運動を伝える意味とは?~「運動が習慣化きない」を考えてみる~
ヨガとか、理学療法士として「運動」というものを提供する立場にある手前、運動っていうのは、よいものだ!なんていうことが大前提として、頭の中にある。
だから、運動嫌いな人とか、身体を変えたいけど運動したくない!という人に対して、単純に「え?なんでしないの?」みたいなことを思ってしまうけれど、「なぜ?運動を伝えるのか?」とか「なぜ?運動できないのか?」について、本質的に理解すると、運動を伝える側が考えるべきことが変わる気がする。
そんなことを考えているときに「あ、これかも。」と思った本があった。
虫明元さんが書いた「学ぶ脳」でいろんなことが書いてあるのだが、
その中には、
・習慣的な行動や判断は、状況の影響は受けるが、感覚入力と行動出力の関係が決まった比較的固定的な反応の集合である。
・その結果、行動する文脈次第では、最適な行動を選択できないことが起こりうる。これを避けるためには、記憶脳の提示する直感的な判断に対して、判断の選択肢をより広い文脈の中でとらえなおし、より柔軟性のある望ましい判断や行動ができるようにすることが必要。
そして、その人の行動や直感につながる記憶は、報酬や危険回避の原理に基づいて学んでいる。
記憶脳の働きで、その人の状況や行動、判断や感じ方が形成されると、それがまとまって行動特性となり、これが、個人の性格形成に影響を与える。と
(本から部分的に文章を抜き出しています)
これを読んだときに、
運動をよくする私は、「運動をする」という行動であったり、「運動しなければ」という直感を蓄積していることによって、今の運動習慣になっているけれども、運動をしない人というのは、「運動をする」ということが報酬ではなく、危険回避のほうに分類され、それが蓄積したことによって、習慣・直感的に「運動をしない」という選択をしているのではないか?と思った。
そして、その蓄積により、習慣として、運動をしないほうがよいという脳の中で直感的・無意識的に判断しているのかもしれない。
では、それを変えるにはどうしたらいいのか?というと、そこで、この「学ぶ脳」では、何に気づき注意するかということをポイントにあげている。そして、注意の向け方にはいくつかの異なる様式があると。
なので、何に注意を向けさせるのか?とか、注意の選択や切り替えが大事になってくるというもの。
こうやって脳の仕組みをみていくと、運動を伝える側は何をどうしていくべきなのか?と改めて考えさせられる。
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