わたしの履歴書(2)システム開発が分からない
会社情報
業 種:システム開発業
財閥系鉄鋼会社と世界的コンピュータサービス会社出資の
合弁会社
職 種:システムエンジニア・プログラマー
規 模:約200名
在籍期間:2年間
さて、就職
就職活動で転んだ挙句、内定を出してくれた唯一の会社に就職しました。1991年の春のことです。バブル経済の崩壊は始まっていたものの、システム開発など素人の文系学生80名に内定を出し、9か月に及ぶ新人研修を受けさせるという会社があるという、まだ余力があったころの話です。交通費・宿泊代は会社持ちで、親会社の製鉄所見学にも行きました。今では信じられないですよね。
(財閥系鉄鋼会社と世界的コンピュータサービス会社というと、おおかた想像がつくかと思いますが、実名は申せません。脳内で変換してこっそりお楽しみください。)
企業風土がまったく異なる二つの会社が、よく合弁会社を作ろうと考えたものだと、今更ながらに感心します。設立されて日も浅く、上司は親会社からの出向でしたが、片やお堅い財閥系、片や自由な外資系。社会人一年生にも、その違いははっきりと分かりました。財閥系社員は紳士然としており、外資系社員はマイペース。休暇のたびに南の海に潜りに行くという年中小麦色の女性上司は、スキューバでなくスクーバと発音しました。それはバイリンガルの矜持というものだったのでしょうか。
まず、研修
研修期間中は働くことなく、学生の延長のような日々。お給料をいただきながら、名刺の渡し方からプログラミングまで幅広く学びました。後々どんな組織で働いてもそれなりに対応できたのは、この手厚い研修のおかげです。当時は苦痛なだけでしたが、今ではありがたみが分かろうというもの。深く感謝しています。
即戦力が求められる今は、新人研修はさほど手厚くないと聞きます。そんな余裕はないと一喝されそうですが、一会社の営利のみに囚われず、社会人一年生にはしっかり研修したほうがいいんじゃないですかねぇ。社会人のレベルの底上げは、めぐりめぐってどの会社にもメリットになると思うのですが。
いざ、配属
長い研修期間を経て、配属されたのは電力会社のプロジェクト。一緒に配属された同期と助け合い、無事に納品できました。ただ、システムという実体のないものを作り上げるということが、どうにも理解できません。先行きに不安を感じつつありました。
次に配属されたのは、大コケして身動きが取れなくなっている、某生命保険会社のプロジェクト。建物に例えるならば、屋台骨がグラグラなのに2階3階と積み上げてしまい、今さら解体もできないし、かといってまだ積み上げなくてはならないという、目を覆いたくなるような失敗プロジェクト。みずほ銀行システム開発関係者のお気持ちが、実によく分かります。
そして残業漬けの日々が始まります。
残業を続けていると残業癖がついてしまい、妙にテンションが上がってゆきます。「ヤッホー!残業バンザイ!何時まででも残っちゃうよー!」ってな具合。麻薬のような「残業ハイ」です。
19時ごろになると当たり前のように夕食を食べに出たり、買い出しに行ったり。終電を逃しても残業し、目が冴えているので飲みに行き、朝方タクシーで帰宅して、仮眠を取ってまた出社、なんてことも普通になりました。休日出勤も当たり前。残業代はすべて出たので結構な稼ぎにはなりましたが、会社にいる以外は何をしていたのかまったく記憶のない、「残業ハイ」の半年間。プロジェクトの進捗はと言えば、他プロジェクトから優秀な助っ人をかき集め、なんとか納品。保守人員のみ残して解散し、お役御免となりました。
そして、決意
当時のシステム開発は、納品までは残業地獄、納品後、次のプロジェクトに参加するまでは、死ぬほどヒマなものでした。今の現場はどうなのでしょうか。朝から上司とビル内の喫茶店でコーヒーを飲み、フロアごと店に引っ越してきたのではないかというような状態で、「残業ハイ」の頃が嘘のような、ゆるやかな時が流れていました。でも喫茶店から会社に呼び戻されなかったのは、実は新規プロジェクトを受注できていなかったため。バブル経済崩壊の大波にのまれ、仕事がなくなっていたのです。
プロジェクトはないのに、まだ使えない新人がわんさかいるという、会社にとって最悪な状態。コピーは廃紙に4分割、昼食時は要消灯。会社は暗くなりました。
残業もなく考える時間が増えると、「残業ハイ」時代には忘れていた疑問がよみがえります。2年近く続けてはみたものの、システム開発の根本的な部分が分からない。システムという実体のないものを作り上げるということが、どうしても理解できない。その状態でこれ以上この仕事を続けることはできないのではないか。
悩んだ挙句、入社2年を契機に辞めることに決めました。2年間がんばったのだから、もういいだろう。もともと興味があった業種や職種ではない。心の底から「分かる」と実感できる仕事が、きっと他にあるはずだと信じて。