「逃げて人生を切り開く」 自分に合った居場所で生きる - 前編 -
大きな変化の時代の40代
「45歳定年へ引き下げたらどうか」
昨年2021年の9月、サントリーホールディングスの新浪社長が発言した言葉が、大きく波紋を呼んだ。延長されているとはいえ、60歳定年制が長らく続いた我が国で、この一言の衝撃は大きかった。
40代も後半となると今後のキャリアに悩む人は多い。昇進にも先が見え、仕事に行き詰まりを感じる時もある。家のローンに子供の教育資金、45歳定年になってしまったら行く末はどうなるのだろうか。
ましてや感染症の影響で、世の中の変化が加速した。テレワークが一気に進み、働く場所や時間の自由度は高まった。副業や複業も解禁され始めた。従来の働き方のマインドセット(考え方)が通用しない時代になっている。大きな環境変化の行く末に、答えを見出せない40代後半の会社員も多いのではないだろうか。
そんな中、一部上場の大手企業から、フリーランスライターにシフトチェンジをした男性がいる。特に男性の場合は転職が多く、フリーランスになる人は少ない。横浜在住のMFさん(仮名)48歳に話しを聞いた。
現在、MFさんは企業の社外向けの記事作成を受託している。会社員時代と比べてストレスは格段に減った。実働時間も減ってほぼ週休3日だという。
信頼感と安定感のある落ち着いた雰囲気のMFさんは、丁寧に言葉を選びながらこたえてくれた。そこには「逃げるは恥だが役に立つ!」そんなストーリーがあった。
繊細な人柄と、厳しい父親から逃げ出した大学時代
1973年、MFさんは福岡県で生まれた。商社マンの父親は転勤が多く、福岡、大阪、千葉と転々とする。小学校2年生の時、大阪から千葉へ転校したとき大阪弁を笑われ泣いてしまった。中学ではクラスで一番の成績をとって喜んでいたら、クラスの女子に揶揄(やゆ)されて落ち込んだ。
それからのMFさんはあまり目立ってはいけないと、自身の行動にブレーキをかけてしまう様になった。父親がとても厳しく、干渉が激しいため実家から早く逃げたかったという。あえて実家から通学できない大学に入学し、念願の一人暮らしを始めたそうだ。父親から解放されたことが何より楽しくて、毎日パラダイスだったという。
学生時代はローバースカウト部に入部した。ローバースカウトとはボーイスカウトの大学生版で野外活動や奉仕活動をするそうだ。同部は体育会系に属していたが、ガチガチに厳しい活動をするのではなく自由に活動していた。中学、高校と厳しいサッカー部で活動してきたMFさんにとって、同期との楽しい大学生活はとても居心地が良かった。
就職そして、年収の低さから逃げて一部上場大手企業へ
大学を卒業したMFさんは東京に本社がある食品系の企業に就職する。人間関係にも恵まれ、充実した社会人生活をおくった。就職して実家住まいに戻ったが、父親との関係が悪くなり、再び一人暮らしを始めた。
しかし、勤務先の給料ではカツカツの生活だったという。業績が悪く昇給がほとんどなかった。年収の低さに転職していく人も多かった。これではやっていられないと、MFさんも33歳から転職活動を始めた。
1年間の苦労の末、34歳で一部上場のメーカーへの転職に成功した。前職での経験を生かし、マーケティングの専門職として採用され、年収も1.5倍以上にアップした。しかし花形部門であるマーケティングは、営業からの風当たりも強かったという。中途採用の同期は1人だけ、相談できる仲間もいなかった。同期や同僚との関係がとりわけ大切なMFさんにとって、愚痴をこぼせる相手がいなかったことはとても辛かった。
「2011年の東日本大震災の時、工場が操業停止になった。社内が険悪な雰囲気になり、とても辛い時期だった。その時はとにかくいろいろな人と繋がりたかった。フェースブックを始めたのもその頃だった。全国喫茶の会というのにも参加した。喫茶店に集まってただお茶をするだけだったけれど、色々な人が集まっていた。そんなつながりを大切にしていた」
MFさんはこの頃から、自己啓発のセミナーにも通い始める。プレゼンテーションやコミュニケーションのセミナーだった。認定資格をとって、週末はセミナーの講師としても活動していた。
セミナーの仲間には中小企業の社長や占い師など様々な人達がいた。そんな仲間達から会社以外で生きる世界があることを知り、視野が広がった。この頃から会社員以外の生き方を考えてはじめていたという。
当時、MFさんの勤めていた会社は70年以上も歴史がある超保守的な日本企業だった。安定はしていたが昭和の企業だった。労働組合があり、土日にも会社のイベントがあった。家族で参加して月曜朝には「昨日はありがとうございました」と同僚に挨拶する。周りはどっぷり会社に浸かった人達ばかりだった。会社をやめる人も極めて少ない。残業も少なく、有給休暇もしっかり取れた。
会社は安定していたけれど・・・壊れる前にパワハラ上司から逃げる
そんなころ、担当していたマーケティングの経験が長くなり、そろそろ自分でも代わった方がいいかなと思い始めたという。週末のセミナー講師の経験も活かせそうだと、人事部に異動し、社内研修の担当になった。
しかし、異動先の現状に驚くことになる。時代と逆行していた。残業が多く、使えていたフレックス制度も利用できなくなった。手作業の業務も多く効率も悪かった。きわめつけはパワハラ上司の存在だった。深く傷つき、今までで唯一「会話を録音して訴えてやる!」と思ったことが何度もあった。
部内には常に重たい空気が流れており、心身を病んで異動になった同僚もいた。毎日8時間以上そんな環境で仕事を続ける辛さは想像に難くない。MFさんはそんな現状に大きなショックを受け、「これではダメだ。ここにはいられない」と次のステージのため、逃げを打つことにした。やりがいを失なったこと、ストレスフルな部内の重い空気がトリガー(きっかけ)となった。
「逃げるは恥だが役に立つ」。テレビドラマにもなったが、もともとはハンガリーの諺だ。「いま自分がいる場所、置かれている状況にしがみつく必要は無い。自分の得意なことが活かせる場所へ行こう、逃げることも選択肢に入れよう」という意味だ。この考え方にMFさんは共感している。
日本では逃げることに対してマイナスイメージがあるけれど、「居場所を変える」と考えれば良い。壊れてしまう前に、逃げ出して生き抜くことの方が大切だ。生物は自らの生存のために逃げるのだ。決して悪いことではない。逃げられないのは地中に根を張った植物だけなのだ。
会社員をやめてフリーランスになってみたものの・・・
MFさんは30代での転職で苦労したこともあり、40歳すぎての転職は無理だろうと思い込んでいた。「30代の転職でギリギリだよって言われたのを覚えていた」
時代は変わったのかもしれないけれど、転職できるのは役職経験がある人。一般職で転職なんて、普通は採用されないだろうと思っていた。選択肢から転職が外れていたので、自分でなんとかするしかないと思っていた。
それでフリーランスになった。当初は退職金で、株式投資や仮想通貨のトレードを始めたが、大きな損失を出してしまう。貯金が減ってゆく中、これはまずいとGoogleアドセンスで収入を得ることを開始した。(Googleアドセンスとは所有するブログにコードを貼り付けると広告が表示され、それがクリックされると報酬が得られる仕組み)
スパルタのコンサルの講座で教えてもらい3ヵ月必死に食らいついたら収益が出るようになった。時給換算すると割に合わないと思いながら毎日記事を書き続け、月に十数万円稼げるようになったそうだ。当初は何とかやっていけるかもしれないと思っていたが、貯金はジリジリと減っていった。
「月末にきちんと給料が入ること。会社員の時は気付かなかったが、これはすごい安心感なんだなと改めて思った。有給休暇で1週間休もうが、給料は確実に振り込まれる。みんなあたり前と思っているけれど」
「フリーランスになってからも、毎月家賃や健康保険料なんかがドーン、ドーンと引き落とされていく。月末の通帳残高を見るのが怖くて仕方なかった。あと何ヵ月しかもたないとか、いくら稼げば何ヵ月もつとか計算せざるを得なかった」
そんなある日、アドセンスで突然稼げなくなった。Google側のプラットフォームの変更があったのだ。追い込まれた。「何とかしなくては・・・」真っ青になった。
後編に続く・・・