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他者の固有の体験をつなぎ合わせて自分のなかに再構築していく

yujiさんのブログ記事「原点を見つめる」や『星読みで才能を見つける本』に、8歳頃までに熱中していたことから芽が出る、あるいはそれが使命や課題、役割につながるとある。

今まで確認したことはなかったけど、いい機会なので家族に聞いてみた。踊ってたんだろうなと思っていたら、ちょっと違った。

「妄想に浸って、ず〜っと芝居しよったよ。そのなかで踊ったりもしとったねぇ」

なんと!
わたしのネイタルホロスコープ蠍座には、太陽や冥王星など星が集中している。
太陽も月も、カルミネートの海王星と調和のアスペクト。
月はASCから7度離れてるので、我ライジングスターなり!とは言い切れないけど、それなりに影響はありそう。

蠍座は一体化の象意があると言われてて、芝居は「役」と同化することだなと思う。
ダンサーとして音楽と一体化して、あるいは役者として「役」と同化して舞台に立たせてもらったときに、自分の居場所っていう安心感が強かった。
やるべきことをやると、視界がクリアになって、心の底から自分の居場所だと思える。
そこに立つ一瞬のために、何十時間ものプラクティスに耐えられるのも蠍座っぽい。

一体化の始まりについて考えてみる。
一体化は「人のなかに入る」もしくは「人の感覚を自分に取り込む」ことから始まる。

わたしはアイドル?の推し活をしたことがない。
かっこいいダンスを見たら自分で踊りたいと思うし、美しい歌を聞いたら自分で歌いたいと思う。あるいは、この人は何を考えてるんだろう、どんなふうに見えてるんだろう、どんな人生を歩んできたんだろう。
そう考えた瞬間から、一体化への道のりが始まってる。

蠍座はマニアック。
一体化する過程の調査研究で得られた情報の量と深さがマニアックさにつながるのかな。

自分のネイタル天体のサビアンを調べると、重いのが多い。
カルミネート海王星のサビアンは、山羊座2度「3つのステンドグラスの窓のうち、1つは爆撃で破壊されている」。

被爆3世であることは、もはや必然なのかも。
昨年から被爆者のじいちゃんの資料(証言集や寄稿)と映像を見て、考えている。
断片を突き合わせて、想像している。

被爆体験はその人固有の感覚で語られる。
世界にただ一つの体験。
事実かどうかはさておき、その感覚や表現に間違いはない。
揺らぎすら許容範囲になる。

二十歳で被爆して、その後体験を語り続けるなかで、じいちゃんの表現は変わり続けていく。

話す相手(子どもの年齢、大人、記者、対談相手)によって変わる。相手の質問のしかたによって変わる。持ち時間や文字数制限によって変わる。

そして私は打ちひしがれる。
語り続けるなかで、整理されていく記憶。
何を話して、何を話さないか。
何を覚えていて、何を忘れているか。

話したり書き残したことより、圧倒的に抜け落ちたこと、言葉にならなかったこと、表現されなかったことのほうが多いのだろうと思う。

他の被爆者の方が書いた体験記も読む。人の名前や地名、日時などを記録してあったり、惨状を淡々と列記してあったりもする。

自分のなかに何人もの被爆体験をつなぎ合わせ、構築し直していくことが「継承」の過程なのかもしれない。
蠍座らしさが役に立つといいな。

胸の底にあるザラザラした手ざわりをすくい上げる。
言葉にならなかった感情を想像して、想像して、想像する。

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