毒親を卒業までの道のり
今、流行りの毒親。
身体的虐待、性的虐待、心理的虐待、ネグレクト、これらの行為を子供に向けてしてしまう親のことを毒親という。
暴力や暴言、ネグレクトといった虐待は、傍目にも分かりやすいが、一見すると虐待だと気が付かない沈黙の虐待が恐怖だ。
親の意のままに支配し、健全な心の成長をできなくしてしまう恐怖の虐待。
親の価値観を押し付け、それ以外のことは許さない、このような親を「毒親」という。
一見、子供の為と言いながら、全く子供の為ではなく、親自身の見栄やプライドの為の道具にされてしまった子供の行方は悲惨だ。
子供という生き物は、健気で純粋で正直で真っ直ぐで真っ白な宝石のような生き物だ。
どんな子供も一人残らず例外なく宝石の原石だ。
宝石の原石として生まれてきた子供は、正しい育て方をすれば、キラキラと輝きだす。
しかし、この「毒親」に育てられると、身体はなんとか成長はするが、心の成長はストップする。
ちょっとした挫折で自殺したり、鬱病になったり、依存症、非行、家庭内暴力、これら全ての根本の原因は、親の育て方だと断言する。
このような言い方をすると「じゃあ、子供の問題行動は全部私が悪かったのね」と逆切れされる方もいるだろう。
そうじゃない、悪いと言ってるのではない。
自殺や精神疾患、不登校、依存症、非行…などこのような問題が起こった時、子供をなんとか改善しようと必死になることをやめていただきたい。
そのような問題行動が現れたら、「このままの生き方では無理があるから考え直さなきゃ生きていけないよ」といサインだと気がついて欲しい。
子供が勝手に問題を起こしているのではないのです。
親自身が生きづらさを抱えて、精一杯もがき苦しみながら生きてきたような気がする。そうしてその生きづらさが純粋な子供が全て引き受けてくれ、問題を表して「気がついて」という叫びを発信しているだけなんだと。
「毒親」の親は間違いなく「毒親」だ。
そしてそのまた「毒親」の親も「毒親」なんだ。この連鎖をどこかで断ち切らないといけない。
考え方や思考のパターンを変えて、生き方を変えない限り、子供の問題は悪化す一方である。
もし自らが「毒親」だったと自覚するなら、徹底的に治さないといけない。
子供を治すのではなく、自ら完全に治療し「毒親」を卒業するまで頑張ってほしい。
「毒親」を卒業すること、すなわち「生きづらさ」の克服。
「毒親」はきちんと自分に向き合うことができ、トレーニングを受けることで必ず克服でき、そして「毒親」を卒業することができる。
今までの考え方や行動が根本から違っていたということを受け止めるのは大変なことだろう。
「毒親」を卒業できると、生きやすい人生が待っている。
生きづらさを手放し、楽に生きていくことはそれはそれは快適だ。
「毒親」とは、ゴミ屋敷に住んでいるようなものだから。
ゴミ屋敷の住人は、ゴミ屋敷が快適で自分にとってはこの部屋が落ち着くという。なかなかゴミを捨てようとはしない。誰かが「綺麗にしたほうが居心地がいいから、手伝ってあげるよ」と言ってくれたとしても、大きなお世話だと言ってそのままの生活を続けようとするだろう。
しかしゴミの中で生活していくことが快適なはずがない。ゴミのない暮らしが居心地が良くて快適なことを知らないだけなのだ。
「毒親」も同じだ。快適な生き方を知らないだけなのだ。「毒親」とはゴミ屋敷の住人なのだ。どうか心の中の溜まったゴミを捨てて健康になろう。