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人間の「外側」への探求【国立西洋美術館「自然と人のダイアローグ」レポート】前編
はじめに
2022年9月2日金曜日午前10時ちょっと前、小雨が降るなか、ぼくは上野駅を降りた。
8月の猛烈な暑さは峠を越えたが、歩いているとまだ汗が噴き出してくる。
なんとなく肌がベタベタとする、そんな陽気だった。
上野駅の公園口は、最近小洒落た感じに改装された。
たばこを吸う場所も見つからないので、仕方なく一直線に上野公園に向かう。
目的の場所は、国立西洋美術館。
こちらも装いを新たにしており、リニューアルオープン後、初の来館となる。
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思えば、ぼくが美術館巡りを始めた一番最初が、この国立西洋美術館であった。
当時、ぼくは大学生だったが、授業をサボってよく上野に来ていた。
友だちはいなかったので、いつも独り。
上野公園内のベンチで文庫本を読んだり、ぼーっとしていたりした毎日だった。
そんなとき、魔が差したのか、夏の暑い日差しから逃げるためだったか忘れたが、国立西洋美術館に足を踏み入れたのだ。
確か常設展を見たと思う。
正直、ぜんぜん面白く感じなかった。
色彩が綺麗だとか、写実的だとかはぼんやりと理解できる。
宗教画や戦争画はダイナミックなので、なんとなく目は引く。
でも、風景画と静物画はぜんぜん面白くない。
特に印象派の作品となると、画面全体に霞がかかったようなものも多く、何が描かれているのかも理解できない。
ただただ退屈で、足早に見て回っただけだった。
それから10年以上が経過した。
あのとき理解できなかった、退屈で仕方なかった風景画を観に、上野に帰ってきた。
ぼくがあれから少しでも成長できていたのなら、きっと楽しめるはずだ。
企画展「自然と人のダイアローグ」に行ってきた。
ぼくが行ってきたのは、国立西洋美術館リニューアルオープン記念「自然と人のダイアローグ フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで」である。
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4章立てになっており、
1.「空を流れる時間」
2.「<彼方>への旅」
3.「光の建築」
4.「天と地のあいだ、循環する時間」
となっている。
順を追って感想を述べていこう。
1.「空を流れる時間」
この章では冒頭からウジェーヌ・ブーダンの描いた鮮烈な空から始まる。
他にもクロード・モネやエドゥアール・マネ、カミーユ・ピサロ、ジャン=バティスト・カミーユ・コロー、ピエール=オーギュスト・ルノワール、アンリ・マティス、アウグスト・ザンダーなど近代を代表する錚々たる画家たちが名を連ねている。
以下、ぼくが好きだった作品を列挙していこう。
ただし撮影不可だった作品は掲載していない。
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朝霧に霞む大聖堂は、じっくり凝視するとどんどん巨大に見えてくる不思議。
この迫力と神聖さは必見。
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冬の低い日差しと、それに反射してきらきら光る雪。本当に綺麗な絵だ。
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縦長の画面が両側の木々に迫力を与えている。と共に、帽子を高々と上げている夫人の縦の動きが同調していて非常に面白い。
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これも巨大な絵画なのだが、ブラン氏のなんとも言えない表情とポーズが印象的。
ブラン氏はきっとカメラを向けられても目線を合わせないタイプだね。
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小学生くらいの集団登校のほのぼのした感じが伝わってくる。いい絵。
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輪郭が鮮明でない雲を主題にしたところに本作の重要なテーマが潜む。
2.「<彼方>への旅」
この章ではちょっと非現実的な風景を描いた作品が多い。
画家で言えば、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒやギュスターヴ・ドレ、ギュスターヴ・クールベ、ロドルフ・ブレダン、ポール・ゴーガンらの作品が陳列されている。
では1章同様、こちらも好きな作品を挙げていこう。
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本企画展の目玉の一つ。サイズは小ぶりだが神々しさが隠されることはない。
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この作品は家に飾ったときを想像すると面白い。できればその部屋のクロスは黒で。
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荒々しい波濤は、自然の雄大さと共に暴力性も表現されている。台風がきているのではないか。
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手前のトゲトゲの葉をつけている枝がジギタリス。心臓の薬の原薬になるが毒にもなる。それが何を意味するのか…。
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タヒチ人女性を描いた本作が、なぜここに展示されているのか。これには深い意図を読み解かなければならない。
3.「光の建築」
絵画のなかで「光」を建築することを目指した作品が陳列される本章は、ポール・セザンヌで始まる。
いままでセザンヌの作品をちゃんと観てこなかったが、やはり大変素晴らしかった。
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明るい空とため池の水の青。縁取りのような深緑の木々。その中心の橋を際立たせるように、これらが配置されている。その計算の精緻さに目が奪われた。
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湖の氷結箇所とそうではない箇所が明確に切り分けられ描かれている。奥の小島も含めて複雑なメッセージを含有しているようだが、まだ勉強中。
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荒い点描で描かれた夕日に照らされる港。優しい日の光がとにかく綺麗。
4.「天と地のあいだ、循環する時間」
さて、いよいよ最終章である。自然界に起こる季節の移り変わりと、人間の成長や老いという変化を重ね合わせるような作品が展示されている。
今までに登場したモネやピサロ、ルノワールが再登場していることに加え、ジャン=フランソワ・ミレーやフィンセント・ファン・ゴッホ、エドヴァルド・ムンクの作品が陳列される。
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写実的で埃まで画面越しから伝わってきそうである。だがそれだけでなく、この若い夫婦の間の関係性まで伝わってきそうな力を感じる。
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今回の企画展で圧倒的に良かったのが本作。明るい色彩なのに不穏。それは本作のタイトルの長いカッコ内からも感じる事ができる。
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本作は松方コレクションのひとつで、松方がモネ本人から買った作品らしい。睡蓮の連作のひとつ。
おわりに
予想以上に写真の添付が増えてしまい、前後編に分けた方がよいと判断し、本記事はここまでとする。
とはいえ、企画展の内容についてのレポート本記事ですべて記せたと思われる。
会期終了は今月11日に迫っているので、興味のある方はなるべく早く行かれたほうがよいだろう。
そのため後編は、本企画展からぼくが思考を巡らせたことについて記す。
それは、なぜ画家たちは「自然」を描こうとしたのか、ということへの応答である。
そして、画家たちはどのように「自然」を描いたのか、という点についても掘り下げていくつもりだ。
本記事の冒頭に記したように、ぼくはそもそも風景画を退屈なものだと思っていた。
そんなぼくが、本企画展を受けて、風景画について考えている。
次回の後編の記事で、ぼくが少しは成長できた証を見せられたら望外の喜びである。
では、また次回までごきげんよう。