「リケジョ」とか「ロボジョ」という言葉がなくなる日
私の夢は、この世界から「リケジョ」「ロボジョ」という言葉を無くすことだ。
わたしが何らかの出願書類とかによく書くフレーズです。
そもそもわたし自身が「リケジョ」「ロボジョ」と呼ばれているどころか、
自称してすらいるのに、何を言ってるんだと。
まず、私のようにロボットに青春を捧げ、
日々油と金属粉にまみれている女子大生はきっと、少数派であると思う。
そして、多くの方に「リケジョ」「ロボジョ」と呼ばれ、
覚えていただけることは大変光栄であるし、
私自身にとってはキャラクター付けになり非常に「おいしい」立場である。
しかしそれは、未だに女性が理工系へ進むことへの(主に周囲からの)
圧力が無くなっていないことも意味する。
マジであるんすよ。
もし、彼女たちが自由にやりたいことを追求し、選択を出来たなら、
理工学を学ぶ女性をわざわざ
「リケジョ」「ロボジョ」
と呼ぶことはなくなる。
これが、本当の学びとものづくりの自由であると思う。
ここまでが綺麗ごと。
以下、懺悔。
じゃあ実際「リケジョ」「ロボジョ」と呼ばれて困るかというと、
きっとわたしは困っていない。少なくとも今は。
あらゆる場面で、自分のことを覚えてもらうための「タグ」として
便利で仕方がないのだ。
それに、わたしの場合は
理系を選ぶことで誰かに責められたこともなければ、
迫害を受けることもない。
あるいは、何か言われていたかもしれないけど相手にしていなかった。
(もとい、気づいていなかっただけかも)
自分本位に生きていれば、超快適。
だけども、
一方で後輩が親族から進路を奪われようとしているのを見てしまって、
正直すごく「うわぁぁ」ってなった。
本当に「女に学問はいらん」とか言っちゃう人、いるんですよ。
平成も終わろうとしているのに、
蓋を開けてみりゃまだ昭和すら終わってなかったんですね。
というわけで、次の世代には絶対にそういう理不尽な迫害を
受けてほしくないんですよね。
申し訳ないけど、正義感とかそういう高尚な精神ではないです。
単純に、ムカつくからです。
わたしはもちろん「戦争を知らない世代」なわけですが、
先の大戦でぼろぼろになって、
でも這い上がってきたのが日本じゃないですか。
たぶんわたしたちが想像もできないような苦しみも味わって、
それでも歯を食いしばって国をまるまる立て直したわけですよね。
それって、世界レベルでも「ありえない挑戦」なわけじゃないですか。
それでも成し遂げたのが日本なわけですよね、きっと。
そんなガッツある先人をもつ日本なのに、
挑戦を許さないって、何なの?って思いますね。
わたしは別に右だとか左だとかそういうのはわからないですが
先の大戦から這い上がった日本国民を誇りに思うし、
ものづくりをブチ上げた科学者・技術者たち、
それを前線で広めた現場の人たち、
全ての人たちに敬意を払うべきなんじゃないかなって思っていて
彼ら彼女らが持っていた挑戦する心と、
我々が自分の信じる道を突き進む心に、
貴賎はないと思うんですよね。
話すっげぇ逸れちゃったんですが、
別にフェミニズム的な主張ではなく、
「女性の権利が~~~~」とかいう話ではなく、
「教育が~~~」とかいう意識高い話もできないけど、
単純に
中高生、あるいはそれ以上の人々でも、
他者から不当に迫害されることなく進路や分野、企業などなど、
道を選べるようになってほしいと思うよね。
もちろん、この世の中が簡単にぽよ~~~ってすぐ変わるわけないけど
もしわたしがこの先企業でエンジニアやってたり、
あるいは研究職に就いてたり、
社長やってたりするかもしれないけど、
そういった時に
「古澤美典(わたしです)がやってるならまぁ大丈夫かな。」
「へぇ、古澤美典っていう人みたいなの目指すのアリかな」
っていう
一種の目標、あるいは(親族や周囲からの)防護壁になったら
少しは社会というものに貢献したことになるのかもしれないと思う。
「リケジョ」「ロボジョ」っていう言葉がなくなる日、
もしかしたらこの世界の誰かが、
ちょっとだけ生きやすい世の中になっているかもしれない。
あんまり難しいことわからないので、
気に障る話書いててもガーーーって怒らないでほしい。
以上、個人の主張を含んだ一種のポエムでした。