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年賀状をやめることにした話
毎年50枚余送っていた年賀状を、来年からやめることにしました。年賀状を書かかねばという年末のプレッシャーから、今年は解放されるんだという安堵とともに、師走を感じるアイテムがまた一つ減ってしまったことに、一抹の寂しさも覚えます。
年賀状を書くこと自体、嫌いではありませんでした。ここ十年ほど、江戸時代の絵師が描いた洒落た干支の絵をモチーフに年賀状を作っていたので、「来年の干支はなんだったけ?」と、この時しか意識しない干支を思い出すことも、年末の風物詩だった気がします。年を取って書けなくなるまで、年賀状は出し続けていくものだと思っていました。
年賀状をやめようと思った引き金になったのは、はがきの値上げでした。63円から85円って、結構な上げ幅じゃありません?メールやLINEに取って替わられてしまった昨今の事情や人手不足、また長年値上げされていなかったことを考えると、無理もないことなのかもしれません。でも年賀はがきだけは63円に据え置いてほしかったなぁ。
これまで年賀状を出してきた相手は、3つのグループに分かれます。
1.親戚
2.今も親しく付き合っている人(LINEも知っている)
3.年賀状だけの付き合いの人
グループ1は、付き合いが途切れることがまずない。
グループ2は、やり取りがあるので、年賀状をやめても異存なかろう。
さて、問題はグループ3です。
単にコスパという意味だけでなく、果たして85円に見合うやり取りをしているか?義理で出してるんじゃないか?年賀状の余白に添える一言も、もはや尽きてはいないか?お互いに年賀状をやめるきっかけがないだけで、ずるずると出し合っているだけではないか?
そう、習慣や義理と化してしまって、本当に書きたいから書いているわけではなくなっているのではないか?と感じたのです。
また、ここ十数年、年賀状を受け取る時、うれしいような、でもちくっと胸が痛むことがあるのも事実でした。年賀状ってオフィシャルなもので、個人ではなく、家とのやり取りのような気がします。お正月、それは家族や家を意識せざるを得ない時間。家族写真やお子さんの進路などを見せつけられると、反主流で生きてきた者には、新年早々、ちとツラいんですよね。狭量ですみません、でもいつわりのない気持ちです。そんなネガティブな気持ちは抜きにして、私はあなたと個人と個人として付き合いたい。
そんなこんなで、思い切って年賀状をやめることにしました。
小心者のため、告知もせずいきなり年賀状を出さない、という暴挙には出られません。かと言って、来年の年賀状に「今年で年賀状を終わりにします」と書くとなると、85円で出さなきゃならないし、とセコく悩んだ結果、値上げ前に挨拶状を出すことにしました。「来年から年賀状を止めます。今後は電話やSNSで連絡を取り合いましょう。」と、LINEのQRコードも添えて。グループ3の中でも、つながりを持ち続けたいと思ってくれる人は、何らかのアクセスをしてくれるだろうと期待して。
果して結果はどうなったか。グループ3でLINEでつながってくれた面々は、ほぼ予想通り。まさか連絡がくるとは思っていなかった人もいて、これからは気安くやりとりできるという、うれしい誤算もありました。連絡のなかった方々とは、お互いにやめどきをはかっていたということでしょうか。これまで長らくのお付き合い、ありがとうございました。
郵便料金の値上げがきかっけで年賀状をやめる人、きっと多いことでしょう。年賀状をやめた者が何を言う、と言われそうですが、手紙を書くという文化がますます廃れていくような気がして、強い喪失感を覚えます。でも手紙を書くこと、嫌いではないんです。文字を書く、手紙を書くということは続けたい。心から伝えたい、ここぞという時は、やっぱり手書きの手紙やはがきだと思うから。
年を重ねるにつれ、形だけのものを見破ることができるようになりました。自分の好きなように元気に動きまわれる時間は、そう長くは残っていない。限りある時間を大切に、したくないことや形ばかりのこと、密でない付き合いはしたくない。そんな思いがあったからこそ、年賀状をやめてみようと思ったのかもしれません。
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