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超人は存在する。

昨日、すごい人と会ってきた。

私は、求職中の専業主婦歴10年のアラフォー。
本格的に職探しを始めてまだ2か月足らずだが、なかなかツラい。
不採用ばかりいただくからだ。
不採用の連絡をいただくのはまだ良い方で、連絡もないこともある。
個人的にとるべきではないと頭ではわかっていても、やはり感情的になってしまう。
そして意味のない自問自答をしてしまう。
経験もないのに経理の仕事をしたいなんて、やはり無謀だったか。
そもそも10年も家にいるべきではなかったんだ。
社会から取り残されて、自信をなくして、仕事の経験値ゼロの価値のない人間に成り下がったんだ。

そう。私は根っからの心配性。
消極的で、どこか他人任せで優柔不断。生命エネルギーみたいなものが少ない。人間関係が苦しくなることが多くて、人に会うたびに反省会して疲労する。

そんな自分に苦しんで云十年。
今は感謝ノートなどをなるべく毎日書いて、日々、日常の良いこと、ありがたいことに脳の関心が向くようにトレーニングしている。
成果も感じてはいる。

それでもやっぱり落ち込む日だってある。

昨日会ってきたすごい人に、私はものすごく圧倒された。
心から尊敬する気持ちと、ここまで行動力がある人がいるのか、それに比べて私は、、、と劣等感を抱く自分と、人と自分を比べても意味がない。人はそれぞれ持って生まれた気質がある。自分の不甲斐なさに落胆しても誰のためにもならないと自分に言い聞かせている自分。
自分を守ろうとする自分。
自分を攻撃する自分。
頭の中はぐるぐるだった。

彼女は10年以上前の同僚だった。
ものすごい偶然で、彼女が今は前職を離れて経理関係の仕事に就いていることを知り、電話番号もまだ持っていたので彼女にこちらから連絡したのだ。
私が専業主婦で、経理関係の仕事を探していること。
偶然彼女の現在の仕事を知り、何かアドバイスがあったら言ってほしい。
もし時間があれば、ご飯でも一緒にどうか、と聞いてみた。

そうすると彼女は、尋常ない多忙さにもかかわらず、快く承諾してくれた。
そんな経緯で、昨日中国料理のレストランで一緒に夕食を共にして、色々話をした。

私が彼女と一緒に仕事をしていた頃、彼女は2児の母で、離婚していた。
そして元夫がダメ人間で、仕事もせず、養育費も払ってはくれなかった。
そこで彼女は決断を迫られた。
国の制度に頼って補助金を申請するか、自分で稼いで自分自身と子供たちを養っていくか。彼女は後者を選んだ。
彼女はパートで働きながら、二人の子供を育てながら、勉強も始めた。3年でビジネス関係の資格を取ってすぐに見つかった仕事がなんと中小企業の社長だった。それからも勉強を続け、数々のスタートアップ企業の責任役を果たしてきた。

ここまで聞いただけでも、めまいがしてきそうだった。
尋常ない努力と、鋼の精神がなければできないのではないか。

だが彼女のすごさはここでは終わらない。
なぜ彼女が今、多忙を極めているかと言うと、家族関係のトラブルも上乗せされたからだ。
長女が精神的に病んでしまい、3年前にまた母親である彼女と同居を始めた。その上に彼女の母が転んで肋骨数本骨折。

そして彼女は、仕事と家族のサポートすべてをなんとかこなしながらも自分自身の精神的健康を保つため、毎日仕事前に水泳に行くのだと言う。
週末は時々、近場の外国へ息抜きに行ったり、ハイキングに行ったり。
そして冬の自分の休暇には、スイスのアルプスのスキー教室でスキーの先生までしていると言う。

もう言葉が出ないほどすごい行動力。

その間、私はというと。
私は子育てと家事だけで毎日疲れていた。
これ以上はできない、と夫の寛大さと安定した収入に甘えていた。
でも幾度となく、このままでいいんだろうかと言う不安感に襲われた。
たくさんの女性たちは働いているのに私は何してるんだ、と悩んでいた。悩んではいたが、行動に移せなかった。私が仕事に出たら、今までの生活スタイルを変えなければいけなくなる。子供たちを託児所に預けなければならなくなる。 ありがたいことに、金銭面ではなんとか足りている。私が働きたいというだけの理由で、生活習慣の変化を家族に強要させるべきなんだろうか。
いや、もう少し待とう。子供たちがもう少し大きくなってから。

そうやって、今まで先延ばしにしてきた。

結局何が正しいのか。
どちらの生き様の方がすごいのか。
一緒にご飯を食べに行った友人の方がすごい、と私は思ってしまう。
きっと誰もがそう思うだろう。

でも。

それでも、自分の生き様が間違っていたとは思いたくない。
最初の頃は、好きで専業主婦になったのではないけれど、それでも自分にとって大切な根拠があって仕事を辞めた。
それからは、自分の持ち味でもある優柔不断で、10年も経ってしまった。
10年。

自分は怠け者なのかもしれない。
向上心が足りないのかもしれない。
でも、それでもいいじゃないか。
人には人それぞれのストレスレベルがある。
少なくとも、家の中では、やるべきことはちゃんとやった。
毎朝子供たちを起こし、朝食、昼食を作り、宿題の手伝いをしたり、友達との約束をアレンジしたり、外遊びや読書や遊びや学校行事に付き合った。夕食を作り、習い事の送迎もした。
家事も完璧ではなくも、掃除洗濯料理片付け、庭の手入れ、すべてこなした。
猫ちゃんたちの世話もした。
そのおかげで料理はかなり上達したと思う。
今では日本料理、スイス料理とトルコ料理、なんでもごじゃれだ。
料理なんて、得意じゃなかったのに。
夫との関係も、なんとか良好に保つことをとても努力した。
簡単なことではなかった。
全く異なる価値観、お互いが相手から求めていること、必要としていることをどうにかして擦り合わせ、妥協できる範囲でお互いの欲求を満たした。
喧嘩をしない夫婦がこの世には一定数存在するらしいが、私たち夫婦はぶつかり合いの連続だ。離婚しか方法がないのだろうか、と考えたことも何度かある。それでも議論や話し合いを重ねて、なんとかここまで一緒にいることができている。

すごくはない、私のこの10年間。
すごくはないけれど、無駄に過ごした10年間ではない。
それなりに楽しかったし、それなりに大変だったし、それなりにやっぱり苦労もした。

それに仕事を始めれば始めたで、また違う悩みも絶対に生まれる。
こんなもんか、と思うかもしれない。
またはこんな大変なのか、と思うかもしれない。
とにかくわからない。わからないから滅茶苦茶不安。
そして上にはいつも上がいる。
すごい人はどこにだっている。

すごくない自分も認めてあげたい。
みんながみんな、人並以上のことができるもんじゃない。

ちなみに友人からは、たくさんの助言をいただいた。
とある会社に、私を雇ってくれるか聞いてみるとさえ言ってくれた。
人間として、レベチ。
おまけに色っぽくて、美人。
そんな彼女でした。


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