
ヤケになってヨーロッパにいったら城だった
コーヒーで絵を描いている自分が
絵を描いていくなかで
いろいろ体験したことを書いています
2015年 ヨーロッパ放浪
〈イギリス 1〉
仕事を辞めた
なにもなくなった
とりあえずイギリスに行くことにした
(↓詳しくはこちら)
もう、わたしには
なにもない
もういいや
てなわけで
まだオフィスで働いてるあいだに
逃げ出すように行ったオーストラリアの
乗り換えのメルボルン空港で出会った
誰だかもわからない
空港で隣になっただけの老紳士を訪ねて
ヨーロッパに行くことにした
完全にヤケになっていた
あの老紳士とは
その後も
メールで連絡をとりあっていた
帰国してから
「名刺をくれてありがとう」と
お礼のメールを送ったことがきっかけで
そのあとも折々連絡をくれていたのに
英語のメールを読む気力と
オフィスワークのしんどさから
そこに返事をする気力がなくて
返信は、遅れがちになっていた
ある日
「君は返事をくれないね。
迷惑だったかな、ごめんね」
という連絡がきた
「ちがうの!ただ今やっている仕事が辛くて」
あわてて、いいわけと
謝罪と
いまの自分の悩み相談をすると
老紳士は
こんな東の小娘(娘?)の
とるにたらない悩みに
丁寧に返信をくれ
「Concentrate your positive side」
と言う言葉をくれた
「良い面に集中しなさい」
この言葉はのちのちも
すごく私を助けてくれることになるのだけども
それはまた,ずっと後の話
(いつか話します)
とりあえずそんな感じで連絡をとっていたので
その老紳士に
仕事をやめたタイミングで
「仕事をやめました。
もうヨーロッパに行こうかな」
と連絡した
すると
「おいでよ。部屋ならいっぱいあるから」
という返事がきた
いっぱい??
どゆこと?
まあいいか
彼は
心配だろうから、と
泊まることになる家の住所も送ってくれたけど
検索してみると緑がひろがっていて
どうやら公園かなにからしかった
まあ、安全のために
ピンポイントで住所は送らないか・・
近くの公園の住所でも送ってきたのかな
そんな、うっすい情報で
行く方もどうかと思うけど
なんかもう
どうでもいいやと言う気分になっていた
だから荷造りしてるときも
空港で重たいスーツケースを
ガラガラひいているときも
まだ
本当に行くのかな
と思っていた
飛行機に乗るという
時点で
「とりあえずイギリスの
ヒースロー空港に行く」
ということ以外
なにも決まってなかった
・・ちなみに
ヨーロッパに行くことにしたというと
「よくそんなお金あったね」
といわれる
これには理由があって
そのとき、ちょうど
祖母が亡くなった
おばあちゃんは
私が生まれた時から
「将来この子が結婚した時のために」
といってお金を貯めていてくれたらしい
通帳を受け取るまで
そんなこと、ぜんぜん知らなかった
ちょっと皮肉屋で
クールだったおばあちゃんの
壮大にツンデレな愛情を感じて
めちゃくちゃ感動した
ただ
絶対に手をつけない!と決意していたお金が
オフィスにつとめているあいだに
溶けるようになくなっていった
買い物もしてない
ご飯もコンビニのおにぎりしか食べてない
家賃光熱費は払わないといけないけど
給料だってもらってる
それなのに
不思議で,不思議で
仕方なかった
仕事ができなくて
申し訳ない,申し訳ないと
思うたんびに
お金が溶けていったように思う
謝るのに品物を差し入れたり
会社の洋服を沢山買って人にあげたり
人付き合いや
誕生日のプレゼントを立て替えて
回収を言い出せなかったり
そんなことで
「これに使ったぞ!」という
達成感のないまま
ズルズルと消えていったのだとおもう
もうこのままだと
おばあちゃんが残してくれたお金が
なくなっちゃう!
それなら、ヨーロッパに行くのに
使わせてもらおう
きっと、わたし結婚はしないし
ごめん!おばあちゃん!
ありがとう!
行ってくるね
と,勝手に決断した
(あとで母が、ものすごくあきれていた)
そんなわけで
夜にヒースロー空港について
イミグレーションでイヤミをいわれ
一瞬諦めるほど、手間取ったあと
(イギリスは入国が厳しい。
女性の一人旅は特に)
ようやく出口をでると
「Welcome Minori」
と書いた紙を持っている
ニコニコ笑顔の人がいた
あの老紳士だった
ずいぶん古典的なお迎えに
ほっこりした
「こっちだよ」
といって駐車場に歩いて行く
広い駐車場には
濃紺のピカピカした車が停まっていた
よく見えない、、
車にはまったく詳しくないのだけど
その暗い駐車場に停まっていた車には
銀色の、ネコっぽい動物が飛んでいた
・・たぶん、、これは、、
ジャガー???
・・・っていう車??????
え、高級車だよね
そうだよね?
空を飛びそうな角度で
なめらかにドアがあくと
恐ろしく座り心地のよい皮のシートは
・・あったかかった
いまはけっこう普通かもしれないけど、
当時は、その「あったかシート」は
まだめずらしかったとおもう
少なくとも私にとっては初めてだったから
ビックリした
「少し距離があるよ」
と言って
老紳士は運転をはじめた
出発した時点で
夜の9時ごろになっていたとおもう
老紳士のいうとおり
走っても,走っても,走っても
車は目的地につかなかった
あたりは暗い森が
どんどん深くなっていく
フロントグラスから見上げると
濃紺の空に
真っ黒な森の枝葉のシルエットが
分厚く
ずーっと続いていた
・・いやこれ、この森に
殺されて埋められても分からんな
不謹慎にもそんな事を考えながら
2時間ほどかかっただろうか
「ついたよ」
といわれて車を降りる
「こっちだよー」
と言われるままについていくと
そこに
城があった
・・・城、、だねえ。。。
控えめな
ライトアップが
幻想的で美しかった
私が見たことのある城といえば
某テーマパークで見るような
ピカピカでキラキラしたものだったけれど
そこは
古びた石のレンガの重厚感が
いやおうなしに長い歴史をかたっている
ガチでモノホンの「お城」だった
送られてきた住所が
Googleアースで真緑だったのは
本当に敷地が公園なみに
広かったからだったのだ
「部屋ならいっぱいあるよ」
というのは本当だった
あたまの片隅で
「さあ、ベッドは一緒だよ!」とか言われたら
どうやってグーパンチして逃げ出そうかと
ちらっと算段してしまった自分が
申し訳なかった
(まあ、メールのやりとりで
そんな人ではないというのは
分かってたんだけど)
「この部屋を使って」
と言って,通された部屋には
ふっかふかの
インテリア雑誌から出てきたような
ベッドがあって
なんと部屋の隣には
自分専用のバスルームがついていた
美しいヘリンボーンのフローリングに
夢の猫足のバスタブがあって
レースのカーテンがかかっていた
てか、なんで
風呂場にレースのカーテンやねん!
そんなことしたら
湿気で
3日でカビそう、、などと思ってしまう
日本小市民の風呂場の感覚が
悲しかった
なにしろバスルームは
ベッドルームと同じくらいに広くて
湿気とは無縁の空間に
サラサラとゆれるカーテン
映画に出てきそうなクラシックな洗面台
自分が日本から持ってきた
プラスチックの歯ブラシの
透明なピンクの質感が
恐ろしいほどに安っぽく浮いていた
老紳士はとても紳士的で
「自分は仕事でも成功して引退したので
若い人に自分の人生をシェアしたいんだ」
と言っていた
自分はなんてラッキーなんだ。。
引退して
ボランティアもかねて
インドネシアにコーヒー農園を作っていたらしい
あんまり英語ききとれなかったけど
飛行機も持ってるっていってなかった?!
すご。。
海外の映画でしか見たことがない
暖炉のあるリーディングルームで
沢山話をした
「庭も綺麗だよ」といわれたとおり
恐ろしいくらいに手入れされた
美しい庭を見ながら
日本から持ってきた文庫本を読んだ
池には2羽の白鳥が泳いでいた

いま
ドレスを着た人が現れて
「あなた、タイムスリップしてますよ」
と言われたら信じてしまいそうだ
とても数日前に
日本のオフィスで泣いていたとは思えない。。
なんだこれ
どういう状況?!
お城は400年前に
お姫様のために建てられたという
本当に,本物のお城だった
老紳士は
いろいろな街も案内してくれて
近くのチェルトナムという村にも
つれていってもらった
なんとなく
鎌倉の小町通りのような感じなのかな
ちょっと歴史を感じるような
可愛い小道があった

この家にいつまでいられるかわからないけど
恐縮してしまうくらい快適に過ごしていた
ただ
3日ほどすぎたところで
体調の方がおかしくなってきた
何をしていても
肩がガチガチにはって
頭が割れるように痛む
なにこれ
横になっても体が重くて
まったく休まらなかった
つらい
体がギシギシいってる
なんだかよく分からないけど
この場所を離れないと・・
辛いなーと思ってから
1日か2日くらいたって
老紳士から
「僕はドイツにいかなくちゃ
いけなくなったから
君は、あした日本に帰りなさい」
と言われた