学校を創りたいと思った理由②「藤田さんって、障害がある子が普通学級で学ぶことについて、どう思う?」
「人権サークル」を選んだことが、大きな分岐点となる
当時、四日市では、小学校教員が月に1回、放課後に教科やテーマごとに集まって、一緒に実践報告や学習会をする教員の学習サークルがありました。
私もどこかの学習サークルに入ることになったのですが、サークルは市内のいろんな学校で開催されるし、自分の車を持っていなかったので、だれか同僚の先生がいるサークルで、車に乗せてもらう必要がありました。
最初は、詩が好きで、子どもの言葉が好きだったので、「詩の授業がしたい」と考え、国語サークルに名前を書きました。
でも…
「詩の授業のやり方は、本を読んだらわかるのかもしれない」
「せっかく、いろんな人の話が聞けるんだから、人の話を聞かないとわからないことの方がいいかもしれない」
「人の話を聞かないとわからないことで、だれか既に入っているところって、どれだろう~~」
と考えて、もう一度、教員サークルの表をよく見たときに、
人権サークルという欄に、柳川先生のお名前を見つけました。
「人権って、本を読むだけじゃなっく、人の話を聞かないとわからないよな~~~」と思い、国語サークルの欄に書いた自分の名前を消し、
柳川先生の名前の隣に、藤田と書き、人権サークルに入ることになりました。
柳川先生との出会いが、私の教員人生を変えていく
いよいよ、初めて人権サークルに行く日がやってきました。
あまりお話したことがない柳川先生の車に乗せていただき、ちょっとドキドキしながら、たわいもないことをあれこれしゃべっていたときでした。
「ところでさ~、藤田さんって…、障害がある子が、普通学級で一緒に学ぶことについてどう思う?」
柳川先生が、こう私に聞いてきたのです。
「どう?って、う~~~ん、あんまり考えたことないんですけど、その子の障害に応じたケアとか、教育とかはあるのかな~~~~と思いますかね~~~。何もかも同じようにすることは難しいでしょうし…。でも、障害があっても、自分らしく生きていくっていうことは大切なんじゃないかな~~と思ったりするかな~~~」
「そっか~~~~」
この話は、その時はこれで終わったのですが、
車を運転しながら、前を見ていた柳川先生の横顔が、なんだか悲しそうな、残念そうな表情だったことを、今でもよく覚えています。
その後、この人権サークルを選んだことと、柳川先生との出会いが、私を大きく変えていくことになりました。
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