建築批評:変容するブロックの様相/RM解放の立体構築
ボラ設計の出江潤さんにご案内いただき「RM解放の立体構築」を拝見しました。
※本批評は以下のリンクにある「オルタナティブ・パブリックネス」という考え方をベースにして展開しています。もし興味がある方は合わせて読んでみてください。
01. 巨大な塊でもあり、小さな粒の集合でもある
鉄筋コンクリート「組積造」
つまり、構造までコンクリートブロックを積むことで出来ている建築です。
地下1階から地上3階までほとんどすべてがコンクリブロックでできており、構造も内部仕上げもブロックづくしと・・・
とにかくブロックの物量と物質感に圧倒されました。
用途は社屋。
ブロック同士の目地を特殊な接着剤により可能な限り薄くしているため、
輪郭のエッジが利いた一体感のあるモノリシックな外観ですが、
ブロック壁を二重にした構成(壁と壁の間は構造や設備配管などに利用)のため、壁厚がかなり厚く、
内部はキュッと縮まります。
什器、手すり、照明などが、細かく変化するブロック1つ1つの表情とともに、
小さなモノの集合の空間を内部では展開しています。
02. ブロックからの距離や触れ方を設計する
まず不思議に感じたのは外観と内部でブロックの感じ方が違うことです。
ブロック自体は内部と外部で同じものが使用されています。
しかし、外観では巨大な一つの塊のように感じたブロックは、
内部では一つ一つのブロックとして見えてきます。
大きなマスの輪郭か、小さな個々の輪郭か、
もしブロックという実体が外と内で違うもののように感じることがあるなら、
それはブロックへの「見方」や「触れ方」の違いによるものなのでしょう。
遠くから巨大な面として見るか、一つ一つ触れられる距離で見るかといったブロックに対しての距離の違いだけでなく、
外部のように変化する環境の元でブロックを見る/触れるか、内部のように安定した環境の中で見る/触れるかでも、
ブロックという実体の現れ方も変わってきそうです。
これは逆に言えば、
内部空間だとしても大きなブロック壁一面を眺める距離が設計(吹き抜けなど)できれば、ブロックの現れは外部的になるし、
外部空間でもブロックに近づいて触れられる場所(建築物外周に回るスロープ)があれば、
ブロックは内部ような現れ方をします。
03. 内部/外部を超えたリアリティ、ブロック中心の世界
ここで少し話がそれますが
「RM解放の立体構築」を見学している際に「ガラス壁の存在に気づかずにぶつかりそうになる」というちょっと不思議な現象に、何度も遭遇したことについて言及したいと思います。
通常の建築物であれば、いくら透明とは言えガラス壁の存在に気付かない、ということはそんなにありません。
なぜなら、ガラス壁は多くの場合空間を仕切っているであろう位置に配置されているし、
特に外壁でガラスが使用されている場合は、ガラスの内側は内部、ガラスの外側は外部となるため、
たとえ透明であろうとも、「外部と内部の境目であるあそこにガラスはあるだろう」ということが、頭で理解できるからです。
逆に言えば、外部と内部、およびその境界線は、通常の建築において一番強固なリアリティを持っているとも言えます。
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