わたしが「観光地づくり」に行きついた理由
旅がわたしの人生を変えた。そう言っても過言ではありません。
超安定志向な平凡銀行員が、海外移住に踏みきったきっかけ。それはまぎれもなく「心揺さぶる旅」との出会いでした。
今回は自己紹介も兼ねて、わたしが「観光地づくり」にたどり着いた理由をまとめてみます。
道産子学生時代
1994年、北海道釧路市生まれ。
その後、札幌へ引っ越し、生粋の道産子として22年間を過ごす。
幼少期から勉強は二の次に、習い事であるバトントワリングに8年もの月日を費やしていました。
そのバトントチームには幅広い年齢層の方が在籍しており、なかなかの縦社会であったため、わたしの小学生時の特技は「バトン」ではなく「大人の顔色を伺うこと」でした(笑)
週6日は夕方から夜22時までの練習に通わせてもらい、友達とも遊ばずに、なかなかハードな生活を送っていました。
そのおかげで若干のひねくれ性格が形成されつつも、社会の厳しさを知り、ノートで頭を叩かれても、体育館から荷物を投げ捨てられても、ひたすら我慢、僧侶のような忍耐力を身につけることができたのは貴重な経験だったと幼少期を振り返ります。
その後、高校受験勉強に励むために習い事を辞め、(勉強した記憶はほとんどありませんが)結果的にそこそこの進学校に入学することはできました。
高校時代も勉強は最低限、遊びは最大限に励み、部活動はテニス部、松崎しげる並にガングロでしたが充実した高校生活を過ごしていたのを覚えています。
大学受験に関しては、都会への憧れから東京の大学を受験しましたが不合格、結局は滑り止めで受験していた地元の大学に進学させてもらいました。
お察しの通り、大学時代も勉強はろくにせず、部活動に励み、将来についてを真剣に考える機会もなく、「どうにかなるだろう」くらいにしか思っていませんでした。(とんでもなく楽観的なのは今も変わりませんが)
大学3年になると就職活動が始まりますが、当時の自分は地元で安定した仕事に就くことができればいいや〜くらいの軽い気持ちだったので、地元の銀行に狙い撃ちでエントリー。
無事に地方銀行からの内定をゲットした後は、残りの学生生活を満喫するため、遊びに明け暮れていました。
そしていよいよ卒業間近という3月下旬、わたしの人生の転機といっても過言ではない「あの日」が訪れるのです。
人生を変えた「卒業旅行」
父「せっかくだから、卒業旅行でも行ってきたら?」
母(K-POPオタク)「韓国とか行きたいよね」
父の提案?で家族で卒業旅行でもという話が上がり、せっかくなら行き先は海外にということに。
結局、父はスケジュールが合わずで、母とわたしの「弾丸二人海外旅行」が決行されることとなりました。
当時、わたしは海外旅行に行ったことがなかったし、正直そこまで興味もありませんでした。
まあ、せっかくの機会だし、行ってみるか〜という軽い気持ちで計画が進み、行き先は「韓国」(母希望)か「台湾」(わたし希望)で最後の最後まで揉めましたが(笑)
結果、人生初の海外旅行先は「台湾」に決定したのです。
そして、あっという間に旅行当日。初の海外旅行ということもあり、母と二人、不安がありつつも行きの飛行機ではなんだかんだワクワクしていたのを覚えています。
そして、ついに台湾の空港に降り立ったその瞬間、今でも覚えています。「空気の匂いが違う」「熱気に包まれている」。
3泊4日、当時の旅程を思い起こし、動画にまとめてみました。よろしければご視聴ください。
帰りの飛行機で台湾を飛び立つとき、わたしの心に浮かんだこと。それは「またここにこよう」「何ならここに住んでみたい」ということ。
「建物」「自然」「文化」「習慣」「言葉」「食べ物」「商業施設」「交通」そして「人」。これら全てがわたしの心を動かしたのだと思います。(これらの要素が国際観光認証の指標に関連していることについては、また別の記事にて記載します)
ちなみに、3泊4日の旅の中で口にした中国語は「謝謝」のみ。新たに覚えた中国語はホテルのエレベーターで繰り返し耳にした「開門中」(ドアが開きます)という、エレベーターガール以外は使用する機会がないであろうワードだけでした(笑)
正直、悔しかった。なぜなら、大学時代に中国語のクラスを履修していたから。少し勉強したからといって、実際に会話ができるわけではないということを痛感した旅でもありました。
新卒銀行員時代
大学を卒業すると、すぐに銀行員になるための研修が始まりました。
新人銀行員はとにかくたくさんの資格を取得する必要があり、学生時代よりも長い時間を試験勉強に費やしていた気がします。
その中でしれっと時間を割いていたことがあります。それは「中国語学習」。卒業旅行の「オンリー謝謝事件」がよほどこたえたのか、やたらと中国語学習に対するモチべーションが高く維持されていました。
また、偶然にも銀行内には海外顧客にも対応できるスタッフを育てるために、語学学習者を奨励する制度が整っていました。
それを良いことに、中国語学習>銀行員必要資格というウェイトで資格勉強を進め、一年半ほど経ったころには、銀行員として最低限必要な資格取得にあわせて、中国語の検定試験にも順々に合格することができていました。
しかしその頃、奇妙な問題が発生していることに気が付くこととなります。それは、「全く中国語、話せなくないか?」ということです(笑)
そう、検定試験勉強を頑張ったところで、所詮は筆記。会話力が全く進歩していなかったのです。このままではいけない、どうにかしなければという気持ちが強くなるにつれ、自分の将来についてよく考えるようになりました。
本当にやりたいことは?興味のあることは?いろいろな選択肢が浮かびましたが、最終的には「台湾で働く」という結論に至りました。それはもちろん、あの日の卒業旅行の影響ですね。
そうと決まれば、即行動。台湾の仕事探しサイト「104人力銀行」に登録し、その後、運よく台湾企業からオファーをいただくことができました。
コロナ禍の台湾生活
2019年4月3日。キャリーケース一つで台湾に移住。
翌日から、家探しやSIMカード契約と、会社の同僚や台湾人のお友達に頼りっきりでしたが、着々と台湾生活の基盤が整っていきました。
思い馳せていた台湾という国で実際に生活ができること、本当に毎日浮かれていたと思います。よく犯罪や交通事故に巻き込まれなかったなと思うほどです(笑)
特に最初の半年間は、新しい価値観や習慣に触れる機会が多く、日々自分自身がアップデートされていく感覚があり、充実した毎日を過ごしていたと思います。
移住から10ヶ月ほど経った頃、世界中を震撼させるあの出来事が発生しました。2020年2月、新型コロナウイルスの流行。皆さんもご存知の通り、今までの生活が一変しました。
ほぼ鎖国状態。非常事態でない限り日本に帰ることは不可能に。外国人観光客は完全にいなくなり、賑わっていた観光地は静まりかえっていました。マスクも簡単に手に入れることができず、物流にも影響が。
このような状況を受け、わたしはコロナ禍を海外で過ごしているという環境も相まって、国を跨いだ「人」や「もの」の動きに興味が湧くように。
また、海外旅行解禁を心待ちにしている台湾人を間近でみていると、コロナ明けの観光業界にはきっと何かしらの変化が訪れるのではと予測することができました。
台湾人からすると日本旅行はかなりポピュラーで人気がありますが、その中でも特にわたしの地元である「北海道」の人気は異常なほどで、生まれながらにまだ見ぬ「雪」を求めて、多くの台湾人が旅先に選ぶ観光地だということがわかりました。
正直、それは、外に出てから初めて知り得た事実です。自分達の日常は誰かにとっての「非日常」。言われてみると当たり前ですごくシンプルなことですが、外に出なければ気が付くことがないのもまた面白い。
そんなこんなでコロナ禍は、台湾生活に関するYouTubeチャンネルを運営したり、アパレルの物販事業で起業をしたりと、将来的には貿易や物販、観光業に携わるための準備をしつつ日々を過ごしていました。
持続可能な観光地づくり
2022年9月、日本に本帰国。ご縁があり、地元北海道にて観光地のマネジメントに携わることに。
北海道ニセコ町。国際的なスキーリゾートとして有名な観光地であり、パウダースノーを求めて、世界中のスキーヤーが多く訪れる町です。
一見すると華やかな観光地ですが、その裏では二次交通についての課題や繁忙期と閑散期における観光施設稼働率のギャップなど、多くの問題も抱えていました。
そんなニセコ町は、古くから培われてきた環境行政、住民自治という特異性のある実績を引っ提げ、日本国内で先進的に持続可能な観光地づくりやサステナブルツーリズムを推進する観光地でもありました。
そんな環境に飛び込んだわたしは、「国際観光基準」、「GSTC」、「JSTS-D」、「サステナビリティ・コーディネーター」、「グリーンデスティネーションズ」、「ベストツーリズムビレッジ」など謎のワードが飛び交う中、とにかく新たな知識を身につける必要がありました。
現在の仕事に就いてから1年程経過し、様々な研修を受ける中でようやく「持続可能な観光地」について自分なりの解釈ができるようになってきた今、自分の思考の整理も兼ねて「選ばれる観光地づくりに必要こと」を皆さんにも共有させていただきたくnoteを始めます。
また、観光地づくりの情報のみならず、「旅行者にとって学びの多い観光地」、「もしかするとご自身の人生や価値観にも影響を与えてしまうような観光地」はどのように選んだら良いのか「旅行者目線で」ためになるような情報も発信していきます。
このnoteを通じて、たくさんの方と交流ができれば良いなと思っています。素敵なご縁がありますように。
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