私たちは橋本環奈になれないし、ならなくたって良い
「生まれ変わったら橋本環奈になりたい」
ある友達が言う。
「こんなブスに生まれてしまったから、来世に期待したい」
そうやってため息混じりに話す地元の友達は、私には十分すぎるほどかわいい見た目に見える。
自己肯定感。
自分を肯定すること、自分を好きになることは難しい。
特に「自分を嫌い」だと小さい頃から思い込んできた人ほど。
大学生の頃、ある授業で偶然にも前述した友達と見た目がそっくりな子に会ったことがある。
その子はすごく明るくて、周りを笑顔にするような子だった。
事実、周りの子たちからかなり可愛がられていた。よく周りからかわいいと言われていたし、本人もそれをわかっているみたいだった。
恋愛も上手くいっているようだった。
その子を見た時に、私はあまりにも自分の友人と見た目が似ていたこと、そして似たような見た目なのに性格が真反対だったので性格でこうも変わるのかと驚いたのだった。
私の地元の友達は、友達も少なめで、私と同い年だけど一度も彼氏が出来たことがない。
側から見れば全くそうは見えないような子だ。
服装も綺麗にしていて、ジル系のファッションが似合う子だ。
可愛いのでたまに男性側から誘いを受けることもある。けど微妙な人だからと誘いを断ったり、アプリをやっても怖いし出会うことすら億劫だからと、会う約束の前にアプリごと消してしまうようなこともあった。
その友達と話す時、よく「世の中は顔面至上主義だから」という話をしていた。
もっと自分が可愛ければよかったのに。
橋本環奈みたいになれたら人生変わっていたんじゃないかな、と。
けど、私は例えその子が橋本環奈になれたとしても、あまり人生は変わらないんじゃないかなと思った。
良い顔面があっても、結局自分自身の行動力がないと道は切り開けない。
「人生自分から行動しなくても誰かが認めてくれるんじゃないか」
「すごく良い完璧な人が突然目の前に現れるんじゃないか」
そうやって思ってる人は意外と多いけど、違う。
橋本環奈ちゃんだって、あの明るさとハッキリとした性格があったからこそ今芸能界の一線で活躍しているのだと思う。
無いものねだりしていても、この世に生まれてきちゃった時点で今ある素材で勝負するしかない。
整形したとしてもそこには限界がある。
他力本願では道は開かないし、いつだって人生の勝者は顔面が良い人ってわけではなくて、自分の意思で行動してきた人なのだ。
そういう私にも自分への外見や内面含めたコンプレックスはある。めちゃくちゃ、ある。
けど、コンプレックスが無い人なんてほぼいないんじゃないかと思う。
それよりも内面で外見をカバーできるくらいの魅力をつけている人は、不思議と外見まで魅力的に見えることを私は知っている。
友達にもそういう話をしてみたら、最近少しずつ自分で行動するようになってきたらしい。
そういう子は行動さえできれば、人生どんどん向上する。だって、足りないのは行動力のみだったから。
人生顔面だけじゃない。
例え橋本環奈にはなれなくたって、私達にはそれぞれの独自の魅力がある。
その魅力を活かすか殺すかは、自分自身の行動が決めるのだ。