学校を創ろうと思った理由⑥「どのような学校なら必要か」
教職員女子トイレだけが、心休まる場所だった
先輩教員に湯沸し室に呼び出され不登校になりたかったけど、「それでも、子どもたちは教室で待っている」と、同僚だった中野くんに言われ、その言葉を、何回も何回も自分に言い聞かせ、心は教職員住宅に置き、体だけ学校に通勤するような日々が続いて矢先に起きた「虫のお墓のデキゴト」。
当時の私は、クラス担任の業務は何とかこなしつつも、何もかもが嫌になり、教職員女子トイレだけが心休まる居場所で、「このトイレって、自分の部屋にできるな~~」などと、トイレの中で妙な妄想をしていました…
そんなとき、中野くんが「この本、藤田さんが読んだらいいと思う」と言ってくれたのが、東京シューレ奥地圭子さんの「学校は必要か」。
これが、私が、フリースクール・東京シューレ・奥地圭子さんを知った一番初めのきっかけでした。
教育も生命の自然にそって
この本の一番最後の章の最後の小見出しが、コレ。
そこには、こう書かれていました。
この本の書名は、『学校は必要か』となっている。これは、「学校は必要ではない」という答えを導きだすために発している問いではない。「どのような学校なら必要か」という問いを考えていただくといいかもしれない。
その通りや…
これや…
これやったんや!!
でも… どんな学校なら必要なんやろう…
奥地さんの言葉に感銘を受け、「必要とされる学校とは?」という問いを、自分なりに模索し始めることとなりました。
奥地さんからいただいた言葉
この本を手にした1997年の8年後。
その頃には、私は、オルタナティブスクール「箕面こどもの森学園」を仲間と共に立ち上げていて、「多様な学び」が関西だけではなく、全国に広がって、学校外の学びの場も、「教育の場」として認めてほしいという運動をするようになっていました。
奥地さんが立ち上げた、多様な学びを推進する会のメンバーにもなり、その会の全国大会を関西で主催するときのメンバーにもなっていました。
奥地さんに、この本が、私が「学びは多様であっていいんだ」と思い、「どんな学校なら必要なのか」を考える最初のきっかけとなった本であることをお伝えし、メッセージをお願いしたところ、こんな言葉をいただきました。
奥地さんにも、私にも、原点があり、
その原点があるからこそ、創り続けようとするんだな…と、
改めて思いました。