誰から承認されるでもなく、自分で自分を承認する生き方
これをナチュラルにできる人っているよね。
幼少期に、例えば家族に十分な愛をもらって育ってきた人とか。
あとは、見方を変えて、自分のことにしか興味のない人とか。
周りの人の目を気にしたり、よく言えば気が使えるから愛されやすいとは思うけど、そういう人は自分とのバランスが難しそう。
学校ではたくさんの「受験に受かるため」の勉強を教えてくれるけど、「自分の愛し方」を教えてくれることはない。
犯罪がたくさん溢れてきたことを歴史まで振り返って学んだりするけど、その根本が歪んだ愛や愛が不足している関係性から発症することが多いことを誰も教えてくれない。
犯罪者だって、生まれた時はみんな同じように真っ白で、そのさきの環境内でたくさんの感情と人に揉まれて程度の差はあれど揺さぶられてきた中、そう変貌した裏側に、「人」の存在があったことは、ちゃんと考えれば辿りつうことができる。
愛って、どこにあるんだろう。
生まれて最初の人間関係である家族や育ての環境で愛を感じられなかった人は、それを外に求めるようになる。
いちばんわかりやすいのが、恋愛なんだよな。
恋愛の中で、この用の中唯一無二の二人がタイミングよく出会って恋に落ちたことを、時に人は運命と呼び、時に人は依存することでそこへ居場所を見つけ、純愛とは別のものを作り出す。
それが心地いいのは、「変わらない」自分と相手であり、その環境が保たれる時だけ。
渦巻く感情と生きる環境の変化で、当然ながら価値観や気持ちの変化が起こり、当然だったことが当然ではなくなり、手を伸ばさないと届かないものになってしまったと嘆く。
「変わらないもの」なんて、なんだよな。
それをわからずにいること、変わらないものであることを望み続けることあは、自然に反して、そして自分をおいおい苦しめるものにもなるんだな。
変わり続けることの中で、一緒にいることを「選択し続ける」ってことが、健全で、素敵な生き方なんだと思います。
外にそれを求めた時、結局は一人で選択をしないといけない状態や瞬間がやってくる。
相手に依存をしなくても生きていく生き方を選択でしないと、これからの生活の視野が狭くなってしまうと頭では理解できる関係だってある。
自分を愛する人を手放すことは悲しいけど、とても怖いけど、寂しいけど、それをしないと自分含め不幸になる人が出てくることがわかってしまう関係だってある。
神様。
一人になる選択をする時に、たくさんのことを考えるわけです。
たくさんのことを考えて、結局最後は、決めの問題であり、そして長い目で見ると、時間が解決してくれるわけです。
感情のシャワーをここぞとばかりに全身にあび、そこで動けなくなってしまった時間や仕事にいくことができなかった日だって、貴重な生きている瞬間なわけです。素敵な代償なわけです。
別れすら、愛おしく思える時が来る。
そう思えば、少し前に進める気がするんだよな。
そうやって一人になることを選択し、一人で時間を過ごしてみて、今までにない自分との時間に戸惑って、少し過去のことを思い出したりする。
不思議なことに、過去っていうのは、未来への何か切符をくれるわけでもないのに、心を占めたりする。(前回の記事参照)
不思議なものだ。
キラキラしている未来のことなんて、誰もが想像をしてるだけで、何かが保証されているわけでもないのに。
そんな自分に、前に進むための儀式をしてあげよう。
これは、決めの問題なわけです。完璧なタイミングなんてないし、完璧に忘れられることはないし、完璧に愛することなんてできない。だって人間だもの。
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・私という人間そのものがレベルアップすれば、付き合う人が変わり、受ける刺激が変わり、楽しいと思えることが変わり、人への対応が変わり、影響をうけあう世界が変わる。
あの頃愛していた彼は、あの頃の私だったからこの上なく大切であり、恋い焦がれ、他に行くことなど選択肢としてなく、愛していたということ。
その入り口に立っている私には、この先の私の変化はまだわからない。でも、刻々と時間は過ぎて、刻々ととしをとっていく。その中で、私の愛を注ぎたいと思う対象はどうなったかな?
・まっすぐ愛情表現をしてくれる、嫌われることを一切怖がらない自己肯定感が高い人と一緒にいたい
・自分にはない部分や、知識や経験、考え方に、尊敬の感情を感じられる人と一緒にいる
内面の部分を、とても重要視するようになったんだなと思った。自分にないものを補ってくれる人や、普段から学ぶことができる人、愛情以外に、相手を思いやることができる理由を持つことができる人と、そばにいたいな。
そんな人は、まだいないけど。そうね。そんな人で、私の将来につながる幸せを共有できる人はまだいないけど、私自身をアップデートし続けることで、その先で見つかるってこと、出会えるってことな気がしてる。いつ出会ったって、受け止めることができる私でいれるように。
深い、愛の中に自分を置きたいなと思ってきた、26歳最初。
昔よりずっと本質的なものへの執着を、ちゃんと時間や趣味とのバランスを考えて持つことができるようになってきたのかな。
・過去は過去であり、私の人生で大事にするしかない今と、この先の未来のために、何かを過去が施してくれるわけではない(一つ前の記事参照)
時間が有限であり、その瞬間考えられることは一つだけ。その積み重ねを人生でしているんだったら、今この瞬間を選択することしかできないんだったら、私は今この瞬間に、未来のために役に立つことを選択する必要があるんだと思う。
というか、それが私の幸せになるんだと思うよ、私。
・過去の自分と、過去の思い出に、感謝をする。
ネガティブな感情や、寂しさや苦しさは、人の心をなかなか離してくれない。自由にしてくれない。解放してくれない。
負の感情は、なんだかつきまとう。
そう考えると、同じ過去を思い出すにしても、負の感情ではなく、感謝や楽しい思い出を楽しく思い出す方が、私的には心身共に幸せになれる気がする。
あんなに人を深く愛したことはなかったこと。自分を捧げてキャリア人生を歩むって決めたのに、あの人といることを選択し続けられるような人生でいいとすら思ってしまったこと。あなたから連絡が来た日には、いつ「会おう」が来てもすぐに対応できるようにしていたこと。他のことなんて、頭の中に入っていない時間が多過ぎたこと。
夜中、夜中。早く会いたくて、捕まるかわからないタクシーに乗るため家から走って大通りに出たこと。
ベットの中だけで、あなたが私を名前で呼び、可愛いと言ってくれたこと。
とても酔った時のラインか電話が、とても可愛くて、普段甘えることのできない人が甘えてくれることがとても好きなんだと知ったこと。
お前を幸せにしたいって、言ってくれたこと。
あなた、もう覚えてなんていないだろうけど。
電話で、別れを告げることができてよかった。「楽しかったね」でそうだねって言って、「ありがとうね」を伝えることができてよかった。
こんな素敵な思い出をなんども思い返す。そして、それでも私が忘れられないのは、「あの頃みたいに、愛し合うことができる人が欲しいから」なんだよね。
精神的にも、身体的にも。心地が良く、相性がいい相手が欲しい。
ガムシャラに愛しあって、普段感情を確認し合う必要だってないくらい、愛で溢れた関係になれる人。
あんなに、燃え上がることができる人。
そうか。私は寂しいんだな。恋しいんだな。
自分が自分を承認することはもちろん、誰かに承認をして欲しいということもあるかもしれないが、無償の愛を注ぐ相手が欲しいんだな。
ガムシャラに人を愛することの幸せを知っているから、それを味わいたいし、更新をしたいし、大切だからこそ共有をしたいんだな。
ああ、なるほど。
だからこそ一層、自分がその人に出会った時、まっすぐ何も隠さず、何かを遠慮してしまうことなく、全身で相手を愛することができる自分になっていたいな。
うーん、なんて幸せな悩みなの。
なんて、贅沢で、なんて本質的で、なんて素敵な悩みなの、私。
自分で自分を愛すること。自分で自分を承認してあげること。
尊敬する人が、毎晩自分が今日頑張ったことや嬉しかったこと、楽しかったことを15分間設けて振り返るって言っていた。年をとった人の方が、時間のありがたみや楽しく生きることの大事さを噛み締めている気がする。
毎日変わる自分の感情に向き合い続けることで、こんなことに自分が楽しいって思えるんだ、悲しいって思うんだ、変わったんだなっていう気づきにつながっていく。
それがご自愛することに繋がるんじゃないかな。
習慣化させてあげることがまずは最初だから、少しずつやってみて、三日坊主になってしまったらまた始めればいい。
「自分のご機嫌をとる」ってことの大事さを歌っている人がいて、なんだそれはって思っていたけど、そういうことなんだなと理解できる今。
そうそう、そうやって、誰よりも長く付き合い続ける自分を、ちゃんと知って、向き合って、機嫌をとって、流れるようにやってくる世界への捉え方を少しでもハッピーにしよう。
それが、楽しく生きるってことへの最短であり、基盤になる道だと思う。