
【深掘りNo.4】ダンサーと図書館員〜言葉としてのダンス〜
小学生〜中学生の頃、白髪が悩みだった。
一見すると分からないけど、少しでも表面が動くと内側が白い。
抜けば済むというレベルの本数じゃなかった。
そもそも歪んだ視点で周りを見ていたこともあって、人間関係がうまくいかなかった。
必然的にコミュニケーションが苦手になって、
気持ちを言語化するのも苦手になった。
ますます本にのめり込んだ。
たくさん本を読んで泣いた。
この言葉は、自分のあの感情をみごとに言い当ているという感動もたくさんあった。
でもしゃべるのは苦手。
言いたいことはいっぱいあるはずなのに、こんなに頭の中をたくさんの言葉が舞っているのに、それをうまくキャッチして、組み立てて、引き出せない。
常にイライラしていた。
通信簿に「現実世界に興味を持ちましょう」的なことを書かれるほど、集団生活にも授業にも興味が持てない。
そんなときに出会ったのがダンスだった。
読書以外に興味を示さない私が、ポストに投函された「公民館でダンス教室」のチラシを見て、初めて自分からやりたいと言った、らしい。
地方の田舎に住んでいることもあり、ダンサーは一般的じゃなかった。
踊りといえば、バレエや盆踊りくらいしか知らないし、身近に踊る職業の大人もいなかった。
ダンサーは、
テレビに出る芸能人、
才能溢れる特別な人、
もしくは変わった人がやっている。
小学校中学年の私にとって、ダンサーはそういう認識だった。
初めてのダンスレッスンの日。
あろうことか、わたしは体操服で行った。
運動といえば体操服一択。
名入り半袖をハーフパンツにインして!
もちろん、体操服でダンスをしに来る子は誰一人いない。
恥ずかしかったけど、心のなかでは、ブルマと赤白帽子じゃなくてよかったとホッとしてた(笑)
ジャズを中心にした初めてのダンス。
恥ずかしい格好なのも忘れて熱中した。
何度も何度も練習した。
ピアノは繰り返しの練習がイヤすぎて一瞬でやめたのに、ダンスはイヤじゃない。むしろ楽しい。
やればやるほど心が軽くなった。
負の感情をストレートに言葉にして、当たり散らして、周りを傷つけてきた。
でもダンスで負の感情をガソリンにして表現すると、激しさや力強さに変換できる。
これなら喜怒哀楽すべての感情を込めて、ダンスで出せるような気がした。
陰を陽に転換できる美しい手段の発見だった。