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言った言葉が、そのまま自分に返ってきた



愛犬に「愛してる」と伝えた



愛犬なごむと一緒に暮らし始めて、
7年目になります。


「可愛い」と言う言葉は、
何度も何度もかけてきましたが、

「愛してる」と思ってはいても、
家族に聞かれることが恥ずかしくて、
言葉にすることを避けていました。

しかし2〜3年前くらいから、
「思う」だけでなく「言葉にして伝える」
ということを始めました。

理由やきっかけははっきり覚えていませんが、
ただ伝えくなったんだと思います。

毎日愛犬に「愛してるよ」や、
全肯定、感謝、愛の気持ちを、

誰にも聞かれない2人きりの時に、
思う存分言葉にして伝えています。
(本人はめんどくさそうな顔をしていますが…)



「である」ということ



なごむは保護犬なので親の犬種も分かりません。
(我が家では「雑種」ではなく「ハーフ」と呼んでいます)

お尻の毛だけ長かったり、
お髭や眉毛がいろんな方向に向かっていたり、
下前歯の歯並びが悪かったり。

それがまた、可愛いんです。
愛おしくて仕方がないのです。

「こういう犬が美しい」という基準を
人間が勝手に作っているのだとしたら、
なごむはそれには当てはまらないと思います。


人間だったら、きっと生きていく中で
誰かにマイナスな言葉を向けられるかもしれない
コンプレックスになり得ることですが、
全て、なごむが生まれ持ってきたものです。

なごむの長いお尻の毛は、欠点ではなく、
生まれ持った「ギフト」だと思っています。

なごむ「である」から、愛おしい。
誰が何と言おうが、宇宙一かわいい。



とすると…

私が”私である”ことが尊いのだ。
私が生まれ持ってきたものも全て「ギフト」で、
愛すべきものだ。

と気がつきました。
思えたのではなく、気付いたのです。



自分にそのまま返ってきた



「なごむが、なごむであることが愛おしいんだよ」
と伝えていたら

「私が、私であることが愛おしいんだよ」
と自分に返ってきました。

「言った言葉は自分に返ってくる」
は本当でした。


気付かぬうちに「美の基準」を植え付けられ、
そのどうでもいい基準に当てはまらないと、
心貧しい誰かに石を投げられたり、
自分を受け入れられなかったりすると思います。

これからも、私も、誰かも、
誰かと比べて自信をなくすことがあると思います。

その度に「私が私である」ことの
素晴らしさ美しさを、伝えて続けます。




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