見出し画像

執行猶予が間もなく終わる。

(とてもネガティヴなので、それを受容できる人だけお読みください)

もう少し生きてみよう。
そう思い直して、やりたかった楽器を買って、レッスンを受けてきた。

仕事をしていないのだから、経済的にも永久に続けられる訳ではない。
それで、執行猶予の期限を設定してみた。

2024年12月31日。
とりあえず、そこまで生きてみましょう。

その間に「もっと生きていたい」と思うようになるかも知れない。
そんな淡い期待を持っていた。

期限まで残り2か月と少し。
今のところ淡い期待は、淡い期待のまま消えていきそうだ。

この先生きていても、何も無いのですよ。
幸か不幸か、私が居なくなっても悲しむ人はいない。

生活すると言っても、食費や光熱水費などのコストがかかる。
「生きたい」と思わない人間が生活費を工面する気力なんて無いよ。

少しの間は貯金の取り崩しで何とかするとしても、この急激な物価高騰で貨幣価値は急落している。
何もしていないのに、貯金が減っているようなもの。

自分が必死に働いて貯めたお金だから、価値が目減りする前に使ってあげたい。
楽器を買いまくったのも、そんな想いの表れだ。

執行猶予の間にやりたいと思ったことは、あまり躊躇うこともなくやり切った。
その期間の過ごし方に悔いはない。

私にとっては、「来年」という概念が無い。
2025年1月と言われても、「いや。ワタシいないから。知らん。」てなる。

人から連絡のあったスケジュールも、来年1月以降は何も入れてない。
いやホント。ワタシ居りませんので。

私の思考が死にたいと思っても、身体は生きたがっていることは知っている。
生きたいと願っても、病や事故で生きられない人の存在も知っている。

「死を願うなんて贅沢だ!」のような価値観の押し付けはゴメン被る。
私は与えられた生を十分に生きた。

ホントにもう十分なのだ。
だから私は2024年の残りの日数だけを生きることに決めた。

執行猶予の延長は、無い。