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玉川上水を歩く:羽村~拝島(1)
序章があって、羽村周辺プレがあって。やっと本編、玉川上水を歩き始めます。
前回↓の最後に書いたように、今回は羽村取水堰から拝島まで。
https://note.com/mino16_more_i/n/nac23ea7cf66e
①羽村駅~拝島駅←←←イマココ
②拝島駅~玉川上水駅
③玉川上水駅~一橋学園駅
④一橋学園駅~武蔵境駅
⑤武蔵境駅~三鷹台駅
⑥三鷹台駅~下高井戸駅
⑦下高井戸駅~初台駅
⑧初台駅~四谷大木戸
そして、羽村~拝島編も何回かに分けてお送りします。
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1894年に青梅鉄道立川~青梅間が開通して130周年、記念ステッカー入ってます。
ちなみに、開業時からの駅は拝島駅、福生駅、羽村駅、小作駅、青梅駅。
今日のルート
今回のルートは
スタートが駅から離れている。
水路沿いに歩けない。
という理由からちょっと長めです。
歩かれる場合はご参考にしてください。
羽村駅~取水堰(意外と遠い)
さっそく玉川上水…と行きたいですが、駅から少し歩きます。
そして、羽村駅の少し東に、羽村取水堰と関係する廃線跡と導水管がありますので、そちらを見てから多摩川へ向かいます。
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現在地から少し川寄りの信号「羽村駅前」を左へ進みます。
導水管とは、羽村で多摩川から取り入れた水を、多摩湖へ送る水道管です。
羽村取水堰第三水門から一直線に多摩湖へ向かっていますが、当然地下に埋設されています。
上は道路だったり緑道だったり、米軍横田基地内では滑走路下だったりします。
これもいずれは辿ってみたい(基地内は通れませんが)。
廃線の方は「羽村山口軽便鉄道」、多摩川の水を貯える人造湖、多摩湖の工事に際して敷設された工事用の線路跡。
最初は1918~24年の村山貯水池=多摩湖建設時に導水管資材運搬のために。
次に1928~33年山口貯水池=狭山湖建設時に砂利輸送のために。
三度めが1943~44年、空襲にそなえて両貯水池堰堤(堤防)を強化、かさ上げする工事のために。
いずれも線路幅2フィート6インチ=610㎜の、いわゆるナローゲージの線路が敷かれ、機関車28両、貨車450両という大規模なものだった。
羽村取水堰付近に東京市が持っていた砂利採取場から青梅線北側までをケーブルカー的な方式のトロッコ、インクラインで運びあげて、そこから機関車牽引で輸送していたそうです。
※参考文献「多摩 幻の鉄道 廃線跡を行く」山田俊明1999年 のんぶる社
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ちょっとレトロな雰囲気が良さげ。
時間は昼前、今回も食事に難儀しそうなので、駅前のセブンイレブンで食料調達して出発。
信号左折して行きますが、歩道も無い狭い道です。それなりに交通量有るので、注意しましょう。
旧青梅街道らしいですが、特に表示は無し。
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そしてブロック塀の切り欠きが、実用的なんだけど素敵。
600mほど歩いて最初の信号が目的の場所です。
一見すると普通の交差点ですが、よく見ると七差路。
左手に踏切が見えますが、その右隣が導水管と廃線跡。
七差路から導水管&廃線跡
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この辺にインクラインからの積み替え所があったそうですが、線路との交差部がどうなっていたのか?
多摩川方面を振り返って見ると↓
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左右の道が、羽村駅から歩いてきた旧青梅街道。
左の黄色信号が踏切から直進する道。
正面が多摩川からの導水管の道で、右の赤いドウダンツツジの生垣がある路地も合わせて七差路です。
廃線跡と言っても何もないので、多摩川へ向かいます。
水道用地としては現役なので、水道用地境界標を見つけつつ歩きます。
なぜか、青梅線寄りの方が境界標が目立った印象。
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この辺り、片側2車線道路の計画が進行中なので、これから景色が変わっていく部分もありそうです(下記PDF5ページ)。
https://www.city.hamura.tokyo.jp/cmsfiles/contents/0000016/16563/siryou7-1.pdf
多摩川を見下ろして
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看板の左から2枚目3枚目の写真を見ると、住宅が立ち並ぶ辺りに砂利採取場があったようですね。
右手に取水堰、手前の水門が第三水門、左が玉川上水下流ですが、二つに分かれてます。
ここから右へ、坂を下って奥多摩街道へ出ます。
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ここでは玉川上水がエライので、道路幅狭い。
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この穴が、インクラインのトンネルらしい。
第三水門
目の前に第三水門があります。歩道が無いのでちょっと躊躇しますが、これは見ないとモッタイナイ。
信号の切れ間を狙って道路を渡り、安全確保して覗き込みます。
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昭和初期な装飾が素敵。
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見た感じ、半分ぐらい分けてるように見えますね。
「多摩川の原水の流れ図」
取水堰近くにあった説明図が分かり易かったので、ここで先にご紹介。
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第三水門の近くにある羽村導水ポンプ所からは上流の小作浄水場へ向かう点線が書かれています。
こちらの水は青梅市、日の出町、あきる野市、瑞穂町、福生市、武蔵村山市、東大和市の水道水になるそうです。
玉川上水下流の小平監視所からも砂川線があり、逆に羽村より上流の小作にも取水堰があって多摩川の水を送ってます。
こうして複数ルートがある事で、メンテナンス時の代替えやバックアップの役割を果たしている訳ですね。なるほど。
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右が小作浄水場へ向かう導水場、中央水色の水門が玉川上水本流、左にチラッと見えるのが第3水門。
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「羽村堰入口」交差点の大ケヤキ
上流へ向かって行きますが、なかなか羽村堰に着きません。
「羽村堰入口」交差点には歩道橋と大きなケヤキがあります。
高い所には登って見ろと、宮本常一先生の教えです。
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この立派な塔、調圧水槽で、小作へ送る水圧をかけているのです。
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迫力あります。
このケヤキの根元から湧く水を、すぐ下流の川崎地区では灌漑に使っていたそうです。
目の前を流れる玉川上水の水は、江戸城の大事な上水だから使わせてもらえなかったのですね。
江戸時代の水道局?羽村陣屋跡
さらに奥多摩街道を進むと、右側に東京都水道局羽村取水管理事務所、それと並んで江戸時代の管理事務所である陣屋跡があります。
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前にも書きましたが、玉川上水は江戸市民の水道であると同時に、いやそれ以上に重要な江戸城=将軍様の水でもあります。
現在のような浄水設備も無い時代、きれいな水、上水道の管理は重い責任があったのでしょう。
現在の雑木林のような上水沿いの風景は、江戸時代には考えられない、きちんと手入れされていなくてはならなかったそうです。
そんな江戸時代から連綿と続く水道管理施設と思うと、なかなか興味深く思えます。
左へ渡り、いよいよ取水堰を見ますが…
長くなってしまったので、次回へ続く。
引き続きお付き合いください!