普段、どれくらい自分の気持ちや感情を隠しているだろう。 どれくらい、素直に表現し、伝えることができているのだろう。 その気持ちに自分自身は気づいているのかさえも疑問におもえたり、 どれが本当の気持ちかもわからなくなってきたりする。 頼る事が苦手な私は、 弱音みたいな言葉を人に伝えることができなくて、 態度や表情にも当然のようにでていないようで、 少し苦しくても両親でさえも気づくことはない。 両親に対しては、気づいてほしいとも思えなくて。 だけど、 だけどさ、 やっ
学校を卒業して、数年が経つ。 あの頃を振り返ると、何故か偏った記憶ばかり思い出してしまっていた。 だから、あの頃の記憶と自分にもう一度向き合ってみることにした。 あの頃は、当然のように早起きをし、学校にいく日常で、 相当のカロリーをそこで消費していた。 当時はそ学校での時間が重くて、 1秒1秒をがむしゃらに、そして精一杯に過ごしていて 思い返せば、 どの言動も幼稚で、すごく危なっかしくて、それでも慎重で、、、 失敗や反省がばかりだ。 一見、中身のない充実した青春だ
多くの人は、生まれた時に”なまえ”を付けられる。 それは良くも悪くも、自分の意志に反して与えられる。 ほとんどは、その名前を一生の自分の物にする。 なんとも、この世に自分という存在の爪痕を残すように。 親からの素敵な贈物ともとれるし、 名前と自分のギャップに思い悩むこともある。 気に入る者もいれば、もちろん気に入らない者もいるし、 この悩みさえも贅沢だとも取れたりする。 この世に埋もれつつも、自分という存在を 傷をつけるように。 初めての人に会うと、自分の第一層を
たまに、夜眠ると夢をみる。 その夢のなかで、よく会う友達がいる。 その友達は、毎回違う容姿をしていて、 全く知らない人のこともあれば、幼馴染に似た姿をしていることもある。 男の人のことが多いけど、女の人の時もあって、 決して、家族や最近の知り合いではないことはわかる。 現実にいたら自分でも気づかないのだろうけど、 夢の友達は、容姿は違うけど毎回同じその人で、私も当たり前のように気づく。 会うと、挨拶なんかないことが殆どで、別の人から次第に友達に変身していたりもする。 友
人の心が家だとすると、色々な形の部屋があって、その部屋の用途も変わってくる。 多くの友達が入れたり、招くことのできる部屋 家族と過ごす部屋 学校の先生や会社の同僚と共有する部屋 親友のみ入れる部屋 私の家には、鍵のかかった部屋が一つある。 その部屋は、今のところ自分しか入ることができない。 今まで鍵を開けようとしてこなかったし、鍵のある存在さえも隠していた気がする。 それは、家族も親友も、 存在に気付いている人はいるのかもしれないが、中身まで知る人はいないのだろう。
最近夢を見る。 その夢は、何処か懐かしくて、現実かと錯覚してしまうくらい鮮明で。 少しずつ積もった塵が形をつくるように、夢に現れる。 目を覚ましたら、自分のいる場所を認識する。 少しがっかりして、一日を始める。 朝の電車に乗るときに、昨夜みた夢を思い出しながら自分の記憶をたどって、感情とリンクさせていく。 どこにいても、自分の見ている色は変わらないことを知る。 今日も精一杯に過ごして、平穏な日々の有難さを理解して、眠りにつく。 あおむしははらぺこ より
幸せとはなにか。 とてつもなく大きなテーマを、ふと考えてしまった。 愛、お金、仕事、、、 大きくてお洒落な家に住んだり、家族や恋人と過ごす。 沢山幸せの形はあるのだろう。 私の幸せとは何なのだろうか、、、 これは永遠のテーマであると同時に、時と共にすこしずつ気づいていく。 私は、好きな物を好きなだけ買えるようなお金持ちになったことはない。 なにか人生のアクションを起こすときに、お金は非常に大きな役割を果たす。そういう意味では、お金を手にすることは大切で必要だ。それに、好
ずっと置かれていた環境から離れた時、多くの事に気づかされる。 それが何なのかは、人それぞれだ。 その気づかされる中の一つに、自分の大切なものがある。 私の場合は、それが家族であって これまでの家族の記憶が次々と掘り起こされる。 これが親離れか。とも思う。 私の家族はここ数年、あまり会話がなくて、 その理由は沢山あるけど、 親という、一人の人に対する諦めが大きな要因だ。 大人になり、自分の考えがいよいよ定まってきたら、 親という人との考えの違いや人間性が見えてくる。 同
よく、平然と生きたりしてしまう。 それが当たり前ではないということも理解をしながら。 自分の生活は自分のものであると同時に、誰かのものにもなっていたりする。 幼い頃に、よくそう感じていた気もする。 今では、それが具体化されて感じたりもする。 誰もが自分の道を歩もうとするけど、そうできないことだってある。 そこから抜けるも、歩み続けるのも自分にしかできなくて、 その選択肢すら知らないことだってある。 どの選択も間違いはななくて、 だけど、自分や人をみて悔やむことだってある
私は空気と共に存在していることを忘れた。 風を感じ、日差しをあびて呼吸することも忘れた。 ついには、隣に木が生えていることさえも忘れた。 地球には沢山の動物がいて、その種の世界で生活している。 人も私でさえも生活している。 日々の生活をこなしていると、多くの事柄がみえなくなる。 渦中にいると尚更なのかもしれない。 そうすると、必然と自分の存在位置や環境との関係性が生活の大半をしめてくる。 分かりやすいものだと地位や人間関係、環境下での立ち位置や立ち振る舞い、仕事や家事が
眠りにつくとき、走馬灯のよに記憶がよみがえることがある。 まぶたの裏で、今までの出来事が感情と共に鮮明に映し出される。 波乱万丈というにはほど遠い、自分のわずかな人生が、 心にしみたりする。 そして、パズルのピースが組み合わさっていくかのように、 アイディアが思いついたりする。 翌日、目が覚めると 夜の出来事が夢であったかのように錯覚して、忘れてしまわないように必死にペンを走らせる。 目の前に一生懸命なことが、人にとって一つの光なのだと気づきます。 あおむしははら
毎日当たり前のように生きていると、この世界は人が支配しているように錯覚してしまう。ビルに囲まれた中を歩いていると、余計にわからなくなる。 電車に乗って、分からない空気で呼吸をする。 だけど無条件に空は綺麗で、空が銀色の日には、水色が一段と鮮やかにみえる。 雲の姿がみえなくなると、一面ガラス張りのビルから、 青空と少しの雲と、 微かな木々と何処かに向かう鳥がみえて あぁ、共存しているとこんなに素敵な景色があるんだと、 自分が大きな世界のほんの一部であることを思い出
ここ最近、自分でいうのもあれですが、結構忙しい日々を過ごしていました。 朝日が出る前に家を出て、日付の変わる頃に帰宅する。 とにかく目の前の事をこなしていました。 そんな毎日から、最近ちょっとした出来事をきっかけに、かなり解放されたんです。 そうしたら、眠たいときに眠いことに気づいたり、ご飯を食べた時に美味しいと思える感覚を思い出したんです。 忙しかった頃は、寝ているか、起きているか。沢山寝てしまうと、なぜだか罪悪感を持ったり。お腹すいたから、なんでも良いからとりあえず食
初めて投稿します。 あおむしははらぺこと申します。 この名前をみて思い浮かぶ絵本があるとおもいますが、”はらぺこあおむし”という響きが好きで、タイトルの文字をお借りしています。 初めましてなので、自己紹介をしようかとおもいましたが、何者かなんて必要ない気がしたのでやめます。その方が面白いこともありますしね。 少しずつお話していけたらなとおもいます。 先程から、”おもいます”という言葉を沢山使ってしまいます。お察しのとおり、文章や文字はあまり得意ではありません。 けれど、言