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可能性を広げる。世界を広げる。

もうすぐ35歳。チェロに出会ったのは約4年前。

保守的な家庭?控えめな家庭?に育った私は、「あなたには出来ないよ」「私が音痴だから、私が不器用だから、あなたにも無理だよ」母からそんな事ばかり言われていたように思う。

それは母が、私が傷つく事から守る為に言った事かもしれない。

次第に私は自信を無くし、挑戦する事から逃げていたように思う。勝負事や人前に出る時でも「どうせ結果は悪いけど」と、どこか逃げ道を作っていた。

友人がピアノを習っている事に憧れて、一緒にピアノ教室に行ってみた。先生や友人から「弾いてみなよ」と言ってもらえても、ピアノに触る事が怖い。失敗して馬鹿にされる事が怖い。

記憶には無いが、当時母から「ピアノ習ってみる?」と言われたらしい。しかし私は裕福でないうちの金銭事情を気にして、また、どうせ出来ないと思ってそのオファーを断っていたようだ。

中、高生と、家庭以外にも友人や教師との社会関係を築き、徐々に「私」という人間を構成してきた。少し自我が目覚める。控えめながらも、「注目されたい」自分が見え隠れする。

ずっと「公務員になって町役場で働きたい」という控えめな控えめな夢しか見ていなかった私の人生の一番の転機は、高校3年生の時修学旅行で初めて乗った飛行機での感情だ。

空港に着き、飛行機乗った時、「何だこのキラキラした世界は」と思った。

そこから私の夢はグランドスタッフになって空港で働く事になった。

でも、まだ私の性格は「どうせ私には、、」。当時空港もののドラマがあったが、叶えられない世界を見せつけられているようで辛く、大好きなはずなのに見れなかった。

しかし大学生になり、私の夢は「グランドスタッフになって空港で働きたい」から、「キャビンアテンダントになって世界を飛び回りたい」に変わる。周囲に話せば話す程、それ以外の夢があり得なくなる。それから何社も何社も受け、何度も何度も失敗し、今は憧れていた職業を生業にしている。

さて、前置きが長くなってしまった。

ここからが本題。

30歳を迎えた私は、色々抱えていた。メンタルが不安定。この負のエネルギーを急上昇させたい。負のエネルギーは、劣等感や、自分が嫌いだという感情からも来ていたと思う。では、自分を好きになる方法は?自分の好きなものって何?

そう考えた時、ふと「チェロ」というイメージが湧いてきた。音楽への憧れ。

最初は、自分の為だけに好きな曲を弾いて、瞑想状態になりたい。そんなイメージだった。優雅に弾きたいと口では言うものの、潜在意識には「どうせ出来ないと思うけど」。幼い頃から構築された性格はなかなかしぶとい。

チェロを続けて1年程経ってもなかなか成長しない。

ちょうど1年経った頃、今の先生に出会う。韓国人だが日本語ペラペラ、9歳でモスクワに渡り世界最高峰の学校を首席で卒業という自分と正反対のスーパーキラキラ先生。もちろん先生のチェロの音色は美しく、切なくストイック。

そんな先生に出会ったものの、一時期先生から逃げていた。「こんなキラキラな人に、対照的な自分を曝け出したく無い。より劣等感を感じるだけだ」そう思い、もっと優しく親しみやすい先生を頼りにしていた。

しかしまた縁があり、キラキラストイック先生に戻る。

先生に習い始めてちょうど3年。先日初めて発表会に挑戦した。弾いた曲はバッハの無伴奏チェロ組曲、1番のプレリュードだ。私が憧れていた曲。この曲を弾きたくて始めたようなもの。正直、弾けるようになるには5年くらいかかると思っていたし、弾けるようになるまで続けるのかも分からなかった。

しかし、一度練習に取り組むと後には引きたくない。毎日毎日練習した。本番では緊張で指が震え、音もずれたが、走り切った。

最初は自分の為だけに始めたチェロも、人に聴いてもらえる事の喜びを知った。

チェロを始めて、関わる人も友人との付き合い方も変わった。

大人になって音楽を始めると、否定的な目で見る人もいる。最初は馬鹿にされ笑われる事もあった。そんな人とは距離を置き、認めて応援してくれる人とばかり付き合うようになった。母も最近までは鼻で笑い馬鹿にしていた。しかし今ではチェロを続ける為に応援し、励ましてくれる。

「無理だ」という潜在意識を無くし「何をやりたいか」にフォーカスする。

「出来ない」という理由はいくらでも出てくるが、結局は行動に移すかどうか。

結果がどうであれ、自分が楽しめるかが大事。

もっと大きな目標を持ちたい。ワクワクして成長したい。人生って楽しい。軽やかに生きたい。

不安に押し潰されそうになった事は何度もあったが、やはり挑戦して良かった。

2020.9.28


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