Kahitna "New and Best"(20??年、インドネシア)
カヒットナはインドネシアのポップグループ。90年代からアルバムをリリースしている。ブログの趣旨に反するが、ここでは私とこのグループがどう付き合ってきたかという回顧録を書いてみたい。
このグループの存在を知ったのは1998年の頃、ちょうどいとこがインドネシアの地方に在住しており、彼らを訪問した時だった。小学生のくせに訪れた国の音楽を親に買ってもらうという変な趣向を持っていた私は(ちなみに1997年にタイで買ってもらったアルバムは、タイポップスのスーパースター、バード・トンチャイ・メーキンタイのベスト盤だった)インドネシアでも地元のアーティストのカセットを買うように母にねだった。
後から母に聞いた話だと、母はカセットを買う際に今一番インドネシアで人気のアーティストは誰かと店員に問うたところ、カヒットナかギギ(インドネシアのオルタナティブ・ロックバンド)だろう、と返答されたらしい。ギギの音楽に出会うのはそれから10年くらい後になるが、もしその時母がギギを選んだら私の音楽的な感性も変わっていたかもしれない。
いざ聴いてみたら、聴きやすいポップなメロディが気に入った。アルバムタイトルは"Sampai Nanti"。「また会いましょう」という意味だ。
インドネシア滞在中、私はいとこに雇われた運転手の人と仲良くなった。インドネシア語は挨拶程度しか知らなかった私だが、言葉を越えたスキンシップに厚い友情を感じていた。この運転手との交友を語ると長くなるのだが、それは省略する。
やがて日本に帰国することになった。中学受験のために通う塾も変え、帰国後すぐに新しい塾に通塾することも決まっていた。
帰国後すぐに、私は擦り切れるまでカセットを聞いた。オーディオから流れるタイトル・トラック"Sampai Nanti"。また会いましょう――。私は友だちになった運転手、そしてインドネシアという国そのものが何度も何度も私にそう語りかけているように感じ、嗚咽した。インドネシアに帰りたい、塾なんかに行きたくない――母に泣きながらそう駄々をこねた。
その塾の先生は後に中学受験という大きな苦楽を伴った経験を通じ、今も付き合いがあるのだが、塾に入ったばかりの私にとってはどこか馴染めない存在だった。彼への反抗として、耳で覚えたカヒットナの歌を授業中に大声で歌うという暴挙に私は出た。
当然、このことは塾内で問題視された。塾の先生もこのことを母に連絡帳で伝えた。大人たちは当時さぞかし私のことを心配しただろうと思う。その頃の私は先生の授業にまるでついていけず、彼をがっかりさせてばかりいる問題児だった(という自覚は今でもある)。私は結局、授業でカヒットナを歌うのをやめた。そのカセットは紛失し(母が隠したのか?)、それから長い間カヒットナを聴くことは叶わなくなった。
その後、私は志望校に合格した。そして月日は流れ大学院時代、インドネシアを再訪する機会を得たのである。インドネシアではカセットが主流ではなくなり、廉価なCDがいたる所で売られていた。カヒットナがないか、ととあるCD店に寄ったところ――見つけた。思い出の歌"Sampai Nanti"も収録されている。とても嬉しかった。これからは好きな時に聴くことができる。カヒットナの音楽は今でもスマホのウォークマンに入っている。
しかし大人になった今カヒットナを聴くと、少年時代の塾の先生への反抗というあまり気持ち良くない思い出が蘇るのも事実だ。お世話になった先生がどれほど心配し、がっかりしたか、教員になった今だから実感できる。そればっかりは忘れられない。今でも付き合いのある先生は当時を覚えていらっしゃるだろうか。
話は変わるが先述の運転手の友人は、とある事故に逢い、運転手の仕事を辞めざるを得なくなった。今は何をしているだろうか。もし存命で会うことが叶うのであれば会いたい。そう思う。
最後に余談を。"Sampai Nanti"に収録されたカヒットナの歌に"Pasti"という歌があるのだが、その歌のギターソロの途中で少年時代の私はよく母にこう言ったのを覚えている。「ねえ、このカセット壊れているよ」。ワウのかかったギター、ないしは「サイケデリック」という概念を知らなかった少年時代の話だ。