私はしています。

ふだん、あんまり自分の研究を演劇の人には話さないようにしていて、逆に演劇の話を研究の人にすることはあまりないのですが、もう少しおしゃべりになろうと決めた一日でした。

芸術と学問が、もう少しつながっていったら、良いと思います。

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みなと
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