集中力が続かないことについて

人は、集中力がよく切れる生き物らしい。
集中力が続かない。本を読んでいても、スマホが気になるし、映画を見ていても、途中でTwitterを見てしまう。しかし、そんな自分を本能に忠実に動いているんだな、と冷静に観察するようになった。
昔の人は、生命の危険やリスクにさらされる機会が多く、一つのことに集中して危険に気付かないとなると、命を落とす恐れがあった。そのため、一つのことに集中するのではなく、常に周りに注意を払うという本能が人間には備わっている。現代の人間も、その性質を持っているため、一つのことに集中することが望ましいと自分で思っていても、本能的に集中力が続かないようになっている。
何か他のことに意識がいきそうになるとき、自分は今、集中できていないんだ、ということに気付く。気付けると、ふっと冷静になる。集中力が切れる理由が分かっているからだ。理由が分かると、まだ対処のしようがある。読書をしていて、集中できなくなってきたとき、読むスピードをゆっくりにする。単語の一つ一つをゆっくりと、黙読する。情報を仕入れるためのサーッとした流し読みから、一言一句を丁寧に心の中で読んでいく読み方に切り替える。自分の集中力が続くには、どのような行動をするのが一番最適か。行動を切り替える、最適解を探す。本を読み続けるという目的、一つのことを続けるという目的を達成するために、読み方を変える。速足が疲れるなら、ゆっくりと着実に歩くように切り替えれば良い。
冷静に、柔軟に行動を考えられるようになったのは、集中力が切れることが人間に備わった本能である、ということを理解したからである。
私は、自分を責める、というより、諦めの感情をもって自分と接している。性格は変えるのが難しいし、欲求にあらがうのは困難だし、そんな自分を無理に変える気がない。自分が無理なく変えることのできる最大限のことを行うようにしている。
どうしても気分が乗らないときは、亀みたいにゆっくりなペースでやる。実力以上のことを目指そうとしない。完璧を目指さない。今の自分ができることをやる。それで無理なら、無理で全然良いし、気楽である。
例えば、無理に集中力を長く保とう、としても、それを実現するには、本能に逆らうという苦しみを味わうことになる。それよりも、自分の性質、性格というものを理解する。その上で、できることをやる。
そんな風に、自分のペースでゆっくりと生きる。与えられたものがあるのだから、無理せずに生きればいい。

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