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ある日のマラッカにて「物乞いの坊やの暮らす路地も そう 届かなくても 交わらなくても」
旅だなんだと息巻いてインドシナまで来たというのに、けっきょく資料館やらを訪ねては、全く頭に入らない英語の説明を流し読み、写真を撮り、というお決まりの習慣ができてしまったことに、僕は嫌気がさしはじめていた。行き先も宿もインターネットで調べ、そこまでの道を蟻ん子のようになぞる毎日。
酔狂の旅にでたはずが、酔狂さを身につける術もセンスも持たない僕は、慢性の緩い退屈に溺れていた。ほとんど諦めの境地である。「あーあ、帰ったら何しよう」。
・ある路上で
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マラッカ海峡に流れ込む川のほとりをひとり歩く。今日も例のごとく、資料館と博物館のハシゴだ。乾季のからっとした日差しが肌を焼き、黒い髪は熱を溜めている。
マラッカ要塞跡の前に立てられた市内の地図を見て、足を止めた。そこにひとりの男が話しかけてくる。「金を恵んでくれ」ということらしい。乞食や物乞いは珍しくないのだが、この男は今まで見た乞食とはずいぶん違う様子だった。
男は僕よりも背が高く、体格もガッチリしていた。小慣れた営業スマイルで僕を見つめている。そしてなにより、平均以上には肉のついた太い腕のなかには、小さな男の子が抱かれていた。
その子の足を指さして男が何かを伝えようとする。坊主頭で5歳くらいの男の子のふくらはぎには、縫い目があった。治療に必要な金の寄付をせがんでいる様子だ。足の縫い目から目線を上げると、男の子と目が合う。彼は口角を釣り上げ僕に微笑みかけた。「お願いします」と言わんばかりに、二人に嫌な笑みを向けられる。
それがなんだかあまりにグロテスクで、言葉に余るほど気味が悪く、僕は踵を返しそそくさと立ち去った。なんだかすごくイライラがこみ上げてくる。「こんな若者より中年の欧米人でも狙った方がいいだろ」と、悶々としていた。
しかしそんなイライラの陰で、よりしつこく脳裏に焼きついて消えないのは、貼り付けたような笑顔の上で落ち窪んだ男の子の黒い目だった。深い深い穴があいたようで底なしに黒く、まるで生気が感じられない。子供があんなふうに笑う世界に、なんだかうんざりして力が抜けてしまった。
もしかしたら男は堅気じゃないのではないか。フラフラ物乞いなどせず健康に働けそうな風貌だった。
後発国で、ヤクザ者が子供や障害者を利用して金を集める話は聞いたことがある。安易に金を渡すだけでは、必ずしも当事者のためにならない。
・「届かなくても 交わらなくても」
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乞食や物乞いをいちど見つけてしまうと、通り過ぎるときすごくうしろめたい気持ちになる。あちらから話しかけてきて何も施さないわけにはいかない場面もある。それで金を渡したとしても、やっぱりどこか煮え切らない。
無視しても、分け与えても、けっきょくこのモヤは晴れない。安易に施して悦に浸るようなヒューマニストにだけは絶対なりたくない、とすら思える。
あの子は現実に今も生きて、「あれが欲しい、これがしたい」とか考えているだろうか。僕らは本当に繋がっているのだろうか。きっと僕らはどこか因果の糸で結ばれているだろうに、何故こんなに何も感情が湧き起こらないのだろう。
このできごとから教訓を引き出そうなんて試みるのもおこがましいような気がする。
ただ僕は、3月のマラッカで彼らを見た。
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