モーリー・モーリー
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百不知百不会(ひゃくふちひゃくふえ)
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宋の時代に生きた無文(むもん)という禅僧が
悟った後に「百不知百不会」という言葉を残した
私は何も知らない
何も理解していない
・・・と、言う意味のことば
悟って分かったのが
「ワタシハ ナニモ シラナイノダ」ということ
「悟り」とは
「差を取る」という事
何か「わからない事」があって
それについて考える
考えれば考えるほど
分からないことが増えていく
疑団がどんどん大きくなっていく
修行したり
答えを求めて、人を訪ねたりして
その答えを探し求める
わからない
わからない
ワカラナイ
しかしある時、光明が差し
まるでもやが晴れるかのように、自分の世界が広がる
Eureka!!
ああ・・・
わたしは何もわかっていなかったのだ・・・
答えは目の前にあったのに
見えていなかったのだ・・・
という事に気が付くのだ
「わかっていなかったことが分かった」
ということは、とどのつまり
悟ったとて、わかる事が増えたのではない
これまで、知ったつもり
分かったつもりで生きてきていたものが
そうではなかったと気が付く瞬間
それが「悟り」というものなのかもしれない
知ったつもり わかったつもり
聞いたつもり 見たつもり
私たちはたくさんのつもりの積み重ねをして
生きていたのだと
気が付いた・・・つもりなのかもしれない
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