自分のための、自分による、自分だけのしわあせの作り方
下書きはあるのに、最終的に出すタイミングで写真の入れ忘れなどが発生し結局投稿することなく終わっているので、
今日は「投稿し切る」ことも大事にしてみようと思う。
ノートに連ねない時間は、なんとなくたくさんのことがうごめいて始まって終わってもがいて苦しんで楽しんだ時間だった。
苦しいことから描こう。
・元彼のことをよく思い出すようになった(もし一年半前に終わった関係で、向こうはすでに同棲をしていて、愛情表現の下手くそな人で、天中殺の時期に愛し合った勘違いの関係と言われ、好みとはかけ離れた人)
苦しいものだった。誕生日に彼は連絡をくれる。続きもしない2往復の会話が、今年のもの。SNSで「見られている」ことはわかっている。それがダメなんだろうな。どこかで、彼の心の中に居続けることを、彼が待ちきれなくなって連絡をしてきてくれるというロマンティックなようなそうではないような展開を期待しているんだろうな。
そこでふと思い出したのが、「他人は、自分の思い通りに動かない」だ。
他人は当然、自分のために人生を生きているわけではない。自分のために人生を生きれるのは、自分だけってことだ。
「自分が何もアクションしなければ、世界は変わらない」
そういうことだ。
愛情だって言葉にしないと体現しないと相手には伝わらない。念力みたいなものは存在しないし、相思相愛なんてない。
くすぶっているだけで実を結ぶものなんて、この世に存在しないのだ。
だから、私がアクションするってことは求めているものだからだし、私自身がアクションしない、アクションすることを決めないものは、私が「望んでいない」ものだからだ。
それくらい、シンプルってこと。
「あの頃」を思い起こしてああだったこうだった考えることは、時に幸せに感じることだろうけど、それはこの先の未来に如何にもこうにも繋がらないものであって、あくまで過去にのみ存在をし続け、私が思いを馳せる今と未来のためにある時間に対しては、何か素敵なことを与えてくれるわけではない。
私は、それを理解してみたほうがいい。
何のために時間を使うかってことを、他の誰でもない自分のために、そして自分の今と未来のために使ってあげたほうがいい。
だってそうやって自分を幸せにしてくれる人は、自分しかいないんだもの。
最近、どこからか溢れる多少なりの寂しさを感じていたのは、これゆえか。
他人に、期待をしていたんだな。期待をすることで、「自分自身が働きかけること」をサボっていたんだな。だから、どうにもならない他人の動きに縛られて、何かを変えることが当然ながらできずにいたんだな。
「好き」を見つけることって、大事なんだなと思った。
自分だけの好きを見つけて、自分が感じる自分のためのポジティブな感情をちゃんと作り出してあげて、それを感じて、どんどん溢れるものにさせてあげること。
一人でもできることや、素敵な人たちとできること、今まで経験したことのない価値観の中での出来事、初めての経験。
たくさんの世の中のことが、確実に私を豊かにする。
情けないのか視野が狭いのか、仕事以外で人生を深く豊かにするものがあるということを、なんとなく初めて言語化できた。
趣味という、好きっていう感情が溢れるものって、他人に依存しなくても自分で作り出して味わうことができるんだなって。
素敵なことだ。
改めて思い直すと、
・身体を動かすことが好き(スポーツなど、ダンスはやってみたい願望がすごい)→先ほどダンス教室のお試しを予約してみました。どんなダンスかはわからないけど、百聞は一見に如かず。合わなかったら他の教室へ。経験なり。
・人と集まって初めましての人と話をすることが好き(刺激的なビジネスマンや持っていない地検に触れさせてくれる人との出会いが最高なんです)→セールス系など素敵そうなイベントには足を運んでたくさん吸収しよう出会おう話しかけてみよう
・絵を描くことが好き→これ、どうしようかな・・・・
・音楽が好き→フェスに人生初行きました。音楽にもいろいろ種類があって、好きなものそうでないものが存在することを知ったのが大きい。音楽ススキがこんなにいるんだ共有する時間って心地いいなって思えた幸せな経験だった。詳しい友達に勧められたところやイベントには「まず」行ってみて、様々味わってみたい。味わおう。何かが開ける気がする。
DJは引き続き練習したいので、そんなつながりを作れる機会があったら、積極的に参加してみることを決めました。あるイベントを逃してとても悲しいので。あとは自分で買ってみる???でもなんを買えばいいかわからないから、引き続き回せそうな音楽を探してみるところをやってみる。
・野外キャンプ少し気になってたので、フェスにてテントに泊まってみた人生初寝袋につつまれて→トイレが汚かったりちゃんと顔を洗えなかったり「個人の時間や空間」が割りとなくて、少し大変だった。心が全面的に元気じゃなかったことも大きいかもしれないので、わからないけど。キャンプの醍醐味は、好きな人たちと、普段いない空間を共有しながら話をする時間だなと思ったので、来年は「好きだな」と思えるグループを作っておきたいな。
・美味しいもの巡り→これは常にやっているが、ダイエットをしたい念が強い今はそこまで全面的にできない・・・
・着物が好き→和服から滲み出る色気と、大人さと、落ち着きと、普段では味わえない異空間さと、気持ちの変化が好き。休日は着物をきて出かけることをしてみようと思った時、そんなことをしている人ってどこにいるんだろう?コミュニティでも探してみようかな。着物を交換しあったり不要になったら売ったり。そうやって過ごす人とそれを共感しあってみたいと思ったので探してみよう。
・なんだかんだセクシーな服が好き→せくしなー=体のラインが出るような服、であって露出が好きなわけではない。大学生の頃は、「体もファッションの一部」と歌ってた。本当そうだと思う(今は少し悲しい)。それを「こんな服が好きなんです!」と言って悲しくならないような状態に自分を持っていくことが、自分を愛する手段だなと。
もちろん、今のままでも、十分、生きているだけで価値があって、頑張っていて、毎回変わる周りの感情と変化に振り回されて影響を受けて、ナマモノだから気づかないうちにどんどん変化をする。
そんないたいけな生き物だから、今のままで愛すべく存在なんだよね。
最近、どこか病気らしいことの検査をした。自分が病気かもとわかると、「生きること」そのものが質を変えることがわかった。
誰かが愛してくれるかどうかではなくて、自分が世界をどう捉え、どうこれから生きたくて、一体何をしたくて、何を大事にしたくて、誰といたいのか。
急に凝縮された人生に対して、「自分」の欲しいものや本質的な大事なものを考え始める。
でも本当は、誰もがそう生きるといいんだよな。誰かのために、や、「一般的に」や「普通」が急にどうでもよくなる。
でもそれが正しいんだよな。
どこかで誰かの人生を歩んでいるから、生きることそのものを考え直した時に、普段とのギャップを感じるんだよな。
私は、もっと家族と時間を過ごしたいと思った。家族のもので残りの人生を生きようと思った。そう考えると、「今十分に」家族との時間を取れているかというと、そうでもないから少し反省。
仕事が忙しくて、とか、仕事で疲れてて、とかで何か大事な、人生を豊かにできる「好き」なものに触れる機会を逃すのではなくて、
自分自身の人生をまるっと生きるために、それぞれをちゃんと自分の計画の中に入れて、人生をデザインしよう。
それが、幸せへの近道。
だいぶ最初に「苦しいことから書こう」って始めたけど、楽しいことも苦しいことも全部繋がって、気づいたら吐き出していた。笑
言語化することって、やっぱり想像以上のパワーを持っているな。
最近、好きだなと思っていた人に自分から別れを告げて、そこで少し寂しさを感じていたり、心に穴が空いている感じがあったり、なんか様々ありましたからな。
でも、自分が好きなことを自分で作り出すことができることを知って、それを醸成するものに自分からアクションして、人と繋がることを促進することができそうなので、
なんだかこれからは、もっと楽しいことと、充実した分が待っている予感。
素敵な感じで、今週は幕を閉じることができそうです。