学校を創りたいと思った理由③「当事者に主権がある」とはっきりと思うようになった
人権サークルでは、「障害のある子の普通学級で学ぶ権利」ついて、話し合われていた
なぜか、物心ついたときから、「権利」について人一倍敏感だった私は、「人権」という言葉に惹かれて、同僚の柳川先生が既に入っていた、「人権サークル」に入りました。
その人権サークルで話し合われていたことは、「障害のある子の普通学級で学ぶ権利」について。
人権サークルに行って、その時初めてわかったのですが、私が赴任した海蔵小学校には、Mちゃんという重度障害をもつ子(障害が重く自分の意思を伝えることができない)がいたのですが、そのMちゃんの保護者が、「Mちゃんを支援学級ではなく、普通学級で学ばせてほしい。」と主張していたのです。
柳川先生は、一人で保護者側についていた
けれども、学校側も教育委員会側も、Mちゃんは、支援学級籍なので、一緒に学べる時間はあるけど、いくつかの教科学習においては、普通学級ではなく支援学級で学ぶのが相当だという見解を示していて、Mちゃんの保護者と学校と教育委員会側が対立する構造になっていました。
柳川先生だけが、Mちゃんの保護者側に立っているという現状で、人権サークルは、柳川先生と同じ立場をとる教師たちの集まりになっていたのです。
Mちゃんのお母さんの話
人権サークルに入った私は、Mちゃんのお母さんとよく話をするようになりました。
「Mが、普通学級でみんなと同じようにできないことはわかっているんです。でも、Mは、支援学級でも何かができるようになるわけでもないんです。Mは、学校を出た後、ずっとこの地域で生きていくんです。だとしたら、できるできないで分けられるのではなく、ただみんなといっしょにいることを認めてほしい。そのことが、Mの生きる力になっていくと思うんです。」
お母さんのこの想いを聴いたとき、だれが何の権限があって、「それは、違いますよ!お母さん!」と言えるんだろう…と思いました。
何が正しいのか、何が正解なのかはわからないけど、MちゃんのことはMちゃんが決める。本人が決められない場合は、その保護者の想いが優先される。
教育への権利とは、そういうものじゃないかと思ったのです。
教員とは、あくまでも、一時寄り添うだけの存在で、その子の一生を伴走するわけではない…
どんな学びをどう受けたいのか?
それは、当事者に決定権がある。
教員1年目で、そう考えるようになりました。
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