【何者なのか】縁起でもない話を日常に!終活看護師ハイカー

とつぜんnoteをはじめました。
アウトプットしたものをここで貯めておこう。
今日は自己紹介

自己紹介

かなです。
大阪在住
既婚(子なし)
年齢は45歳、今年46歳
仕事:フリー 看護師
派遣で看護師のバイト⇨主な収入源
コミュニティー運営(ハイキング✖️終活)
講演・オフ会
遊びながら暮らすがモットー

職歴

正看護師:専門学校卒業
総合病院・消化器内科外科5年3ヶ月
老人保健施設:17年
介護付き有料老人ホーム:9年(老健と兼務)
介護施設は看護管理職:看護師管理、入所・入居者の医療管理
2022年 10月退職 フリー
「正社員には戻らない」と一旦決め辞めて現在に至る


好きなこと:ハイキング・登山

15年以上続けている趣味
テント泊、雪山、ハイキング・・・ゆるっと楽しめる程度に
現在は、これからハイキング・登山を始めたい人のイベントを開催

興味のあること:終活

仕事が忙しくて放置しすぎた色々
高齢者施設で人生の先輩の最期や、死や老いを受け入れられない家族を目の当たりにし、自分の人生を考える機会が多かった。
自分の看護師としての経験・知識と終活を掛け合わせて、一般の方に老いや死について一緒に考える場づくりをしたい

終活・老いや死について考える場の提供

自分も学び直しをしながら、アウトプット
私の仕事では、日常のようにみていた老いや死
仕事を辞めて、多くの方と交流してわかったこと。
日本は豊かすぎて、当たり前のことを忘れている

人は老いて亡くなる

医療が当たり前のように受けられる
介護保険で介護も受けられる(不満もあるでしょうがいい国ですよね)

もう、自分で自分の想いを伝えられなくなった高齢者が、家族の想いで医療を受け続ける介護の現場
本人が「そう!わしゃこれが良かったのよ!」と言ってくれたら、私たち看護も介護の人も、大変だけどがんばろって思うのです。

しかし、現実は本人の言葉は届かず
体の痛みやだるさに耐えリハビリ、食べたくない(だろう)食事を口元に持ってこられて食べる食事
「一体これは誰のための介護医療なの?」
家族も知らないから、仕方ないけれど・・・

老いや死を考える場を作る人

介護施設で働きながら思っていたことを、仕事を辞めた今、自分で形にしていきたいと思いました。
医療はどんどん発達し、医療を受けることが当たり前の世の中。

ちょっと考えてみてほしい。
例えば、胃ろう・点滴は昔はなかったのです。
ないことが当たり前。
だから、食べられなかったら死ぬ
ただそれだけのことでした。
なんかひどいことを書いているようですが、生物としてすごくシンプルだったのだと思います。

しかし、今は、医療が発達し、介護が大変だからと介護保険もできて、昔は日常で当たり前だった「老いや死」を目にする機会は減りました。
経験したことがない、見たことがないことに不安を感じる。
その不安を、医療に頼りすぎてはいないだろうかと、人生の最終段階と言われる高齢者を見て思っていました。

医療に頼るのもいいと思う。
でも、それいつまで頼るの?

元気な時から、一緒に老いや死について考える場を作り、今のこの時の大切さも大事にして生きてほしい。
決して死や老いは、縁起が悪いことでもないし、ダメなことでもない。

人は老いて死ぬ

自分自身の人生を考えながら、看護師目線での終活を発信していく

それが、今の私なんだと思います。

大好きな趣味と家族、仲間のことも大切にできる人生にしたい。



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