コントロールできないことに振り回される日常と、好きという感情の奇跡

最近は、非常に花見日和で。


自分のモチベーションと、好きな人に好きっていうことの勇気について考えていました。

後、少し仕事のこと。

そんなことを、「今週一週間も私お疲れ様」って思いながら、ちゃんと言葉を通して自分と対話したいと思います。


モチベーションについて


しごとのことをどにちにかんがえるのは嫌だ。そんな気持ちが強くて、平日はへいじつで疲れることが待っているにも関わらず、仕事でやるべきことを「平日中に」終わらせたいと思って、

そしてできなくて、なんとも不安なのか不思議な気持ちで土日をむかえる。そして翌月曜日をむかえる。


自分の爪が伸びて、少しパソコンを叩きにくくなったことにも気づかない。

ランニングをして、毎日蓄積する何かを払って、明日を迎えるってことがなかなかできない。

誰かの目が気になって、ファッションをギリギリまで悩んでしまう。

自意識過剰に、世の中に人たちの目を気にする。みんな、自分しか生きれない自分の人生に一生懸命だっていうのに。

誰もが、なにかと戦っていて、たくさんの事情があって、同じものだけを持っている人なんていなくて、

自分が弱いのと同じように、他の人だって弱いのに、それを受容できなくて、自分をおおきくみせることで安定を保とうとする、日常。

誰かを認められないってことは、許せないってことで、さめたようにその瞬間を見ていて、自分のことも同じように受容できないってことなんですよ。


苦しさの中で生きていることが、急に正当化されて、その中にいることにとても疲れているにも関わらず、もっと走ることを快感にしてしまうときだってある。


自分の心を中心に意思決定ができていないことを知る。

自分の「ああしたい」「こうしたい」が、日常の中で死んでいることに気づく。


週に5日、とても多くの時間を仕事に注いでいるにも関わらず、自分で意思決定していることが少ないことを感じる。

自分で意思決定をするってことが、どれほど重要か。

それが、「自分の時間を生きている」って思って心がワクワクする理由なんだろうな。


最近、モチベーションに関するとてもいい動画を見た。

モチベーションなんてかんがえなくていいって。

自分が「したい」「want」って思う欲望と、「したくない」って思う否定の欲望。

それに従って、「したい」ではなく「する」と断言し、「行動」を起こす。

頭の中に思い描いていることを、行動に起こす。

それだけで、出てくるアウトプットや周りからの印象も当然変わって、自分自身が変わっていく。

「自分自身の欲望に忠実になる」ことなのかな。


モチベーションについて考えるときに、自分自身を責める方向に考えてしまうことが多い。

「なんで今こんなに大事な時期に、思いが乗らないんだろう」「なんでみんな頑張っているのに私は頑張っていないんだろう」

そこでのらない理由を一生懸命探すけど、

結局のところ、行動を起こそうとする手前にかならず「したい」「したくない」の感情があって、その感情が「動いていないから」なんだよね。


感情が乗っていない状態で、行動を起こそうと思っても、そりゃあ動かない。

動かないことに疑問をもち続けるだけで、結局時間ができた土日だってそれに時間を割くという行動を起こすことができない。

「感情がないから、行動にうつすことがないこと」を、ずっと頭の中でぐるぐる考えている。でも、それって当然のことなのに、ずっと解決しなかった。

自分が怠け者だからだと思っていた。自分が健全な精神状態じゃないからだと思っていた。

でもそうではなくて、行動の前の「感情コントロール」という手順をすっ飛ばしていることが大きな間違いだったんだね。

とても大事なことに気づいた。

そのまま、仕事について語りたいと思います。


仕事について


コントロールできないことが多い、と先週の木曜日に嘆いていた。

天気も、人の感情も、その席にいるタイミングも、誰かがその人に声をかけるタイミングも。

自分がナマモノで、みんなナマモノで、調子の良い悪いがあって、体調があって、プライベートの変化によってそりゃあ声にのる感情も変わってくる。

仕事を中心に個があるのではなくて、個を中心に、一つが仕事なんだもの。

アンコントローラブルなものをコントロールすることが、今自分が、そしてチームが陥っている苦しみをクリアにすることなんだなって。

コントロールできないことに振り回されて、コントロールできないことが毎日形を変えて迫ってくる、その対処法がなくて、毎日悩み傷つく。

私の日常は、私中心になることができない。この状態のままなら、いつまでも。


ここまでやって、ここまで話して、それでだめだったら「仕方ないよね」って全員で顔を見合わせて言えるくらいまで。

その過程を。その過程で、私がどれだけ楽しむことができるかってお話だと思うんです。


大丈夫。

現状だって、十分「イケている」。

もっと、ほしいと思っている。だからこの奮闘する期間があるってことを、もっと「長い目」で見よう


そして、さらに気づく


本当は、ただただ泣きたかったんだってこと。

なんでだか、いろんなことが連なって、お昼の時間だけが唯一自分の考えに戻れる時間で、アンコントローラブルなものに振り回されていることが、ただただ苦しかった。


やるべきことがあるのに、できないことが。

本意ではないのに、下出で出なきゃいけないことが。

下出ででることを、チームの人達にもさせていて、その苦しみが仕事中にじみ出ていることが。

にじみ出るそれを、ミーティングをしながらでも全部吸収できていないことが。(表面的なそれになっていることが)

いつまでも、自転車操業で、毎日のミッションを追っているだけだってことが。

そこでの疲れを言い訳に、明日に持ち越して、「仕事を忘れよう」と思う自分のスタンスが。

前に進めないことが。


嫌気がさし、ただただ苦しくて、悔しい。


ただただ、苦しい。


だから泣きたかった。誰かにシェアもできていなくて。シェアできる関係構築をしたほうがいいんだろうけど。

泣けるくらいの関係を作ったほうがいいんだろうな。

だって、本気でむきあっているんだもの。

有限な時間を使って、命を削っているんだもの。


目の前のことに一生懸命になる際に、「幸せを感じることができるのは、今この瞬間しかない」ってことが、前回のノートで記載したことでもあるんだけど、

やっぱり大きいのは、「この時間に、私達は命を使っている」ことだよね。

二度と戻らない時間。どれほど未来に期待をしても、その未来がやってくるとは限らない。


今この瞬間、あなたの感情と表情に、泣けるほど向き合いたい。


恋愛について


急ではありますが、やはり前の文脈と繋がりまして。


好きな人に好きっていうことが。

好きな人に「会いたいです」っていうことが。


今まで誰かを自分から誘う経験があまりに乏しい私からすると、ほぼ未知の領域なんです。(こればかりは自分の受け身にめちゃくちゃ苦労した)

でもその一方で、自分のその意思決定の奥底に潜む「ネガティブ思考」「過去にとらわれた意思決定の癖」があることを知った。(これも前回のノート参照)

とてもいいきっかけになったと思うし、

名言だらけのローランドの言葉で好きな、「緊張は成長痛」。普段できていて、慣れていることでは緊張しないでしょって。

いままで出来ていなかったこと、経験したことないことに緊張がするんだから、「チャレンジしているんだな、伸びしろあるんだな」っていう自分の成長の証。

素敵なこと。


だから、自分から「会いたい」なんて、特別すぎたんです。私の26年の辞書の中には、成功事例やら経験そのものがないんです。(タイミングを誤って失敗したことはあるけど。)

その失敗談が、私の足かせになっているかもしれないね。過去のことも(これも前回のノート参照)


頑張って、「会いたい」って言いました。あなたは想定外の返事をしてきて、私の心も少しなんだか不安になってしまった。疑ってしまった。

妄想の中で、あなたに何度も抱かれた。妄想の中で、あなたに何度も愛の言葉をもらった。

何度も触れて、何度も思って、何度も愛した。

私の妄想の中で、あなたが既に出来上がっている。


でも、私の目の前に今夜たつのは、生身のあなた。生身のあなたなの。

この愛が、成就するのかは、妄想の中のように、一人で決めることなんて出来ないの。


ただこの数日考えていて思う。あなたがどう思おうと。あなたが最後に何を決めようと。

私の気持ちが、好きだよっていう私の気持ちそのものが、愛おしくて大事だってこと。


「好き」には、出会いたくてもなかなか出会えない。出会えないからこそ、前の彼とおわっても、ずっと想い続けた。


例え、「私の妄想の中の彼」を私が愛していても。

目の前の彼にドキドキして、目の前の彼に微笑む。

目の前の彼の目をみて、彼が笑うと嬉しくてつられて笑う。


照れてしまってうまく笑えない私を見ていて。それでも、想いを止めようとしない私を見ていて。


思いそのものと、それがもたらす経験に、やっぱりいつも気づきを得て、こうやって考えることのできる幸せに、乾杯。