結局対話しただけではクリアにならない思考を整理する
先週一週間は、様々な人と対話した。
自分の時間軸が、急に「短期的」になったり、それって理不尽だなとかでも妥当なのかもしれないと迷ったり、思いがけないところでチャンスを貰ったり、「なるほど」と思ったり「つまらない」と思ったり。
こうやって感情を並べると、コロナになる前、自分のカラダで様々なところに行っていたときは、無意識にも感じていたように思う。
自分が傷ついてでも、躍動する感情の中にいた。
まぁ、それが久しぶりに、一週間だけ戻ってきた。って感じかな。
「覚悟を決めて。一週間後までに」と言われた月曜日
自分なりに、「妥協」と「論理的」にこの会社にいることを選択することに、「一旦は」納得して、それを伝えたけど。
思いの外、話しながら、自分に言い聞かせている部分が強くて。
出てくる言葉は、そのとおりだし、嘘などなかったんだけど、「わくわく」はたしかに一切なかったね。
覚悟を決めたつもりが、心が躍動する覚悟っていうのはまだまだ先にあった。
でも、一週間ほどたって「自分なりの解」を出した今の私からすると、まだまだ覚悟なんて強い気持ち、は存在しているか不明だ。(前よりはあるけど)
焦る気持ちは、とはいえ抑えたい。会社のペースではなく、自分のペース。これなくして、今まで崩れてきたから。
当然会社は、覚悟を求めてくる。今の会社の状況からしても、この時期を「乗り切る」ための強いメンバーや提案によるPDCAが必要だから。一昨日くらいに聞いた話によっても、新経営メンバーも板挟みで大変そう、権利を振りかざしてくる人やもやもやを抱えている人もいる。
その対処に追われ、かつ、無駄に、お金だって割きたくないはず。
神様。これが社内営業と言うなら、本音はしっかり伝えつつ、「自分の今弱っている精神状態」のことは、言わないでおこう。
・人に触れる / 経営陣と会話する。自分の動き方を変えることで入ってくる情報が変わってくるところに、気づけた、それをやろうと思っていること、少しやってみた先週。
・それをしてこそ、点ではなく線の視点で仕事ができること。それが、今まではできていなかったこと。
神様。社員がこの場所にいるということを告げて、NGをだせる経営陣などいないことを知っています。まぁそんな会社だったらこっちから願い下げだけど。
腹割って話しながら、自分が不利になることは計算して出さない。その強さは、でもいつだって、ビスネスなのだから、必要になるときがあるよね。
でも、神様。
本当は、悲しいのです。「あれも、これも」話すことが、ある種「求められていない会話」だということが。
普通は、そうなのかも。代表に、自分の迷いを伝えることは変わっていることなのかも。この感覚が、「世の中の普通」とは違うのかも。
「今のフェーズは、前と変わって会社が踏ん張らないといけないから。」だから、前とは状況が変わってきた。明確に「生き残る」ことが求められ、それについてこれる覚悟をもったメンバーとじゃないと乗り越えていけなくて。「生き残る=まずコトに向かう」ことが、最終的に社員のためになる。
私は、その覚悟がないのだろうか。
その機会を乗り切りたくない、わけではない。
乗り切りたいと思う。私がパスした商談が、通常通り実りが生まれるものであってほしいと願う。もっと「おめでとう」が湧きあう日常であってほしいと思う。
ここにいるメンバーが、「役に立っている充実感」を感じながら仕事ができるようになってほしいと思う。人生の時間を使っているからこそ。
・乗り切るためには、「この人達と」という自分の気力につながる「コミュニケーション量、機会」をまずは上げる。
これが単純なんでしょう。
「コトに向き合いすぎている」と、「過程がおなざりになりがち」。ビジネスである以上、利益あっての余裕だと思っているけど。
もう少し、「社員の精神状態」「一人ひとりが楽しく働くこと」にFOCUSを当てた部署なりミッションなり、個人の動きなり、が生まれるくらいの余裕があるといいのにな。
これが、会社のフェーズ・考え方につながる部分なんだろうな。
「今のフェーズだから、仕方のないこと。」と認識することはあくまで会社視点であって、そこで働く社員視点ではない。
社員にそれを押し付けることも、無理に共感を得ることだって難しい。でもそれに共感することが、「個人がそこで楽しく働くこと」につながっている。
正直、私は受け入れることができていない。前々から愛そうとトライをしてきて、でもその都度だめで、ずっと心にひっかかっていることだから。
こればっかりは、仕方ない。「なんでもかんでもマッチする」会社なんて、自分で作ったとてないんだろうから。何を捨てて、何を得るか。
会社のフェーズや文化など大事なことを「今は」捨てるけど、「働く人」「スキルを身につける環境」は良い、故に得るもの。
今は、それでいい。この先、大事なものを得られるときが必ずやってくるから。必ずそれを得に行くから。私が、その私を信じて。
あ、そういえば、先週の月曜はまだ、東北の実家にいたね。
そうだった。その日の夜、最後の新幹線で東京に戻ってきた。面談をしたあとは、パパの前で泣いた。なんだか悔しかった。「この会社を去る」ことが自分の中で明確になったことが、悲しかった。
なんだか、今ちゃんと振り返ると、ジェットコースターみたいな一週間だったね。そりゃあ、昨日は一日中寝てしまいますわ。(買い物に行かなきゃとふと思い出していた自分をなぐさめたい)
意思決定の振り幅も、自分を取り巻く外部環境も。
ずっと岩手にいた頃は不安だった、またあの頃みたいにひとり暮らしの部屋に戻ることで、前の精神状態に戻ってしまうことが。とんでもなく、とんでもなく。。
・実際に戻ってきて、最初の夜はなんだか不安で電気をつけて寝た。でも疲れていたからなのか、ぐっすり寝た。
・誰の目もない環境は久しぶりで、思いのままに過ごすことにむしろ快感を感じた。
・東北にいた事みたいに、果物とヨーグルトで甘いものをとれればバカ食いしないことを実践した、パンよりご飯を欲しがる自分にも気づけた。
・運動不足ではあるけど(夜も予定が入っていたし)順応した自分に、きっと安心もしたのね。
ジェットコースターだったな。確かに。実は恋愛のことも考えた。趣味で新しい試みを友達とすることも話し合った。
「新しい」「久しぶり」が詰まっていた。体力的には、十分に寝ていたし、物理的な移動もないし、疲れが取れない、なんてことはなかった。
でも頭の中に、次々と色んな話題が入ってきて、それがどんどん切り替わっていった。あまりに、それが刺激的だったの。
「仕事の自分と切り替えること」を前は意識的にして、映画などを見たりしていたけど、それを強く意識していたわけではなく、「アクションによって必然的にそうなっていた」が近しい。
こう、予定を意識的に入れていく。オンラインの可能性を信じ楽しむ。それでOKなんだな。
今日もふと思い出す。仕掛けたことが楽しい形でみんなに届いて、楽しかったという声をもらったこと。楽しい瞬間という手応えを感じたこと。
メンバーの声を聞く中で、見えてくるものがあったこと。なぜか今までたどり着くことのなかった答えがあったこと。
その予定たちが、二日前とかに入っていくことで、この一週間、「求めて動けば与えられん」を体感したこと。
人生は、まだこれからのようだと。