【創作大賞2024応募作・恋愛小説部門】ヴィラ・ローレルへようこそ(3)
第3話 淑女教育?
「お嬢さま、お嬢さま」
誰かがあたしの肩をゆさゆさ揺すっている。
「そろそろお起きになってください」
「ん~……」
せっかくいい気持ちだったのにー。
頬に射し込む朝陽を避けようと、布団の中でもそもそ寝返りを打つ。
(……ん?)
「……誰?」
「メイドの碓井(うすい)と申します。おはようございます」
「おはよう……。んと……?」
ぬぼ~っとベッドへ起き上がって、目の前にいるメイドさんを見つめる。
メイドさん、メイドさん。うん、メイドさんだよね。……メイドさん?
「こちらはお洗濯してしまってもよろしいでしょうか?」
部屋のあちこちに脱ぎ散らかしておいた服を、メイドさんは持っていた籠へ丁寧に入れていく。
「え? あ、うん、それ洗濯するやつ……」
ぼーっとしているうちに、メイドさんがあたしのパンツを拾い上げるのが見えた。
「……えっ!? ちょちょ、なに? それ、どーすんの??」
「え、今、お洗濯してもいいとおっしゃったので……」
「ああ、うん、洗濯しようと思ってたんだけど。あ、そういや、どこで洗濯すればいいんだろ?」
「まあ、お嬢さまがご自分でなさる必要はございませんわ。わたくし達の仕事ですから」
「えっ?」
「明日からは、洗濯するものはこちらの籠へ纏めておいていただけると助かります」
メイドさんが、クローゼットの一番下に置いてあるカバーのかかった籠を指し示す。
あ、あれ、洗濯物入れだったんだ。
「あー、そうなんだ……判った、ごめん」
そうだった。
ゆきちゃんと一緒にでっかいお屋敷へ越してきて、あたしは今『お嬢さま』やってるんだった。『お嬢さま』は自分で洗濯しないのね、りょーかい。
「お食事はどうなさいますか? 昼食にはまだ少し早いですので、なにか軽いものをご用意いたしましょうか?」
「ん~……」
最近すっかり朝寝坊のクセがついてしまっていたあたしは、昼過ぎに起きてからごはん、という習慣になっている。だからこんな変な時間に起こされると、お腹がすいてるのかすいてないのかよく判らない。
食べにいくのもめんどくさいしなー。
「お部屋へお持ちすることもできますよ?」
「えっ!?」
そのひと言に、メッチャ喰いついちゃうあたし。
「も、もしかして、あれ? 映画とかでよく見る、こう、ベッドの上に台みたいなの置いて、寝そべったまま優雅にコーヒー飲んだりしちゃう、あれのこと!?」
(やってみたい、やってみたい、やってみたい~~~っっ!!!)
「ええ、はい。マフィンとコーヒーでよろしいですか?」
「は、はいっ! よろしくお願いしますっ!」
ぶんぶん頷くあたしに「ご用意いたしますね」と言って、メイドさんは洗濯物を持って部屋を出ていく。
ほどなく。
きら~っとした軽食がワゴンで運ばれてきた。
彫刻のある細長いテーブルにクロスのかかったものがベッドの上へ渡されて。メイドさんがその上へ、小さなマフィンの載ったお皿を置いてくれる。
「お嬢さまは、コーヒーにクリームをお入れしてもよろしいんでしたよね?」
「あ、うん! ん? なんで知ってんの?」
「榊さんから申し送りがございましたので」
(モーシオクリ?)
よく判んないけど、たぶん榊から聞いたってことだろう。クリームの分量まで榊が淹れたのとまったくおんなじコーヒーが、目の前に出てきた。
(うーん、もう少しクリームいっぱい入れてほしかったなぁ。まあ、後で自分で足せばいいや)
「ありがと」
メイドさんにお礼を言って、彼女が出ていくのを待ってみる。
「………」
「………」
……あれ?
「……あの」
「はい?」
「食べ終わったら食器外に出しておくから、待ってなくても大丈夫だよ?」
「いえ、わたくしがお下げします」
「………」
なんか見られてると食べにくいんだけど、笑顔で言われちゃ追い出すわけにもいかない。
(うーん……さっきコーヒーにクリーム多めでって言えばよかった~)
あたしにはちょっと苦すぎるコーヒーを飲んで、マフィンを頬張る。
美味しい。
美味しいよっ!
ナッツとレーズンの入ったマフィンは、ほどよい甘さで起き抜けの脳みそを優しく起こしてくれる。野菜スープともベストマッチ!
あっという間に全部たいらげて、お皿の端っこに載っかっている小鉢を覗く。中にはトリュフチョコらしきものが入っていた。
(おー、朝食もデザート付きか~)
ひと粒摘まんで口の中へ放り込む。
「!! これっ! 美味しいっ! チョコがとろ~ってしてて……ミント? ちょっとスーッとするの! 1個食べる? ホント美味しいから!」
勢いよくメイドさんの眼前へ小鉢を差し出した。
「……いえ、わたくしは結構ですわ。お嬢さまがとてもお気に召していらっしゃったと、厨房の者へ申し伝えておきます」
「えっ!? これ、もしかして手作りなのっ?」
「ええ、もちろん」
「うわー、すごーい、なんかカンドーだぁ……」
「………」
(あれ? なんか笑われちゃってる……?)
そんなことがあって朝からゴキゲンだったあたしを、この後大変な試練が待ち受けていようとは、この時誰に気づくことができただろうか――。
「ふわ~、すごーい、どれも豪華~」
大きな鏡の置かれたフィッティングルームには、色とりどりのドレスがずらりと並べられている。
榊の呼んだ服飾店が、あたしのために持ってきてくれたものだ。明日のダンスパーティーに着ていくドレスをあたしが持ってないことに気づいたゆきちゃんが、榊へ頼んでくれたらしい。
「征斉さまから伺ったサイズで揃えましたが、フィットしない部分は急いで直すようですね」
「そうですね、お嬢さま、お胸が豊かでいらっしゃるから……」
服飾店のマダムっぽいひとが、あたしの胸をちら見する。
……でも結構どれもサイズぴったりっぽいんだけど。恐るべし、ゆきちゃん!
「どれがいいかなぁ、なんか迷っちゃうよ」
いろんなタイプのドレスをざっと20着くらい並べられて、あたしはさっきから目移りしまくっている。
「なるべく胸のあいたのがええやろ、せっかくだから」
「せっかくの意味が判りませんが。このあたりも映えそうですね」
榊が手に取ったのは、銀のスパンコールのロングドレス。背中が大きくあいていて、裾のスリットもわりに深い。ハリウッド女優が着てそうな、いかにもなドレスだ。
「黒も色っぽくてええんちゃう?」
いつの間にかドレス選びにまざっていたユフィルが、いくつかある黒のドレスを引っ張り出す。
「うーん、迷う~。……ゆきちゃん、どれがいい?」
「僕? そうだね……」
ゆきちゃんは並べられたドレスをさっと見渡して、
「ああ、これなんか似合いそうだけど」
赤い膝丈スカートのドレスを選んだ。
「合わせてみてはいかがですか?」
マダムに言われて、衝立の向こうで着替えてみる。こんな高そうな服、今まで着たことがないからなんだかキンチョーする。それに、ゆきちゃんはともかく、ユフィルや榊にまで見せるのがちょっと恥ずかしい。
「ね、ねぇ、どう?」
「お、ええやん。適度にかわいくて適度にエロい感じが」
「そうですね、……アクセサリーのコーディネートで上品に仕立てれば、まあ見られますね」
(見られる、ってどういう意味よ!?)
値踏みするみたいに上から下まで眺める榊に、ちょっとばかりカチンとくる。
それを打ち消すように、
「うん……とても、かわいいよ」
うちのお兄ちゃんは、どうしてそう色っぽい笑顔で妹を褒めるかな。照れちゃうじゃん。
「ではドレスはこちらに決めましょう。次は靴を」
床に靴がずらっと並べられる。
これもまた普段あたしが履いてるのとはあきらかにモノが違う、お高そうな靴ばかり。デザインも上品で、どれを選んでいいのかよく判らない。
「うーん……これか、これ……?」
「左側は野暮ったいですね。右のものにしましょう」
榊のひと声で、赤地に金の飾りがついたハイヒールに決まった。
「次にバッグを」
今度は小さなバッグの陳列されたショーケースが、丸ごと運び込まれてくる。
「……スイマセン、これ、いつまでやるの?」
確かにあたしはお買い物大好きだけど、こうひっきりなしに見せられては楽しいどころじゃない。
「そのドレスに合うバッグをお持ちなのですか?」
「も、持ってないけど……」
「最低でも、バッグとイヤリング、ネックレスくらいはコーディネートする必要があるでしょう」
いつものレーテツな口調で榊が断言した。
つまり……まだまだ終わらないってことだね?
「あたし、どれがいいか判んないし……それにお腹すいちゃったよ」
榊の眼が、眼鏡の向こうで細められる。
「確かに、もう昼飯の時間やな」
「あとは鷹弥さんにお任せしたら? 鷹弥さん、センスがいいから」
ユフィルとゆきちゃんが助け舟(たぶん)を出してくれた。
「……では、あとは私のほうで適当に選んでおきます」
眼鏡を指で押し上げて、榊が請け合う。
(女の服とか興味なさそうだけど……)
でもなぜか、「適当に選ぶ」と言うほどテキトーにはしないだろうな、と思った。
「さて、じゃあメシ行くで」
ゆきちゃんとユフィルが部屋を出ていくのに続いて、あたしもさっさと退散しようしたんだけど……。
「お待ちなさい。あなたには別に用意してあります」
「え?」
「あなたのために淑女教育のプロフェッショナルをお呼びしました。言葉遣いからテーブルマナー、立ち居振る舞いに至るまで、今のままではとても恥ずかしくて公の場へは出せませんからね。まずはフォークとナイフの使い方から、みっちり仕込んでもらいなさい」
「え~~~っ!?」
突如現れたシュクジョキョーイクのプロフェッショナル?ふたりに、両脇をガシッと抱えられる。
「ちょ、やめてー、拉致られる~~~っ」
こうして地獄の数時間が始まった。。。。
………。
疲れた……。
はっきり言って……ごはん食べるのにどのフォークを使おうが、あたしの勝手じゃん! ってゆーか、お皿ごとにいちいち持ち替えなくてもいいじゃん!
もっと言えば、そんなことにこだわるなら、あんなにたくさん最初に並べず料理と一緒に持ってこいっての!
そんな感じで味も判らない昼食の後は、歩き方、お辞儀のしかた、自己紹介での話し方などなど、詰め込めるだけ詰め込まれ……いや、もう溢れ出ちゃって残ってないけど!
陽も傾き始めた今、やっとあたしは解放してもらえたのだ。
(喉渇いた。厨房行けば飲み物貰えるかな? ついでに桂くんに愚痴っちゃお!)
そう言えば今日はおやつなかったんだなぁ、なんて思いながら、あたしは厨房へ向かった。
「あれ? 未亜ちゃん、どうしたんだい?」
入り口から中を覗くと、気づいた桂くんがにこやかに迎えてくれる。
「ちょっと桂くんとお喋りしたいなと思って。今、忙しい?」
「んー……そろそろ夕飯のしたくに取りかかろうかなってところだけど、別にいいよ? どうぞ」
桂くんは厨房の奥にある小テーブルへあたしを呼び寄せる。テーブルの上には、ザルに入った野菜が載っていた。
「今日の晩ごはん、なに?」
「今日はヒラメと貝のムニエル」
「この野菜は?」
「サラダにしようと思って、今採ってきたんだ」
「えっ? どこから採ってきたの?」
「敷地の端のほうに菜園があるんだよ。そんなに広くはないから自給自足とまではいかないけど、結構活用してるよ。今日のおやつに出したキッシュの中身も、自家菜園の野菜だったんだ」
「へ~。……えっ!? 今日、おやつあったの!?」
「ああ、そうか。未亜ちゃん、なんかマナーレッスンとかでいなかったもんね」
「ウソ~、ずるーい! あたしがしごかれてる間、みんなはのんびりおやつ食べてたんだ~っ」
「みんなって言っても、若月さんと枳津さんはいなかったんだけど」
(でも、榊のやつはいたってことよね。あんにゃろう、ひと勉強させといて、自分は優雅にお茶してやがったのか!)
フツフツとした怒りと共に、きっと美味しかったに違いないキッシュを食べ損ねたことにガックリして、あたしはテーブルへ突っ伏した。
「あたしも桂くんのキッシュ食べたかった~~~」
「またつくってあげるよ。そうだ、未亜ちゃんは好き嫌いとかないのかい?」
慰めるみたいに言って、桂くんが話題を替える。
「うーん、どうしても食べられないものっていうのはないけど……でも、ピーマン嫌い」
「子供みたい。美味しいのに」
「臭いがダメ。苦いし」
「料理の仕方しだいでどうにでもなるよ。今度気づかないうちに食べられちゃうようなもの、つくってあげるね」
桂くんはすでに頭の中で、ピーマンをどう料理しようか考えているみたいだ。
「別に食べなくてもいいー」
「栄養あるんだよ?」
「知ってる。ピーマン食べないからバカなんだ、って、昔よくママに怒られた。でも嫌いなもんは嫌いなんだもん」
「燃えるなぁ。絶対美味しいって言わせてみせるよ」
なんだか料理人魂に火がついちゃったらしい。
まあ、桂くんのつくってくれるピーマン料理だったら、もしかしたら美味しく食べられるかもしれない。
「桂くんは嫌いなものってないの?」
料理を仕事にしているひとにはそういうのってないのかな、と思って尋ねてみる。
「僕? 僕は、そうだなぁ」
桂くんは少し考え込んでから、軽く顔を歪めた。
「……昆虫以外ならなんでも食べられるよ」
「こ、昆虫??」
「うん、あれだけはね……いくら美味しいとか栄養があるとか言われても、もう見た目で……ムリ……」
そう言えばこの間テレビで、意外に女子の間で昆虫食が流行ってるとかなんとか言ってたけど。
「でももし、ゆきさんや未亜ちゃんが食べたいって言うなら、もちろん提供できるよう努力するよ?」
自分を鼓舞するみたいに言ってのけた。
こういうの、職業意識とかって言うのかな? ホントにエライと思う。
でも、たぶんあたしもゆきちゃんも言わないからムリしないでいいよ、とも思った。
晩ごはんの時間が遅くなっても困るので、あたしは早々に厨房を後にすると、リビングへやってきた。
廊下から中を覗いて、ゆきちゃんの姿を見つける。
リビングのカーペットの上へは大きなパネルが置いてあって、その上にまだ始めたばかりっぽいジグソーパズルが載っている。ゆきちゃんはその前のラグへ座って、手にしたピースの置き場所を探していた。クセなのか、時々ピースの端っこで自分の唇をつつくみたいにしてるのが、やけに色っぽい。
「ゆきちゃん」
「ああ……未亜。レッスンは終わったの?」
声をかけたあたしを見上げて、ゆきちゃんが訊いてくる。
この、ちょっと上目遣いな感じとか。自分のお兄ちゃんなんだけど、毎度ときめいちゃうんだよね、あたし。
「シュクジョキョーイクのこと? なんで知ってるの?」
「鷹弥さんに聞いたから。なに教えてもらったの?」
あたしが隣へ座ると、ゆきちゃんは視線をジグソーパズルへ戻す。あたしも一緒にピースの置き場所を探しながら、お喋りを続けた。
「挨拶のしかたとー、歩き方? あと、フルコースの食べ方! もう、あんなにいっぱいフォークとナイフ要らないっての! だいたいさ、1回のパーティーのためにそこまですることないと思わない? 榊のやつ、あれゼッタイいやがらせだよ!」
「マナーは覚えておいて損はしないよ。自信がつけば、社交界に出るのも楽しくなるかもしれないし。パーティー自体は毎晩のようにどこかで開かれているから、望めばいくらでも機会はつくれる。鷹弥さんは先のことも考えて、わざわざ先生を呼んでくれたんだと思うけど?」
「そうかなぁ……」
あの眼鏡があたしのためとか思ってやっているとは、ちょっと信じられない。
「まあ、明日は立食みたいだから、フルコースのマナーを披露するチャンスはなさそうだけど」
「ガッデム! あのインケン眼鏡っ!!」
じゃあ別に今日やらなくてもよかったじゃん!とか思って、思いっきり悪口を言う。
隣でゆきちゃんはくすくす笑っているだけだ。
「ゆきちゃんって……なんか榊のこと、結構好きなの?」
「好き、と言うか……尊敬はしてるね」
「ソンケー? なんで?」
「優秀なひとだから」
「シツジとして? まあ、てきぱきはしてるよね」
「執事としても優秀だけど、ビジネスマンとしてね」
榊とビジネスマンっていうのが繋がらなくて、ゆきちゃんを見上げてしまう。気づいたゆきちゃんが、あたしのほうへ視線を移した。
「鷹弥さんは、ずっと多紀さんの秘書を務めていたひとだから。一条グループをここまで大きくしたのは多紀さんだけど、彼女の卓越したアイディアを実現化できたのは、鷹弥さんの才覚あってのことだと思う。だから多紀さんが一線を退く際にも、後を引き継いだ今のグループ総帥から秘書に欲しいって相当熱烈なラブコールを受けたらしいけど……彼は多紀さんと共に島へ移住することを選んだ。でも今でもグループ参与として事業に関わっているし、個人としても、株取り引きや為替でかなりの収益を得ているはずだよ」
「んーと、つまりただのシツジじゃないってこと?」
「ただものじゃない、ってこと」
あたしにはイマイチ榊のすごさがよく判らないけど、ゆきちゃんが榊のことをすごいと思っているんだってことは、すっごくよく判った。
「ゆきちゃんも榊みたいになりたいの?」
「なりたくはない」
即答してから、ゆきちゃんは軽く姿勢を正す。
「でも、認めてもらいたいとは思ってる。この島にある天文台の隣へ観光用のプラネタリウムを新設するプロジェクトがあってね、それを今、任されてる。これを成功させないと」
ゆきちゃんの目が、またジグソーパズルのほうへ注がれる。
「大変?」
「んー……、責任は感じるけど、楽しい、かな」
「……そっか。ゆきちゃんもともと、天文とか好きだったんだもんね」
ゆきちゃんは高校を卒業後、ウチュウブツリガク?とかなんとかいう学科が有名な大学へ進学した。家からは遠い場所にあったから、入学と同時にゆきちゃんはひとり暮らしを始めて……あたしは家に置いてかれちゃったわけだけど。
でも、途中で大学をやめちゃって……。
入学金とか授業料とかお祖父ちゃんに出してもらってたゆきちゃんは、中退するってなった時にまとめて返金したらしい。それもかなりの利息をつけて。
お祖父ちゃんは「ナマイキだ!」って激怒して、叔母さんは「立派だ!」って褒め称えて……ゆきちゃんはそれっきり、家に寄りつかなくなった。
なにがあったのか、そのへんの事情はあたしにはよく判らない。
その後ゆきちゃんがどんな仕事に就いたのかも。
5年くらい前にゆきちゃんのマンションへ転がり込んでから、ずっと一緒に暮らしてたけど、結局よく判らなかった。
いろんなことを思い出して、お兄ちゃんの横顔を見つめていたら、
「あ、このピース、ここかな」
どうやらピースの置き場が見つかったみたい。
それからしばらく、ふたりでお喋りしながらジグソーパズルを組み立てた。大きなパズルを一度に組み立てることはできなくて、ゆきちゃんは途中でパネルに蓋をして、そっとリビングの壁際へ立てかける。
「さて、夕飯前に少し体動かしてこようかな。おやつのキッシュがまだお腹に溜まってて……」
「そうだ、キッシュ! あたし食べらんなかった! 美味しかった?」
「桂くんのつくるもので不味いものって、僕はまだ経験ないかな」
「だよね! あーっ、やっぱ腹立つ! インケン眼鏡に一言モンク言ってくる!」
さっき感じた悔しさが甦って、あたしはズンズンとした足取りで榊の執務室へと向かう。
「……ほどほどにね」
苦笑まじりにゆきちゃんが送り出してくれた。
「ちょっと!」
ちょうどいい具合に廊下の端で榊を見つけたあたしは、小走りに近寄る。
榊が立ち止まって振り返った。
「おや、特訓は終わりましたか?」
「終わったわよ! あたしメッチャくちゃ頑張った! たぶん高校受験の時よりもいっぱい勉強した! 疲れた!」
「……あなたの通っていた高校、バカ学校ですものね。それでも一応受験勉強はなさったんですか……」
可哀想な子を見るような目で見下ろされた。
「ムカーッ!!! こんなに頑張ったのに、なんかネギマの言葉とかないわけ!?」
「ネギマ?」
「エラかったねーとか、よくやった、とか!」
「……『労い』……」
「え? なにがキライなの?」
「見た目以上にバカなんですね、あなた」
「んな……っ?」
「ああ、ちょうどいい。ステップのほうも覚えていただかなくてはなりませんので、一緒に来なさい」
怒るスキも与えずに、榊があたしの腕を掴んでどこかへ引っ張っていく。
「ちょっ、どこ行くのよ?」
長い廊下を歩いて、なにやらいろんなマシンの置いてある部屋へ辿り着く。
(そう言えばトレーニングジムがあるんだっけ。ここがそうかな?)
その一角、壁が鏡張りになっているところまで連れてくると、榊があたしの手を放した。
「明日はダンスパーティーとのことですので、一応ワルツくらいは踊れるようにしておく必要があるでしょう」
「ワ、ワルツ!?」
「ステップは繰り返しですので、簡単ですよ」
そう言って、あたしの手と腰を取ってダンスステップを教えてくれる。
ものすごく、距離が近い。見上げた顔は整っていて、ゆきちゃんには負けるけど、キレイな男だと思う。
榊がつけている白い手袋のするっとした肌触りや、微かに香るコーヒーの匂い。そんなものに気がついて、妙にドキドキしてしまう。
「……と、これだけです。では最初からおひとりでどうぞ」
言うが早いか、さっさとあたしから離れてしまった。
「え? えーと……最初どっちの足だっけ??」
「左です」
「左……、次は?」
「回転して右を前に」
「右を前……。……それで?」
ぷちっ――と、なにかが切れた音がした。
「あなたは今いったいなにを聞いていたんですか?」
「えっ? だって、そんな1回聞いたくらいじゃ覚えらんないよ」
「たかだか3ステップも覚えられないとは、ミジンコなみの脳みそですね」
「ミジンコ!?」
「もう1度一緒にやりますから、ちゃんと覚えなさい」
榊はもっかいあたしの腰に手を添えて、ステップを踏んだ。
「頭に入りましたか?」
「う、ん……たぶん」
一所懸命思い出しながら、1、2、3と足を置き換えていく。
「できた!」
たぶんカンペキなステップに、あたしはちょっと得意げに榊を見返す。
「今のがパターン1です。続いてパターン2」
「ええっ? まだあるの!?」
さらに2、2、3、3、2、3とステップが増えていく。
くるくるくるくる回されて、カウントを取る榊の声も頭の中でぐるぐる回る。
約1時間後。
「こんな単純なステップを教え込むのに、1時間もかかるとは思っていませんでした……。あなたの脳細胞はほぼ死滅していますね」
(ムカツクーッ……けど、疲れてもんくも言えないよー……)
ちょっとだけ息の切れている榊より、もっと派手にぜぇぜぇしながら、あたしは床へ突っ伏していた。
後半、間違えるたんびにぺちんと叩かれた腿の辺りがひりひり痛い。こいつゼッタイ、サドだ。
「まあ、途中で投げ出さずに最後までついてきたのは、褒めてさしあげます」
褒められるなんて思ってもいなくて、反射的にガバッと顔を起こすあたし。
「今日寝る前に、もう1度よく復習するように」
でもそれ以上のネギマはなくて、榊はさっさとその場から去っていった。
(褒めるのは一瞬だけ!? 鞭鞭鞭鞭アメ鞭じゃん!)
別に頭をいい子いい子してほしかったとかは言わないけど、もう少しなんかあってもいいんじゃないかと思う。
(でも……)
一応あいつもあたしのために1時間つき合ってくれたんだなぁ、と思うと、まあいいかという気分にもなる。確かに、せっかくのダンスパーティーで全然踊れないのもつまらないし。
そう思い直して、とりあえず感謝してやることにした。
……寝る前までステップ覚えておける自信はないけど。
周りを海に囲まれているせいか、島の夜は風がひんやりしていて過ごしやすい。
なので、美味しい晩ごはんをたらふく食べちゃったあたしは、食後のカロリー消費のために庭をお散歩中である。
と言っても、屋敷の壁に沿って歩いているだけだけど。
だって、街灯やマンションの常夜灯で一晩中明るい都心とはまったく違って、本当に真っ暗なんだよ? どこまでが庭でどこからが自然の森なのかも判らない中、うっかり遠くに行っちゃったら、そのまま遭難ってこともあり得るよ?
そんなことを考えながら歩くうちに、どうやら屋敷の裏側へ来ちゃったみたい。壁から少し離れた場所に、ごみの焼却炉っぽいものが見える。
(あれ? なんか変なとこに出ちゃった。戻ったほうがいいかな?)
引き返そうとした時。
「征斉さまの妹さん、どう?」
(あたし?)
思わず足を止めて、話し声に耳を澄ませてしまう。
木立の向こう、たぶん厨房の裏口と思われる戸口の段差に、ふたりのメイドさんが腰かけていた。ひとりのほうには見覚えがある。
(あ、あのひと今朝のひとだ。碓井さんだっけ。休憩中かな?)
「うーん、どうって言われてもねぇ」
尋ねられた碓井さんが、困ったような笑みを浮かべる。
「ものすごく気さくでおもしろいんだけど、ちょっと扱いに困るわ」
(え?)
「今朝も、お口直しのトリュフチョコにすごい感動して、『美味しいからひとつ食べる?』だって。食べないわよねぇ」
「あっははは! 友達だと思われてるんじゃない?」
(しまったぁ~~~! そういうことしちゃダメだったんだ~~~)
恥ずかしくなって、あたしはその場から走り去った。
(あたしのバカバカバカーッ! だって、ひとりだけ食べてるのなんだかなーって思ったんだもんーっ! でも、そうだよ、あたしは『お嬢さま』で、メイドさんは友達じゃないんだもんね。ひ~、恥ずかしい~~~っ)
もう少し『お嬢さま』らしくしなくちゃ!
そう思ったんだけど、どういうふうにするのがお嬢さまらしいのか、あたしにはさっぱり判らなかった。
屋敷の壁沿いに全力疾走して中へ戻る頃には、あたしはすっかり汗だくだった。
軽く考えてたけど、この屋敷の外側を一周するのはたぶんムリだね。
少しエアコンで涼もうと思ってリビングへ行くと、ソファでゆきちゃんが雑誌を見ながらのんびりしていた。
お喋りしようかなと思ったんだけど。
隣から雑誌を覗き込んでいるユフィルと、なんだかすっごく楽しそうに話しているので、ちょっと邪魔できないフンイキだ。
しようがない、自分の部屋へ戻るか。
「わ」
振り返った途端、いつの間にか後ろにいた榊とぶつかりそうになった。
「失礼」
榊はあたしをするっとかわすと、リビングへ一歩踏み込む。
「征斉さま、お風呂はどうなさいますか?」
「ああ、すみません、入ります」
顔を上げたゆきちゃんが、あたしに気づいた。
「あれ? 未亜はもう入ったの?」
「ううん、これから。めんどくさいからシャワーだけでいいかなーと思って」
「部屋のユニットバスのほう? この家、大きなお風呂もあるよ?」
「えっ、そうなの?」
初耳! みんな自分の部屋のお風呂を使ってるんだと思ってた。
「のんびりできるから、入ってきたら?」
「え、でも、ゆきちゃん入るんじゃ……」
今、榊に「入ります」って答えてたのに、と思って見返すと、ゆきちゃんは手許の雑誌をあたしのほうへ掲げてみせた。
「このクロスワード、解いてからね。お先にどうぞ?」
「判った、ありがと、行ってくるね」
たぶん譲ってくれたんだろうと思うから、グズグズせずに入ろう。
「では、浴室までご案内致します。ああ、碓井さん、お嬢さまの入浴のおしたくを」
ちょうど廊下を通りかかったっぽい碓井さんを、榊が呼び止めた。
「はい」
碓井さんがお辞儀して、2階へ向かおうとする。
「え? え?? したくってなに? どこ行くの?」
「お部屋からお着替えをお持ち致しますわ」
「ええっ?」
(下着とか寝巻きとか持ってきてくれるってこと?)
「い、いいよ、そんなの自分で……っ……ハッ!」
(ま、待って、ここはお嬢さま的にはお願いするべき? でも下着だよ? それに、ちょっと2階まで戻って取ってくるだけなんだよ? そんな簡単なこと、わざわざひとに頼まなくても……あ、簡単だから頼むのか。ん? そうなの? でも難しいこと頼まれるのはめんどくさいもんね、やっぱこのくらいのことから頼んでみたほうが……いや別にあたし頼みたいわけじゃないし! あっ、でもこの考えがお嬢さまっぽくないってこと? え~~~っ、どうすればいいの~~~~????)
どうしたもんかとメッチャ悩んで、あたしは頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「あの……? なにかわたくしに落ち度がございましたでしょうか?」
「ううううんん! ないない、ないよ! 落ち度なんてっ!」
思ってもみなかったことを言われて、超高速で手を振ってみせる。
「じゃ、じゃあ、お願いしよっかな? うん、よろしく!」
元気よく碓井さんにしたくを任せて、あたしは榊と一緒にお風呂へと向かった。
(そーかー、お願いしないとメイドさんは自分が悪いって思っちゃうんだ……大変だなー)
榊に連れてこられた広い脱衣所で、あたしはひとつ溜息を吐く。
ひとの世話を焼くメイドさんってお仕事は、そーとー気を遣うものなんだろう。あたしにはゼッタイムリだ。
そんなことを考えながら服を脱いで、お風呂場のドアを開ける。
(……なんだこのムダに広いお風呂場は……!?)
もうこのお屋敷に来てからというもの、いったい何度思ったか知れないけど……個人宅にこんなどでかいお風呂って必要!?
なんかの映画で観たローマ風呂って、確かこんな感じだったなあ、などとしみじみ思い出す。普通に競泳大会とかできちゃいそうなほど広い浴槽の周りはフラットな床で、いったいどこで体を洗えばいいものかと少し迷ってしまう。
すると、
「失礼致します。申しそびれましたが、洗い場はあの壁の向こうになっております。やたらな場所でお体をお洗いになりませんよう」
「ああ、そうなんだ、ありがと」
榊の指差すほうを見ると、確かに浴室を区切る衝立みたいな壁があった。
「…………って、なに涼しい顔でひとの風呂場覗いてんのよっ!? 変態!」
ハッと気づいて、慌てて胸を隠してしゃがみ込む。
なのに榊のほうは、まったく慌てた様子も見せない。
「私は執事ですので」
「執事なら女の子が入ってるお風呂に勝手に踏み込んでもいいわけ!?」
「ええ、いいんですよ」
不敵な笑みでそう言うと、さっさと背を向けて去っていきやがった。
「ゆきちゃん!」
呼びかけながらリビングへ入ると、ソファで寛いでいたゆきちゃんがビックリしたみたいに顔を上げる。
「速かったね。ちゃんとのんびりできた?」
「お風呂は気持ちよかった! でもそれどころじゃなかった!」
「?」
「ねえ、執事は女の子が入っててもお風呂覗いていいって本当!?」
「………」
あたしのケンマクに圧されながらも、ゆきちゃんが視線を部屋の壁際へちらりと投げる。
食器棚の前へ立ち、榊が銀杯を磨いている。
「……まあ、本来、執事と主人は絶対の信頼関係で結ばれているというのが基本にあるから、主人のプライベートも知り尽くしてなきゃいけないとか、部屋に入る時にもノックはしないとか、いろいろあるそうだけど……」
「ええっ!? ノックなし? じゃ、着替えてる最中でもよーしゃなく入ってくるってこと!??」
「本場だと、主人の服を用意して着替えを手伝うのも、執事の役目らしいしね」
「ええ~~~っ!?」
オソロシイ新情報に、あたしは自分の体を抱きしめた。
(なになに? じゃあ、あいつはあたしの部屋は顔パスで、あたしの服はぎ取って着せ替えまでするってわけ?? お嬢さまやるのって大変すぎるよっ!)
ちょっと頭がくらくらする。
「ただ、この場合問題は……」
そこでゆきちゃんは言葉を区切って、榊のほうへ目を向けた。
「鷹弥さん、あなたは未亜に仕えてるんでしたっけ?」
「………」
振り向いた榊が、束の間なにかを考える素振りを見せる。
「……いえ、私がお仕えしているのは征斉さまです。未亜お嬢さまは、今のところ我が家の客人、もしくは主人の妹ぎみというお立場。なるほど、私の心得違いでしたね」
榊はあたしの前までやってくると、深々と頭を下げた。
「申し訳ございませんでした。どうぞご無礼をお許しください」
「え? え??」
とーとつな変わりっぷりに、あたしのほうが面喰らってしまう。
「えーと、つまり、もう今後はあたしのお風呂覗かないってことね?」
「はい。お部屋へ伺う際もノック致します」
「よかった。だったら安心できるよ」
ホッと胸を撫で下ろす。
榊は腰を起こすと、眼鏡を指で押し上げる。
「ただ……私個人の見解としては、あれほどの素晴らしいプロポーション、ぜひ他の者にもお見せいただければ、みな明日への活力を得られるかと存じます」
言うだけ言って、リビングから出ていった。
「あたしはストリッパーか!? ってか、あんたさっきしっかり見てたわね!??」
「……未亜って、すごいんだね……」
「お兄ちゃんまでなに感心してんのよっ?」
思わず両手で胸をブロックする。
「ああ、そうじゃなくて。あの鷹弥さんに冗談を言わせるなんて、すごいなと思って」
「え? あいつ冗談言わないひと?」
「少なくとも、僕は見たことがないね」
まあ確かに、あいつが冗談かましてへらへら笑っている姿っていうのは想像できない。
(……え? それってまさか……)
「も、もしかして今の、本気で言ってたらどうしよう? そしたらあいつ、かなりヤバイやつだよね? 絶対アブナイよね? あたし、このお屋敷にいて大丈夫なのかな??」
「今のは100%冗談だったから、その心配は要らないと思うよ……たぶん」
イマイチ安心できないゆきちゃんのひと言に、あたしはまたまた、このお屋敷でホントにやっていけるの!?と不安になりながら1日を終えた。
・・・つづく