感謝が全て/感謝できない人は死んだ方がマシ
誰もが知っている事実なのに実践できないのは何故?昔から「感謝が大切だ」ということは耳にタコができるほど聞かされてきたし、今更話題にするまでもないことだ。
しかし、いつも繰り返し痛感することであるが……いろんな人の人生に関わってきて、不幸な人は感謝できることを見つけることが苦手だ。人生に息詰まっている人は、必ずと言っていいほど、感謝が足りない。どれほど自分が恵まれているか全く気が付かず、無いものばかりに目がいきもがき苦しんでいる。更にこちらが「感謝すべきありがたいこと」に気付いてもらいたくてヒントを伝えても「でも」と必ず否定してくる。
逆に、幸せな人は感謝に満ち溢れている。朝目が覚めた時点で感謝がこみ上げてくる。全てがありがたい、感謝しているのだ。
考えてみると、世の中当たり前なことなんて何一つない。息ができていること。歩けていること。ご飯が食べられていること。家があること。大切な人の声が聞こえること。四季があること。目が見えること。大切な人が笑っていること。
こんなにもたくさん感謝なことがあるのに、改めて「感謝」しないと人間はすぐに忘れてしまうのだ。何と愚かな生き物なんだろう。当たり前ではない「出来事」を常に感謝する練習をしないと、人間はつい「当たり前」なことだと勘違いして、更には「もっとこうなったらいいのに」と欲張りになっていく。人間とは厚かましい生き物だ。
不満の多い人は、愚痴と悪口に塗れて「幸せ」や「得」することを探し回っている。そんなのどれだけ探したって無理だよ。だって、自分の足でふん付けて見えてないだけだもの。足で踏みつけている「感謝すべきこと」に気がついてほしい。見つけてほしい。自分の足の下にある大切なものに気が付かず、どれだけ歩き回っても見つかるはずがない。
感謝を知らない人は、どんなに頑張っても幸せにはならない。幸せになどなるはずがない。きっとこの人生だって意味のないものにしてしまうだろう。
それならば生きている価値がない。生きている意味がない。だから死んだ方がマシである。
生きる意味とは、おそらく感謝する為だと思う。全てに感謝できること。
感謝できるようになる為に練習しよう。毎日毎日感謝する練習すべきだ。声に出して、紙に書いて。時間あるかぎり意識して「感謝」の練習しよう。
ちょっと油断したら感謝を忘れてしまうから、忘れないように何度も何度も練習しよう。
ある日、朝目覚めた瞬間に幸せで涙が流れるだろう。明るい太陽の光に、感謝の気持ちでいっぱいになるだろう。自分が愛おしくなるだろう。
生きていて良かったと心の底から感じるだろう。
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