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石井教科書体の誕生と変遷について


■はじめに

1977年7月文部省は小学校学習指導要領の追加告示でによって、漢字の指導の際は学年別漢字配当表の教科書活字体を標準とする、と示されましたが、その活字体の基になった書体は石井中教科書で、昭和を代表する教科書体となっていましたが、その誕生当時は、ハワイの日本語教科書でしか採用されないさびしいものでした。
それがどのようにして昭和を代表する教科書の書体になっていったのか仮名を中心に石井中教科書体の変遷と時代背景を記事にしていけたらと思います。
なおこの記事では「石井中教科書体」を年代の関係から便宜「中教科書体」「教科書体」「教科書楷書体」「MT」と、「小学校教科用図書」を「小学校用教科書」「国定教科書」と記載する場合もあります。

※記事全般で参考にした図書
「文字に生きる」文字に生きる編纂委員会 1975.11.11発行  株式会社写研 p39-40 p56-60 p66-68 p150-152
「教科書体変遷史」板倉雅宣 2003.3.26発行 朗文堂 p53 p62-66 p79-82 p89-91 p95-110 p126-136
「写研46」株式会社写研 1978.8.15発行 p46-48
「写研47」株式会社写研 1978.11.25発行 p40-41
「写研48」株式会社写研 1979.12.15発行 p48-49
「明朝活字」矢作勝美 1976.12.20発行 平凡社 p32-35
「教科書制度の再吟味」中沢賢郎 1956.1.25発行 東洋館出版社 p33-36

■教科書体が誕生した頃の小学校用教科書の状況

教科書体の作られた1938年当時の小学校用教科書は、文部省が教科書の編纂を行う国定制度の時期でした。
国定教科書のうち修身・国語・国史・地理・算術の編纂は、文部省図書局監修課でそれぞれの専任監修官が編纂方針に関する原案を製作し、調査審議を経て原稿を作製、さらに二度の会議を経て教科書調査会にかけられ、調査会の修正により概ね完了したそうです。

出来上がった国定教科書は翻刻発行という形で教科書会社が発行をしていました。翻刻発行と国定教科書に使用した文部省活字についての解説を「解説字体事典」から引用しました。

小学校用教科書が国定制度になった初めのころの国語教科書は、一ページ一ページを毛筆で手書きしたものであった。(筆者は井上千圃という人)
ところが、一個人が書いているのでは不都合が起きる心配があるので、文部省が毛筆で書いた楷書の活字をつくった。これが文部省活字である。
文部省はこの活字を国定教科書を発行する教科書会社に貸与する形をとった。また文部省は教科書を編集し、貸与した活字で印刷させ、まずこの見本で文部省みずから発行した形をとり、これと同じものを児童の数だけ印刷し販売することを許可するという形をとった。これが翻刻発行である。

引用:「解説字体事典」江守賢治 1986.11.30 p702

注:文部省活字そのものを教科書会社に貸与したのではなく頁が組みあがった電気版(絵のない頁)や凸版(絵のある頁)(※)を貸与していたみたいです。(理由は教科書会社三社それぞれ印刷の同巻同一頁同一箇所で三社とも同じ修正が加えられている字形があるためで、例えば下図にある小学国語読本尋常科用巻六123頁「ゆ」の脈絡を参考ください)

上図は同じ一冊の教科書の(巻六)の88頁と123頁ですが 88頁の一般的な字形の「ゆ」の脈絡はどちらもつながっていなくて、123頁の修正が加えられた字形の「ゆ」はつながっています 123頁の「ゆ」の修正は教科書会社三社ともここだけです


(※)詳しくは信濃教育 (586) 「小學國語讀本巻五の編纂趣旨及び其の取扱ひに就て 井上赳」1935-10-07-30印刷 信濃教育会p34参考

■教科書体誕生のきっかけ

文部省活字を使用した国定教科書は1935年発行の「小学国語読本尋常科用 巻五」から順次始まりました。巻六、巻七、修身…と文部省活字で印刷されていく教科書を身近に見ていた東京書籍勤務の石井秀之助氏(石井茂吉氏の末弟)のアドバイスで、教科書体は誕生します。そのことについて「文字に生きる」では次のように書かれています。

教科書体は1938年、教科書出版の最大手、東京書籍(株)に勤務していた石井茂吉氏の末弟、石井秀之助氏の「もし教科書に採用されれば写真植字機の売上げも飛躍的に伸びるにちがいない、そのためには教科書体が必要である」というアドバイスを受けて作られた。
結局、この教科書体はほとんど教科書には、採用されるところとはならず、1939年、ハワイ州の日本語教科書に採用されたのみであった。

引用:「文字に生きる」写研 1975.11.11 p39
すべての仮名一覧は記事の下部に掲載しています


■写真植字機による教科書体の採用が国内の教科書会社ではなかった理由

国内の教科書は文部省が文部省活字を使って編纂を行い「日本全国で区域を割り当てて販売を許可する」という翻刻発行を行っていたので、写真植字に変更する必要がなかったのだと思われます。

翻刻発行については1905年の「小学校教科用図書翻刻発行規則」から行われていましたが「小学校教科用図書翻刻発行ニ関スル規定」(1930年6月30日文部省告示第175号)の改訂で、国定教科書の販売を独占していた国定教科書共同販売所が教科書価格引き下げのため廃止となり、翻刻発行と販売は1931年度から6年間(6年後継続出願可)日本書籍、東京書籍、大阪書籍の三社の教科書会社が以下の区域で指定許可されることとなりました。

日本書籍…北海道・青森・岩手・宮城・秋田・山形・福島・茨城・栃木・群馬・東京・新潟・富山・石川・長野
東京書籍…埼玉・千葉・神奈川・福井・山梨・岐阜・静岡・愛知・三重・滋賀・京都・鳥取・島根・岡山・広島・山口・福岡・熊本・大分・宮崎
大阪書籍…大阪・兵庫・奈良・和歌山・徳島・香川・愛媛・高知・佐賀・長崎・鹿児島・沖縄

引用「:国定教科書編纂精神と其の活用」 堀七蔵 1934-10-08 p26-27

1937年、翻刻発行の期間が終了になっても文部省は文部省活字を使い続け、教科書会社は三社とも翻刻発行を継続しています。それにより、翌年の1938年に教科書体が完成しても、写真植字機と教科書体が使用され国内の教科書の編纂が行われることは国定制度が終わるまでありませんでした。ですので文部省の著作等が関係ないハワイ州の日本語教科書に唯一採用されたのみとなったのではないでしょうか。

■文部省活字と戦前の写真植字機による教科書体の比較

1938年完成した教科書体の字形はできるだけ文部省活字に近いデザインとなっていました。教科書が文部省活字から写真植字の教科書体に変更されても児童に違和感がないようにとの配慮だと思います。文部省活字の漢字や仮名のハネ、ハライ、トメなどの細かい字形が厳格に決められていたことも理由かもしれません。ただし文部省活字で見つからなかったと思われる漢字や仮名は石井茂吉氏独自のデザインとなっています。

「糸」がハネのある字面率の小さい石井楷書体に似たデザインとなっています
「糸」は国定教科書第五期のもので第四期は「絲」です

■国定教科書から検定教科書へ

戦後教科書は、教科書会社が独自に編纂し、活字や図版等作成し国の検定を受ける制度となりました。戦後物資のほとんどない時代に金属活字を一からそれぞれの会社が用意するのは非常に困難なため、用意する物資や場所も少なくて済む写真植字が瞬く間に注目されひろがっていきました。

戦後二年ほどは戦前の写真植字と同等の教科書の書体が一部の教科書会社で使用されましたが、1946年の当用漢字表制定により仮名と漢字が一部変更になった教科書の書体が1948年石井茂吉氏によって制作されました。

この書体は漢字の一部が当用漢字表に基づく略字に変更されたものの、ひらがなが戦前の写真植字の教科書体とほとんど変わりなく、以前の教科書とあまり違和感なく読めるよう工夫されていましました。
1951年7月号の印刷雑誌で掲載された広告で写真植字機研究所はこの書体を「教科書楷書体」と呼んでます。


■明るいデザインにひらがなへ

4年後の1952年頃から、戦後の明るい世相にあわせて、平安朝の古風なひらがなの字形から現代風の明るいひらがなの字形に改良された教科書楷書体が制作されました。起筆は従来の教科書楷書体と変わらず縦組みで非常に読みやすく親しみやすい書体です。光村図書の「友だち しんこくご二年下」(1952.11.1印刷)などから出版されました。

友だち しんこくご 二年 下 光村図書 1952.11.1印刷 表紙とp4

このひらがなは明るく親しみやすい字形なので、教科書だけでなく低学年向けの参考書や図鑑、絵本など多くの児童書に利用されました。

また、その後テレビが普及し1959年に教育放送がはじまるとともに、テロップ向けとしてこの教科書楷書体を太くした「太教科書体」が新たに制作されました。かなは1952年頃制作されたこの字形を太くしたもので、仮名の字形が改良された後にもかな文字盤「K-BT-O」として残り続けました。



■ひらがなのデザインの大幅改良へ

1958年教科書楷書体のデザインが大幅に変更されました。そのことが「文字に生きる」では次のように書かれています。

教科書にもどんどん横組みがふえてくると横組みを考えたかなが必要になっていた。それに石井が書いたかな、筆の流れにそった草書的なかな文字で、ペンや鉛筆で書く文字とはかけはなれていた。そこで、ペン字のタッチを生かして書いたのが、横組みをした場合にも落着いた感じになっている中教科書のかなである。

引用:「文字に生きる」写研1975.11.11 p56-60

1952年改正の教科書楷書体に骨格が似ているかなもありますが、ひらがなの起筆は多くが従来の教科書楷書体とは逆になり明朝体のひらかなに近づきました。


■学年別漢字配当表の指定と改訂

さかのぼって1958年、児童の転校により使用する教科書が変わることによって、既に習っていたり習っていなかったりする漢字が出てくる弊害が出てきたので、文部省は学年ごとに習う漢字を指定し全国で統一をはかる学年別漢字配当表を881字(俗に教育漢字と言われています)、小学校学習指導要領で指定しました。

その10年後の1977年になると出版会社独自のさまざまな教科書体による教科書や漢字練習帳等が出版されました。同じ漢字でも教科書体によってハネ、ハライ、トメ、突き抜ける、突き抜けないなどの字形に差異が出てきて、練習した漢字にも統一性がなくなる弊害が出てきました。
そこで文部省は小学校学習指導要領の改訂告示を1977年7月に行い、「漢字の指導においては(石井中教科書体の字形を49文字改良し活字化した)学年別漢字配当表(教育漢字996字)に示す漢字の字体を標準とすること」と特記されました。
1か月後の8月に写研は字体訂正のあった教育漢字(石井細教科書体(LT)18字、石井中教科書体(MT)49字、石井太教科書体(BT)56字)を1枚のサブプレートにまとめて制作しました。

さらに石井中教科書体ついては、翌年の1978年に漢字1~3級、正字、記号の文字盤の字体581字を訂正しています。訂正した文字581字の内訳は(「糸女耳年等の教育漢字80字、教育漢字以外の当用漢字90字、人名漢字20字、表外漢字391字(当用漢字以外の糸、女、耳といった字体訂正に含む漢字)」)となっていて、メインプレート、サブプレート7枚、プレート1枚、記号1枚で発売されました。さらにすでに石井中教科書体を所有の方向けに字体訂正した漢字581字のみをまとめたサブプレート3枚も発売されました。


■引き継がれる文部省活字と中教科書体


学年別漢字配当表は平成29年のものです

上記の表は、石井茂吉氏が昭和初期に制作した肉筆に近い石井楷書体、文部省活字、文部省活字に字形を寄せて改良・制作された中教科書体、中教科書体を基に制作されたと思われる平成29年学年別漢字配当表の漢字の一例で、上から制作された順になっています。

文部省活字の「品」の「口」三つのそれぞれ右下の字形について、下に出ていたり、出ていなかったり、右に出ていたりと、三つとも違う字形をしています。中教科書体ではその三つとも違う字形の特徴をそのまま引き継いでいます。過去や次の学年別漢字配当表は解像度が悪く、どういう字形か不明ですが、H29年度版では三つとも出ていない字形に統一変更されています。しかし「口」の大きさや配置は文部省活字の字形をそのまま引き継いでいます。

文部省活字の「永」は左側の「フ」の部分の中心からの離れ具合が石井楷書体と違って特徴的で、中教科書体、学年別漢字配当表もその特徴を引き継いでいます。

国定教科書第四期の文部省活字において「糸」は「ベキ」と読み「イト」とは別字で、本来の「イト」は「絲」である、との理由で文部省活字として「糸」は使用されませんでした。石井茂吉氏は戦前の初の教科書体を制作する際「糸」の見本がないため、字形は石井楷書体に近いハネのある独自の「糸」となっていましたが、国定教科書第五期の文部省活字で「絲」は一般的な「糸」に変更されたためその後教科書体の字形も「糸」に変更となり、その字形で中教科書体へ引き継がれました。「糸」は中教科書体でさらに改良され学年別漢字配当表へと引き継がれました。なお表の文部省活字の「糸」は第五期のものです。

「仮」も「糸」と同様に石井氏が最初の教科書体を制作する際は文部省活字として存在せず見本がなかったため、教科書体の字形は石井楷書体に近い石井氏独自の「仮」となっています。石井氏の癖字なのか「反」の字形のハライ(仮の四画目)が三画目の横棒の途中から始まっている特徴があります。第五期の文部省活字にも「仮」は使われなかったため、「仮」は特徴的なハライの字形のまま中教科書体、学年別漢字配当表へと引き継がれています。

「阪」は文部省活字として見本が存在していたので、「反」のハライは石井楷書体の「阪」や「仮」と違って横棒の左端から始まるように字形を変えていて、その字形が学年別漢字配当表まで引き継がれています。

■教科書体の仮名一覧

上記の教科書体の仮名一覧を年代順に掲載しました。石井氏が戦前に教科書体を制作した際に参考にした文部省活字も載せています。


■教科書楷書体2種を参考にしたフリーのかなフォントを掲載

現在文字盤として現存していないと思われる1948年と1952年改良の教科書楷書体の仮名を参考にリデザインしたフリーのかなフォントを掲載しました。添付の利用規定をご覧いただきご活用くださいませ。




■おわりに

石井中教科書体は、上記のように時代に流れにそった字体の改良を行ったり、文部省の告示による字体改正にいち早く対応するなどして、昭和を代表する教科書体となったのでした。