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はじめて、入院で○○をくれた先生の話
こんにちは♪
前回のnoteで、入院中に一回ももらえなかったものを書きました。
今日はその続編。
はじめて、私に○○をくれた、恩師の話を書きたいと思います😌
中学生の時の家庭科の先生
中学生の時も私は特別支援学級に所属していました。
一部の授業は一人で授業を受けます。
その授業の一つ、家庭科の授業を教えてくれたのが、今回お話しする恩師。
先生は、持ち前の明るさと優しさで、私の愚痴をいつもいつも聞いてくれて、手芸の楽しさを教えてくれました。
![](https://assets.st-note.com/img/1702129642423-fXsVNmjLbJ.jpg?width=1200)
家庭科の先生がくれたもの
中学2年生の時、背骨の手術をすることが決まりました。
その手術は今までの手術の中で一番の大手術で、でもしないと死ぬかもしれない、そんなかんじで、ビビり散らかしていた手術でした。
そのときも、この先生には自分の気持ちを言えました。そのまとまりのない不安を、優しく聞いて、どれだけでも話させてくれました。
これだけでも本当にうれしかったです。
手術は中学3年生になってから受ける予定です。
しかし、先生は転学になってしまいました。
(離任式の時まで、誰がいなくなってしまうのかわからないですか?私の学校はそうでした。だから、みんなが離任式はとてもそわそわしていたことを思い出します。)
中学2年生の、この離任式は本当に悲しかったです。
離任式を終えて、先生に呼び出されました。
そして職員室の前。
先生が持ってきたのは
千羽鶴でした。
![](https://assets.st-note.com/img/1703557613287-FsHzCpq5ZL.jpg?width=1200)
これを作ってくれたのは、この先生と、先生のご家族。
なんとそれだけの人数で、千羽鶴を作ってくれたのです。
先生は私の担任の先生ではないのに作ってくれました。
誰からももらったことがなかった、入院中に飾るもの。
これをはじめてくれたのは、私の担任じゃなくて、家庭科の先生でした。
信頼できる先生の存在
どれだけ日常生活がいやでも、一人だけでも信用できる、何でも話すことができる先生がいることが本当に助けになりました。
それが先生じゃなくても、学校の中にいてくれたらすごくありがたいですよね。
私はそんな先生に出会えてよかったです。
この記事が先生に見てもらえたらうれしいな。
と、この記事を書いていたのは、本当は半年ぐらい前なのです。
これを書いていたら、先生に会いたくて、会いたくてたまらなくなってしまいました。
しかし、連絡先も交換していない。
調べても出てこない。
私は、中学3年生の時に出逢えた新たな恩師にお願いをしました。
どうしてもこの先生にお会いしたい、感謝を伝えたい。
私のために、先生が連絡を取り付けてくれたのです!
私は7年振りに、この家庭科の先生とお会いすることが出来ました!
全く変わらない先生
7年ぶりなのに、全く7年ぶり感がなく、大好きな先生のままでした。
リラックマのバッグを作ったこと、作りながら、みんなが着られる服が作れる会社を起業したいと言っていたことまで覚えてくれていました。
そして、千羽鶴。
これを作ってくれた思いを聞かせてくれました。
「もうこの学校を去るすることは知っていたけど、手術を相当怖がっていたから、少しでも力になれれたらと思って。」
先生に改めて当時の感謝、思いの丈を話すことができて、本当にうれしかったです。
そんな先生は、今中学校の特別支援学級の担任に。
次回は、先生からお聞きした、学校の先生、特別支援学級の先生のリアルを書いてみたいと思います!
みのり