見出し画像

なんでも読みます(1)時刻表を読む

 カランコロンカラン。
 ドアの上部に取り付けられた、ベルが揺れた。今日は、何を朗読することになるのだろうか。

 「なんでも読みます」

 そんな貼紙をして、果たしてお客さんは来るのだろうかと思ったが、それがなかなか盛況だ。レトロな喫茶店の奥にある、小さな部屋を使わせてもらい、お客さんが持ってきたものを読む。本とは限らない。初見なので、読み間違えることもあるし、読めない漢字があったりもする。希望に応えて、同じ箇所を何度も繰り返し読むこともある。聞いただけではわかりにくい熟語は、漢字を説明しながら読んだりもする。

 声優や俳優ではないから、芸術的な「聞かせる」朗読はできないし、そんなことがしたかったのではない。その人だけのための、オーダーメイドの朗読がしたかった。そして朗読を通じ、話をしたいと思って始めた。

 今日のお客さんは男性。80代の始めぐらいだろうか。テーブルの上には、分厚い「JR時刻表」が置いてある。本になっている「時刻表」を見るのは、ずいぶん久しぶりのことだ。

「列車名と停車時刻をお読みしましょうか?どの電車にしましょう?」
「神戸線の上り電車を読んでくれる?大阪駅に8時15分前ごろに到着する電車を。」
「新快速、快速、各駅停車のどれにしましょう?」
「じゃあ、新快速で。」

 分厚い「時刻表」のページを開く。
「網干発近江今津ゆき新快速
網干6時21分着、はりま勝原6時24分着、英賀保6時28分着、姫路6時32分着、6時34分発、加古川6時44分着、6時45分発、西明石6時54分着、6時55分発、明石6時59分着、神戸7時13分着、三宮7時17分着、芦屋7時26分着、尼崎7時36分着、7時37分発、大阪7時43分着。」

 新快速は大阪駅に到着したというのに、男性はしばらく目を閉じていた。眠ってしまったのだろうか。起こしてはいけないとは思ったが、
「この電車に乗れば、間に合いますよ。それにしても、始業時間の早い会社ですね。」と話しかけた。
「大阪駅で環状線に乗り換えて京橋まで行って、片町線に乗り換えてたのよ。」
「片町線か。久しぶりに聞きました。今は学研都市線と言うんですよね。」
「あんたの年が分かるわ。」と男性は苦笑した。
「片町駅もなくなってしもたな。学研都市線って言われても、やっぱりピンとこうへんね。なんでもかんでも、こぎれいな名前にしてしまうから。」

 そして今の「時刻表」ではなく、この男性が通勤していた頃の「時刻表」を、勝手に作って読むことになった。一つずつ駅を挙げ、勝手に停車時刻を作ってゆく。そしてついに、会社の最寄駅に到着した。
「駅から歩いて15分。9時の始業にぎりぎりセーフ。遠い通勤やったわ。」

「会社の近くに住もうとは思わなかったんですか。」
「嫁さんがね、神戸の出身で、どうしても離れたくなかったらしくてな。子供を神戸の学校に入れたいとも言うて。まぁ、通勤時間は寝てたらええか、と思ってたし。」
「行きはよくても、帰りは大変やったでしょう?」
「そやな、若さでなんとか乗り切ってたけどな。さすがに疲れてたわ。」
「そうですか、大変やったんですね。ほんまにお疲れさまでした。」

「他の時刻表も読みましょか?」
「そやな、じゃあ、金沢へ行ってみたいな。休みの日は疲れてごろごろしてることが多かったけど、金沢には家族で旅行したことがあるから。」
「大阪からサンダーバードですね。」
「サンダーバードて初めて聞いたときは、何ちゅう名前や、昔のドラマのタイトルか?て思たけど、雷鳥の直訳やねんな。」
男性はこの日一番笑った。
「金沢にできるだけ長くいられるように、到着してすぐに、お昼ごはんが食べられる電車を探してみます。」
 私はツアーコンダクターになったかのように、「時刻表」のページを夢中で繰った。男性は何も言わず、見守っていた。

「大阪発金沢行き サンダーバード9号
大阪8時42分発、新大阪8時47分着、京都9時11分着、福井10時31分着、10時32分発、金沢11時14分着。
これこれ。このサンダーバードならばっちりですよ。」
「おお、せやな。金沢まであっという間に着きそうやな。・・・途中の駅も読み上げてくれるか?」

「大阪、新大阪、京都、山科、大津京、唐崎、比叡山坂本、おごと温泉、堅田、小野、和邇(わに)、蓬莱、志賀、比良、近江舞子、北小松、近江高島、安曇川、新朝日、近江今津、近江中庄(なかしょう)、マキノ、米原、坂田、田村、長浜、虎姫(とらひめ)、河毛(かわけ)、高月(たかつき)、木ノ本、余呉、近江塩津、新疋田(しんひきだ)、敦賀、南今庄(みなみいまじょう)、今庄、湯尾(ゆのお)、南条、王子保(おうしお)、武生(たけふ)、鯖江、北鯖江、大土呂(おおどろ)、越前花堂、福井、森田、春江、丸岡、芦原温泉、細呂木(ほそろぎ)、牛ノ谷(うしのや)、大聖寺、加賀温泉、動橋(いぶりはし)、粟津、小松、明峰、能見根上(のみねあがり)、小舞子、美川、加賀笠間、松任、野々市、西金沢、金沢。」

「金沢までの駅は、たくさんあるんやね。それが分かるから、紙の「時刻表」っておもしろいんよ。」
 一生下り立つことはないかもしれないけれど、各駅各駅、そこに住む人たちの暮らしがあるのかと思うと、不思議に感慨深い。大阪から京都を経て、琵琶湖の西側を北上して福井へ。そして日本海に沿って金沢へ至る風景が、私の脳内にもよみがえってきた。

 にわかな興奮の余韻そのままに、「ご家族での旅行はどんな季節でした?」と尋ねた。
「田植えが終わるころやったわ。山も青々しとったし、田んぼが鏡みたいできれいでなぁ。子供はまだ小学生やったから、社内販売のお姉さんが来るたびに、あれが欲しい、これが食べたい言うて、残念ながら情緒には欠けたけど、昼から缶ビール空けさしてもろて、ぼーっと窓から景色眺めて、ほんまに気持ちよかったなぁ。」
 男性は時空を何十年かさかのぼり、家族旅行のさなかにいた。

 私も車上の人となり、この男性と二人、サンダーバードの座席に座り、金沢までの列車旅を満喫しているような気分になっていた。
「自分にも、旅のええ思い出があるんやな。」と男性は私を見た。

 この男性はもう、旅に出る気力や体力がないのかもしれない。妻が元気でいるのかどうかも分からない。子供たちはいまや、社内販売のお菓子を欲しがる自分の子供たちに手を焼いて、年老いた親との旅など、眼中にないかもしれない。
 「思い出はたくさん作っときや。そして大切にしとき。体が動かんようになって、旅ができへんようになっても、思い出があったら、心はいつでも旅に出られる。心はいつも、自由やからな。」
 
 「なんでも読みます」は2時間単位。ただ今回は、「時刻表」の朗読というよりも、男性と話をしている間に時が流れていた。
 「今日は通勤電車の時刻表を読んでもろて、長年ご苦労さんて自分に言おうかなと思てたけど、昔の家族旅行のことを思い出させてもろて、ほんまに楽しかったわ。思い出してみたら、まだまだ楽しかったこと、出てくるかもしれんな。そのときにまた、来てもええかな?」
「ええ、もちろんです。いつでもお待ちしてます。「時刻表」じゃなくても、なんでも読みますから、お持ちください。」
 そう答えて、この男性を見送った。「時刻表のおっちゃん」と密かなあだなをつけて。

お望むみのものを、なんでも読みますよ。
あなたのお越しを心からお待ちしています。

いいなと思ったら応援しよう!

みのむし庵主の1K日記
応援していただけると、ますますがんばれます!いただいたチップはクリエイターとしての活動費や、地元の歴史の調査費として使わせていただきます!