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近況をnoteに書く勇気がない

近況をnoteに書く勇気がなかなか出ない。

なんだか、読んでくださっている人をがっかりさせてしまうような気がしてしまって、なかなか近況が書けない。平凡な日常を描いたところで、誰か喜んでくれる人はいるのだろうか、という、ある種の自信のなさというか、恥ずかしさというか。
わたしは毎日、(誰にも見せない秘密の)日記をつけていて、それはそれで楽しく書いているのだけれど、noteなどの誰かに見せる日記となると、なにか良いことを言わなければ、という気持ちになってしまって、なかなか筆が乗らないのだよな。(ひとの近況は、むしろ楽しく読んでいます)

口では小さな日常を愛していこうとか言いつつ、自分の日常には価値を求めてしまうもんだから、かなしいものだ。

日常の「ささやかさ」や「くだらなさ」、自分やおとなりさんの「へんてこさ」。
そういうものを愛して生活していくのが、きっと幸せになる唯一の道な気がしているのだけれど、そういう小さな日常をnoteに書けないこと自体、わたしには「スキ」という呪いがかけられているのかもしれない。

最近は、(いまの仕事の契約が切れる)来年からの貧しい生活が、いよいよ運命づけられている気がしてきていて、未来の生活への不安が尽きないのだけれど、それでも、淡々と目の前の小さな日常を愛して記していくことで、世界を1mmくらい豊かにしていければ良いなァと思うこの頃です。




「そんなに言うなら、思い切って、近況を書いてみたらどうじゃろう」と、頭のなかのおじいさんが言うので、ちょっと今日は、勇気を奮って、いわゆる「近況」を日記的に書いてみようかと思います。退屈さを嫌う世界への、挑戦です。

腕も足も組んでえらそうにしているやつがわたし

ゴールデンウィークは、このあいだnoteでも書いたのだけれど、「しんしんし」という踊りを中心にしたグループのはじまりの会に、トークゲストとして参加したのだった。
こうやって写真を載せると、腕組みまでしてえらそうに色々喋っているように見えるけれど(右側の茶色がわたしです)、ふた言くらいしか喋ることができなくて、ずっと「ふん、ふん、ふん」と頷いてばかりいた。(すみません)
わたしは、多人数でのおしゃべりが苦手で、飲み会に参加させてもらっても、たいてい頷いてばかりいる。聞いている方がおもしろいというのもあるけれど、喋りたいことを頭の中でまとめているうちに、たいてい次の話になってしまっているのだ。よくみんな、そんなにスポスポ、自分の思ったことをしゃべれるよなあと思う。じつはみんな、飲み会の前にわたしの知らないところで打ち合わせとかしてきて、台本の通りに話しているのかもしれない。
たいてい、私がおもしろい話を思いついたときには、もうみんな次の話をしているものだから、こまったものだ。(こうやってかくと、ばかですね)


カツアゲミッキー。このあとカツアゲされる、おろかな人間の方がわたし。

これはスイスにいたときの写真ですが、教会の写真を撮っていたら、ミッキーが近づいてきて、「一緒に自撮りしよう」と言ってきたのでした。
「変わった人もいたものだ」と思いつつ撮った写真がこれです。

このあと、案の定、「一緒に写真撮ったんだから金くれ」と言われて、やっぱりディズニーは悪の枢軸だなあと思ったりしたのでした。いや、「案の定」とか書きつつ、言われるまで気づかなかったわけですけど。向こうからしたら、だいぶ間抜けなアジア人に見えていたかと思います。
でも、もっと間抜けなことに、このときは財布を家に忘れて、クレジットカードしか持っていなかったので、お金はとられずにすみました。(さすがにクレジットカードはとられませんでした)



こうして近況を書いてみましたが、やっぱり、何にもなりませんでした。むしろ鈴木のおろかさを露呈させた気がして、つぎの仕事が来なくなるのでは、と心配になります。
もうすこし、こういう、自分のおろかさをシェアしていく場(それはネガティブになりすぎるのではなく)があると、私みたいな人には助かるのですが、なかなか難しいものです。なんのこっちゃ。




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みなと
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