対談2 古市理代さんに聞く、就学活動のすすめ
「みんなで就学活動」は、支援の必要なお子さんが小学校に就学する時にご家族が遭遇する困難や悩みを知るとともに、自分たちにとってより良い選択を描きながら就学できるようにするための“こうしよう”術を、みんなで対話し、つくりあげていくプロジェクトです。ここでは高橋真さんが各分野の専門家を訪ねて聞いた、多様な視点と具体的なアドバイスをご紹介していきます。
第2回目となる今回は、誰もが個性を尊重し合えるインクルーシブな社会社会を目指して活動する古市理代さんを訪ねました。特定非営利活動法人アクセプションズ代表理事、特定非営利活動法人ピープルデザイン研究所理事、そして、一般社団法人しごと・しあわせラボ代表理事、また東京大学大学院教育学研究科附属バリアフリー教育開発研究センター協力研究員である古市さんは、ご自身も現在18歳のダウン症の息子さんと共に就学活動を経験。子育てを通じて体験した一つひとつの出来事が、現在の活動につながる根源になっているようです。
古市 理代(ふるいち・みちよ)
大学卒業後、製薬メーカーおよび調剤薬局で勤務。1999〜2002年の米国滞在では、世界に先駆けてインクルーシブ教育が一般化した社会を体験。帰国後の2004年、ダウン症がある長男の誕生を機に、障害があっても地域の中で生きられる社会のあり方を考え始める。学びを深め、チャレンジを重ねながらの子育てと並行して、2012年「NPO法人アクセプションズ」立ち上げに参画。同年理事長就任。2020年には、みんなが幸せに働ける社会の仕組みづくりを目指し、有志と共に「一般社団法人しごと・しあわせラボ」を設立。人とのつながりを大切に生きることをモットーにする。
目指しているのは、障がいがあっても無くても「個性が活かされる社会」
高橋 真(たかはし・ちか。以下、高橋さん) 現在18歳の息子さんは、小学校も中学校も地域の公立学校を卒業されていますよね。息子さんの就学を通して参考にされた考え方や価値観、あるいは古市さんが考える、学校において望まれる教育のかたちを教えていただけますか?
古市 理代(以下、古市さん) 息子が生まれる前のことなんですが、家族の都合でアメリカに住んでいたことがありました。アメリカでの3年間に、障がい者も特別扱いされることはなく、多様性が当たり前の社会を体験したことは大きかったと思います。当時、上の子が通うナーサリースクール(保育施設)でも地域社会でも、肌や髪の色、国籍、障害のある子もない子もみんな一緒で、保護者たちの多くは、子どもの教育や経験のためにも、支援を必要とする児童を歓迎する価値観をもっていました。20年前のことですが、すでにインクルーシブな社会が実現できていたと言えます。帰国して2年後にダウン症のある息子が生まれて、これからどうやって子育てしていこうかと思った時に思い出したのは、アメリカで体験した社会の姿でした。それ以来、海外の教育に関する情報や傾向などは、今も関心をもち続けています。
具体的には、アクセプションズのアメリカ在住のメンバーと情報交換したり、コロナ禍以降は積極的に海外の教育事情を発信しているオンライン勉強会に参加したりしています。論文や書籍からの情報収集もできる限り行うようにしています。
高橋さん 息子さんの学校選びは、最初から地域の公立校に入れると決めていたんですか?
古市さん いいえ、息子はダウン症の他に合併症と知的障害もあるため、最初は特別支援学校も視野に入れていました。大きな転機は幼稚園に入る前の、まだ2〜3歳のときです。毎日通っていた療育の先生が「地域の幼稚園も見てみたら」と言ってくださり、選択肢があることに気がつきました。教えていただいた幼稚園を調べて、すごく良さそうだったのでそこに通ったおかげで、息子も地域で育つことができそうだ、と実感できたんです。年長になり、いよいよ小学校を探し始めようかという頃にはもう、特別支援学校のことはほとんど考えていませんでしたね。ありがたいことに住んでいる地域では、本人の発達状態や園での生活状況は考慮されますが、親の意向も尊重してもらえました。自宅から歩いて通える範囲にあった3つの小学校はどこも支援級が備わっていたので、やはり地域の小学校を選ぶことにしました。
学校生活を通じて見つけたインクルーシブ教育に欠かせない学校・保護者の視点
高橋さん 古市さんは、アクセプションズ等でインクルーシブな社会に向けて様々な活動をされていらっしゃると思いますが、実際に息子さんが学校生活を送る中で見えてきた、インクルーシブな教育のあり方があれば教えてください。
古市さん 現在の日本では完全なインクルーシブ教育を行うのは難しいと思いますが、息子が通った小学校では多くの時間を障害のない子どもたちと一緒に過ごすことが出来ました。通常級での授業の時には、息子の理解度に合わせた内容のプリントや課題をもらってみんなと一緒に勉強していたんです。支援級にいた他のお子さんの中には、教科書が使いたい子もいたし、弱視などの理由で拡大教科書を使う子もいて、学校側も個人のリクエストに柔軟でした。特に良かったのは、支援学級の時間割が交流級の時間割と同じで、例えば月曜日の1時間目はどちらも国語の授業が行われているという具合です。それにより、内容によってはどちらのクラスで受けるか選ぶことができました。時間割は時間数を考慮して学校が作ることができるので、交流・共同学習をしやすくする工夫として参考になると思います。
高橋さん 学校側が慣れていたとはいえ、個別のリクエストが言いにくく感じる時はどうやって対応されたんでしょうか?
古市さん 地域の学校の支援級の保護者が所属する会があり、定期的な勉強会や情報共有の時間が多かったことにとても助けられたと思います。学校へ提案する時や意見を伝える時は、ひとりではなく、他の保護者と一緒に行うこともありましたし、定期的に行政との意見交換会なども行っていました。
確かに「個人の問題なのにこんなこと言ってはわがままなようで悩んだ」という他の保護者の声を聞くこともありますが、決して”個人だけの問題”ではないんですね。障害をもって生きることは、個人の力ではどうしようもないことが出てきます。私自身、息子の能力を伸ばすことは重要だと思って出来ることをしてきましたが、たとえ彼ががんばって成長しても、障害に対する社会の捉え方が変わらない限りどうしようもないことがある、それも事実なんです。親にできることは、色んなことにつまづいたり思うように成長しないことがあっても、それは子どものせいじゃない、と理解すること、そして、子どもが生きていくために社会に必要なものは何か、と考える冷静な視点が重要だと思います。
それに日本は「子どもの権利条約」、そして「障害者権利条約」に批准している国です。障害があっても障害のない子どもと等しく条約や法律で守られており、教育を受ける権利があります。自信をもって学校や先生たちとコミュニケーションができると良いのではないでしょうか。
高橋さん まさに、障がいのあるお子さんが幸せに暮らすためには、お子さん個人ではなく環境を変える、社会モデルの考え方ですね。そうした環境変化に取り組んだことで、息子さんや彼の周辺に影響を与えたような経験はありますか?
環境を変えて、誰も取り残さない学びの場に
古市さん それはもう大小様々な経験をたくさんしてきました。印象的なのは、小学生の頃の体育の時間です。学年が上がり、その時は3段の高さの跳び箱からスタートの授業でした。息子はとても怖がりました。その時は縄跳びも難しいほどジャンプ自体が苦手でしたので、先生と相談して、2本の三角コーンにゴム紐を張り、怖がらずに参加できるようになることを目標にしてもらいました。できるようになることを目標にすることから始めてもらったんです。最初はまたいでいただけの息子がだんだん飛べるようになり、そのうちに1段だけなら跳び箱も怖がらないで上にあがったりするようにもなりました。そうしたら実はクラスメイトの中にも、高い跳び箱が怖かったり苦手に感じるお子さんがいて、ゴムひもや低い跳び箱の代案ができたことで、彼らも一緒に体育の授業を楽しむことができました。
古市さん それと高学年になって、理科の実験で火や薬品を使うような時間がありました。知的障害のある息子が火や薬品に触れることを心配した先生から実験台から離れて教室の端っこで見学することを提案されました。でも実験に参加せずただ離れているところで見るだけでは息子にとって学びの機会になりません。そこで、火や薬品に触れることが難しくても、実験器具の名前を覚えたり丁寧に扱うことは大切な学びになると思い、息子が授業に参加する目的を変えてもらいました。結果的に、息子はみんなと一緒に授業に参加することができ、実験のワクワク感を体験する事ができました。
高橋さん 一律の学習目的ではなく、個人の特性に合わせた目的に切り替える、ということですね。先生にとっても新しい気づきになりますね。
古市さん そうなんです。先生たちも今までやったことがないだけで、実はちょっとした目線の切り替えで良いとわかってくれることが多かったです。中学に入っても同じようなことはたくさんありました。入学してすぐ、クラスメイトをよく知るために、自分のことを1分間スピーチするという時間があったんです。息子は発音が不明瞭で普段の会話も聞き取りずらいです。周囲の人にとって聞き取れないことはストレスに感じます。そこで、息子のスピーチ原稿を印刷してクラスのみんなに配ってもらうことにしました。それによって息子は、みんなが自分の話を聞いて理解してくれた喜びを得られましたし、息子に限らず吃音のある子やあがり症などの子にとっても、1分間スピーチに対する心理的な安全性が生まれました。ここは卒業して3年たつので今現在の確認はとれていません。このような配慮が根付いてくれていればよいのですが、学校は先生が変わると引き継がれないことはよくあります。
古市さん あともうひとつ、中学3年生の運動会ではクラスメイト全員の足首を結んだ「むかで競争」がありました。両足を縛ることを怖がる息子も一緒に参加するためにはどうしたらいいか。この時は私からは何も言わず、クラスのみんなで解決策を話し合ってくれました。子どもたちは、息子だけは足を結ばずに、列の最後尾で前の子の腰についた紐を離さずに走る、ということを決めてくれたんです。全員参加を目的としたルール変更を目の当たりにして、クラスの中には「人と違っても排除されない」という心理的安全性が広がる出来事になりました。今でもときどき保護者の方などから「あの時みんなで参加できて本当によかったね」と言ってもらうことがあります。
高橋さん 全員が参加できる環境条件を考えることが、息子さんだけではなく、クラス全員にとっての喜びや学びに変わったんですね。同時に、先生や保護者といった周りの人にも良い影響として広がっていくと思いました。
周囲に「どうして欲しいか」を伝えるためのコツ
高橋さん クラスメイトが話し合ってくれたということでしたが、子どもが学ぶ目的を考え直すための、視点の切り替え方やコツなどはあるのでしょうか?
古市さん 理科の実験の時には私から、「化学反応などを理解することは難しいので実験器具の取り扱いを覚えることを経験してもらいたい」と先生に提案したんですが、そうした具体的なアイデアなどは、他の保護者の方や勉強会で聞いた事例をヒントにしたこともたくさんありました。先生も、ただ前例がなくて知らずにおっしゃってることもあるので、例えば集中して取り組むことが難しいときに「机の向きを変えたら解決した」など、単純なことで解決することも多かったですね。改めて、息子が周囲の刺激に反応することは彼のマイナス面ではなく、彼の特徴であると認識することで、どうやったら持って生まれたその特徴のままで授業を受けられるだろうか、と考えることにつながると思います。
お子さんによってどんな環境が良いのかは異なると思いますが、同じ場で学びを継続させたいと思う場合は、一緒に授業を受けている様子を見ることで見えてくるものがあると思います。
ただ、本当はこうした提案をするのは保護者の役割ではないんです。インクルーシブ教育が進んでいる欧米では、スペシャルニーズ専門のコーディネーターがいて先生にアドバイスをしたり、保護者や先生と話し合ったりしています。スウェーデンでは、じっとしているのが難しい子には揺れる椅子を使ったり、周囲の視線が気になる子には机に仕切りを立てたり、雑音が気になる子にはイヤーマフを用意するなど、補助器具も選びやすいようにコーディネーターたちが提案しているんです。日本の学校にも「特別支援コーディネーター」という肩書きの方はいるのですが、養護教諭の先生や特別支援学級の先生などによる兼務になっており、専門的な取り組みはできていないのが現実です。そもそも学校の先生たちの勤務状況も改善が必要ですし、ここは喫緊に取り組んでほしい課題だと感じています。
高橋さん 社会に出てから、自分と他者の違いによる葛藤を乗り越えるのは大変だったり時間が掛かってしまうものですが、古市さんの息子さんのクラスメイトのように、小中学校で体験できることは今後の人生を豊かにする土壌になると思いました。
古市さん 子どもって本当に色んな子がいて、それぞれの個性を活かして段階的な学びができることが重要だと思うんです。ある一つの基準だけをクリアするような狭い範疇ではなく、色んなやり方があることや、工夫すれば全員参加できるという認識をもっていることは、生きていく上でとっても良い力になりますよね。本来ならどんな子にも個別に適した学びがあって、ただ場所を分けることだけが正解ではない、と気づくと、社会モデルの意義が実感できると思います。
高橋さん ありがとうございました。障がいの有無にかかわらず共に学ぶ具体的な事例を多く知ることができました。子どもにとって何がよい学びなのか、自信がもてないことや先生とのやりとりを躊躇してしまうことは、実際多くの保護者が感じていることだと思います。古市さんのこれまでの経験を参考に、子どもにとって良い学びを考えること、そして、学校と良い関係を築きながら話を進められるような就学活動をしていけたらと思います。