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自己実現と自己犠牲のバランス

「自分の人生にどんな価値を見出すか」
私はどんな価値があってもいいと思っています。

私は自分の人生の価値をどれだけ自己実現できたかで決めています。

人生一度きりなので自分のために生きたい。
自分が死ぬ時、
「あぁ、まあまあいい人生だったな」
って思えたら自己実現できてたんだなと幸せになれる気がするからです。

一般的な人より自分の優先順位がかなり高いと勝手に思っていますが、自分が大好きな人たち以外あまり他人に興味はないし、自分が満足した生活を送れていないなら、なおさら他の人への興味は薄れます。

興味がなさすぎて他人と比べるということもあまりしません。比べるとしたら過去の自分と今の自分を比べることが断然多いです。
たまに、他人と比べて落ち込んでる人とかみますが、比べようという気にあまりならないので、比べて気にして可哀想だなと思ってます(すみません)比べて落ち込むくらいなら、初めから比べないし、その比べてる時間分自分のために時間を使って、自分をブラッシュアップしたいです。

結局自分が1番好きで、自分のために生きたいし、自分のために自分が尽くしてたいし、なんでも自分のためにしたい。ただのわがまま、自己中人間です。

さて、こんな私という人間の基本思考を紹介したところで、本題に入ります、、

自分を1番に優先したい私ですが、その欲望と並立して、他人によく見られたいという欲があります。

自分を優先にして、自分が楽でありたい姿、いわゆる素の姿で過ごしていると、人間としてモテはするものの、女として、恋愛的にモテません。

これが最近の切実すぎる悩みです…。

人間的にモテてると人からその生き方性格ほんとにいいと思うよと、目をキラキラさせて褒めてくれる人とかよくいます。正直すごく嬉しい。
この幸せこそ自分が自分を貫いてきて良かったなと思える瞬間なのでこれをねじまげたくはない。

けど、結局恋愛したい。自分の恋愛対象からモテたい…。そんな欲がフツフツ沸いてきて抑えられなくなりそうになる。この、恋愛的にモテようとして、なりたい自分から少し外れることを自己犠牲と定義しています。

ただここで厄介なのが、自己犠牲も自分の欲であるということ。

自己犠牲が自分を傷つける悪いことなら、スパッとやめることができるのに、自己犠牲をむしろしたいとまで思う。

でも、最近は自己犠牲も自分の正しい欲であるのだから適度に自己犠牲もしていけばいいのではないかと思っています。

そこで、自己犠牲を受け入れることによって問題になってくるのは、自己実現と自己犠牲のバランスです。

このちょうどいいバランスを探せたらなんて楽なんだろうと、、

こういう風に考えるから恋愛観の話になった時に、人生観とのバランスが大事だ!だから私はこういう人生にしたい!こう生きたい!って人生を語りだしてしまいます。めんどくさい奴ですね。

自己実現と自己犠牲のバランスに答えなんかないし、少しずつ生きていく中でバランスを変化させながら、これは違うなって1個ずつしらみつぶししていくしかない気がしています。

それを楽しむことこそ人生。そんな気もします。

大人になりきれなくて、もどかしくて、青い。

長々と読んでいただきありがとうございます。
同じ考えの人がいたら嬉しいな。

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