Minnaloushe

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最近の記事

"Wait for Me and Remember Me"(1983年、旧ソ連)

このアルバムは80年代にヒットした旧ソ連の歌謡曲・ポップスのオムニバス盤である。ワレリー・レオンチェフ、ウズベキスタン出身のユーリー・アントノフ、デヴィッド・ツクマノフ率いるバンド「モスクワ」、そしてロシアン・ポップスの女王であるアーラ・プガチョワ(代表曲「百万本のバラ」も収録されている)など、当時の旧ソ連ポップス界がどんな様子だったのかを垣間見ることのできる興味深いレコードだ。 4曲目でアーラ・プガチョワは"Wait for Me and Remember Me"というナン

    • Aquarium "Radio Africa (definitive version)" (2023年、旧ソ連)

      このアルバムはロシアの国民的バンド、アクワリウムのファンにとっては驚きであり、朗報だろう。旧ソ連サイケデリック・ロックの名盤"Radio Africa"の決定版である。 アクワリウムの公式サイトに、 "Previous official releases were all based on rough mix since the master tape was considered lost.(これまでの("Radio Africa"の)公式リリースはすべてラフ・ミックスを基

      • ルイジ・ノーノ作曲「力と光の波のように」(1971-72年作曲、イタリア)

        イタリアという国は左翼思想が背景にある前衛芸術表現が多い。文学・映画で言えばパゾリーニ、ロックで言えばアレア、そしてクラシック音楽(現代音楽)で言えば今回取り上げるルイジ・ノーノ(Luigi Nono)だろう。 この曲"Como una ola de fuerza y luz(力と光の波のように)"はコミュニストであったノーノと親しい関係であったチリの革命家、ルシアノ・クルツの死を悼むレクイエムである。とは言ってもモーツァルトやフォーレのような抒情性はなく、ジャーマン・ロック

        • トゥレペ「サムルノリ」(1987年、韓国)

          サムルノリとはキム・ドクスによって提唱された、農楽(ノンアク)という韓国の伝統的打楽器音楽を現代風に解釈した音楽である。伝統的な楽器を用いていながらも1970年代と比較的最近考案された音楽のため、純粋な伝統音楽と混合しないように注意すべきである。 このトゥレペというグループにキム・ドクスは関わってはいないようだが、サムルノリを継承した80年代のグループだ。このアルバムは録音方法が面白く、マイクに近い楽器の音は大きな音で聞こえ、マイクから離れた楽器の音は小さな音で聞こえる。それ

          シン・ジュンヒョン「大韓民国楽音楽人 not for Rock」(2001年、韓国)

          シン・ジュンヒョンは韓国におけるロック・ミュージックの先駆者的存在である。国内で初めての韓国語によるサイケデリック・ロックを演り、キム・チュジャやキム・ジョンミといった多くの歌手をプロデュース、楽曲提供してきた。後世への韓国ロック・ポップスへの影響力は計り知れない。 このアルバムは彼が70~80年代に結成した二つのロックバンド、ヨプチョンドゥルとミュージックパワーのオリジナルアルバムを収録した4枚組+ボーナス1枚(ヨプチョンドゥルによるインストゥルメンタル・アルバム)のCDア

          シン・ジュンヒョン「大韓民国楽音楽人 not for Rock」(2001年、韓国)

          キム・ボムリョン「風!風!風!」(1985年、韓国)

          韓国の中古レコードの保存状態は欧米や日本のそれと比べて悪い。何も日本のレコード愛好家の優越性を吹聴するわけではないが、日本で入手できる70~80年代韓国ロック・ポップスのレコードの方が概して保存状態が良く、また韓国で入手するよりもリーズナブルな価格で入手できる可能性が高い。 このレコードは韓国の主に80年代に活躍したポップス歌手、キム・ボムリョンの1st「パラム!パラム!パラム!(風!風!風!)」である。今日お茶の水の某大手レコードチェーン店で680円というお手頃価格で入手し

          キム・ボムリョン「風!風!風!」(1985年、韓国)

          9th, Mar, 2024 音楽マニアの集い@Minnaloushe宅

          今日は私Minnalousheの自宅でコアでマニアックな音楽を愛聴する3人のマニアが集結して、各々の好きな音楽を聴かせ合い・語り合うというリスニング・パーティーを行いました。参加者は美術家でもあるTさん、「音響詩人」Mさん、そして私です。 三人とも、プログレ、サイケ、辺境もの、テクノ、エレクトロニカ、現代音楽など多種多様な音楽を聴かせあいました。そして、私のマニア度が他のお二人に比べまだまだだな、と実感しました。私はお二人に韓国のとあるアーティストをお聴かせしたのですが、何で

          9th, Mar, 2024 音楽マニアの集い@Minnaloushe宅

          ガトーン "Masterpiece Collection"(202?年、タイ)

          まずはとあるワールド・ミュージックを扱っている某都内のCDショップで以前筆者が経験した出来事からこの記事を始めたい。 筆者:「タイのガトーンはありますか?」 店主の方:「1、2枚ならあるよ」 筆者:「じゃあ、ガトーンに似た音楽性のバンドはありますか?」 店主の方:「それはないな。ガトーンというバンド自体がタイの音楽界では誰も真似できないバンドだから」 そう、ガトーンに似たバンドというのは存在しない。同じプレーン・プア・チーウィット(タイの社会派フォーク・ロック)でもカラワンだ

          ガトーン "Masterpiece Collection"(202?年、タイ)

          「毛主席著作」(1967年、中国)

          このレコードは中国で発売された毛沢東の著作を朗読したものが収録されているものである。当然、中国語で朗読されている。裏のジャケットには天安門のイラストがプリントされている。 著者はこのレコードを時々引っぱり出して聴くと、少し落ち着いた気分になる。何も自分が社会主義者やマオイストであるからではない。そこには確固たる「意味」があるからだ。 我々が外国の歌、特に非英語圏の歌を聴いて楽しいと感じるのは、知らない外国語で歌っていながらも、そこにはちゃんとした「意味」があり、何を歌っている

          「毛主席著作」(1967年、中国)

          アン・チファン「1st」(1990年、韓国)

          アン・チファンは80年代後半から韓国の民主化運動に携わりながら音楽活動をしてきた「民衆歌謡」の歌手。音楽グループ「ノチャサ(歌を探し求める人々)」のメンバーだった。彼の歌の特徴はよく響く堂々とした歌声と少しばかり重々しい曲調である。 2曲目「クゴスロ(そこへ)」は明るいエネルギーを放っているフォーク・ロック調の曲で良い。3曲目「幸せは成績順ではないでしょう」では一転して児童合唱を取り入れている。思わせぶりなタイトルであり、曲の最後の子どもたちの笑い声が「幸せは成績順じゃないん

          アン・チファン「1st」(1990年、韓国)

          LA SENAS "COUNTRY OF FRENZY"(2024年、日本)

          今日は山縣俊介さん(ガタさん)が所属する「熱狂打楽器集団」、ラセーニャスのライブにお邪魔した。そのライブで感じたこと、考えたことを踏まえながらラセーニャスの音楽について短いながらも書いてみたい。 原始、音楽を奏でる者はラセーニャスのようにリスナーをトランス状態へと誘う者だった。しかし、現代のクラブのような機械的なトランス状態への誘いではなく、各々の中で眠っている人間の原始的な本能を呼び覚ましてくれるような音楽だ。ジャンベやボンゴ、和太鼓といったパーカッションの大群の激しい波が

          LA SENAS "COUNTRY OF FRENZY"(2024年、日本)

          Serge Gainsbourg 「セルジュ・ゲンスブールとの一時間」(1998年、フランス)

          これは立川直樹氏が監修・選曲したゲンスブールのロック調の歌を収録した日本限定のCDである。主にナチスやヒトラーを皮肉った(ゲンスブールはユダヤ系フランス人で、幼い頃はダビデの星を付けさせられていたらしい)1975年のアルバム"Rock Around the Bunker"からの曲が中心なのだが、今聴き直してもそのいい意味でのダサさに爆笑を禁じ得ないのだ。1971年のデカダンスの匂いのする名盤"Histoire de Melody Nelson”の洒落っ気はなく、大の大人がふざ

          Serge Gainsbourg 「セルジュ・ゲンスブールとの一時間」(1998年、フランス)

          Gordela ”Mudskoi Vokalnii Ansamble”(19??、旧ソ連ジョージア)

          ジョージアは合唱の国である。とはいえ、グレゴリオ聖歌のような荘厳な感じではなく、もっと雄々しいロシアのコサック合唱に近いものがある。その一方でアジアの土臭い感じがするのも否めない。ジョージアはコーカサスと呼ばれる山岳地帯に位置する国であるが、その山々に響き渡るような力強い歌声がこのLPレコードからは聴こえてくる。 ジョージアは古来から様々な民族が入り混じっていたシルクロードの中継地だった。アジアとヨーロッパが出会う場所、と言ってもいいかもしれない。古くからこの国は様々な文化を

          Gordela ”Mudskoi Vokalnii Ansamble”(19??、旧ソ連ジョージア)

          Bahram Mansurov "Plays Azerbaijan Mugams" (1984年、旧ソ連アゼルバイジャン)

          ムガムという音楽をご存知だろうか。アゼルバイジャンの伝統音楽だが、我々が知っているところのイスラム圏・中東の民族音楽の一種である。 このLPレコードはタールと呼ばれるアゼルバイジャンの民族楽器によって奏でられたムガムの演奏が収録されている。その音色はいわゆるアラブ圏の楽器ウードと類似性があり、三味線・大正琴とインドのシタールを足して2で割ったような音である。演奏はどこか高揚感があり、演奏者、リスナーを妖しい遠くの世界へいざなうようなオリエンタルなものだ。 アゼルバイジャンはイ

          Bahram Mansurov "Plays Azerbaijan Mugams" (1984年、旧ソ連アゼルバイジャン)

          Mashina Vremeni "Ten Years Later" (1987年、旧ソ連)

          マシーナ・ヴレーメニは旧ソ連時代から活動しているロックバンド。バンド名はロシア語で「タイム・マシン」という意味。 このアルバムはまだロックが共産党政府によって禁じられていた70年代に制作されていた彼らの曲が収録されたもの。1985年にゴルバチョフによってペレストロイカが発布され、マシーナ・ヴレーメニも幾分か自由に音楽活動ができるようになるが、アルバムタイトル "Ten Years Later"は10年かけてやっと自分たちの音楽が公にできた、という感慨を表したものだと捉えていい

          Mashina Vremeni "Ten Years Later" (1987年、旧ソ連)

          オウリム "Ensemble" (1988年、韓国)

          オウリムはギタリスト・作曲家であるイ・ビョンウクを中心に80年代後半から活躍している音楽グループ。「オウリム」とは韓国語で「調和」「ハーモニー」という意味があるらしい。 彼らの音楽性は、韓国伝統音楽にアシッド・フォークを融合させたもので、この手のジャンルを「フュージョン国楽」と呼ぶそうだ。本国ではニューエイジ音楽の一環として扱われており、オウリムの他にもスルギドゥン、キム・ヨンドンといったアーティストがこのジャンルの代表格である。 オウリムのこのアルバムでは、韓国の暗く湿った

          オウリム "Ensemble" (1988年、韓国)