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人の不幸は蜜の味!?悪意に触れてしまった時の話

もう何年も前の話になるが、まだ子どもが赤ちゃんだったころ。
大型スーパーの休憩スポットで、遊んでいたら、女子高生のグループが近づいてきた。

「かわい〜!!」

ここまでは、よくある話で。

その後に続いた言葉に、一瞬頭が真っ白になった。

「ねえ、なんかあの〇〇くんに似てない?」

その〇〇くんというのは、その当時殺人事件でニュースで話題になっていた子だった。

私の表情は固まっていただろう。
その後のことはよく覚えていない。

それは、悪意ではなかったかもしれない。
本当に似ていたのかもしれない。

今でも、もやもやする出来事だった。

もやもやついでに、もう一つ。

これもまた、些細な出来事ではあるのだけれど。

当時働いていた職場では、お昼の休憩時間に女子更衣室のある畳の部屋で休憩するという、半ば強制的な儀式じみたものがあった。

親切な人は、お昼前に来て、座布団を敷いてくれていた。

その親切にいつも、感謝しつつお昼をその座布団に座って過ごしていた。
「いつもありがとうございます」と。

ところが、同じ課の同僚が、私たちにとっては不幸にも
あることに気づいてしまったのである。

私とその同僚の座布団だけが、いつもちょっと古びた座布団だったことに。

「えー、その座布団はちょっと・・・」
と言っていたのを目撃してしまったというのである。

それを知ってしまってから、私たちはなんだかお昼に女子更衣室から足が遠のいてしまった。

その当時は、ちょっと腹が立ったものだが、それはこっちの心情だけに注目していたからだと思う。

逆の立場で考えてみた。

お昼休み。古びた座布団に座るのはちょっと嫌なものである。
それを知らない私たちは、気にしていないので、気にしていない人に古びた座布団に座って貰えば、円満なのだ。
それに、気づいていないとは言え、古びた座布団に座る人は、気づいている人たちから見たら、滑稽である。
ちょっと愉快になる。

毎日の仕事や人間関係のストレスにさらされる中で、ちょっとした愉快になる機会は、必要である。

そこまで考えてはいなかったかもしれない。
けれど、そんなもんである。

そっちの考えに思いを馳せてみたら、
なんだかそんな些細なことに腹を立てていた自分が
やはり
滑稽に思えた。

気づいていないだけで、
私だって人に悪意を向けていることがあったかもしれない。
人の不幸は蜜の味、である。

自分を客観視するというのは、なかなか出来るものではないので。

みんな、日々が充実して、幸せだったら
私も、日々が充実して、幸せだったら

ちょっとした悪意や
ちょっとした苛立ちに左右されることなく
過ごすことが出来るのになあと、

達観した気持ちになったりしてみる。

そんな本日は、雲ひとつない秋晴れで
気持ちの良い天気でした。

なんの予定もない
なんの縛りもない
贅沢な一日です。


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