「分かってくれる人だけでいい」だなんて、私は信じない
「お前がいちばんまともに育った」一年ほど前に、初めて父と飲みに行った際に言われた一言。私は三人きょうだいのいちばん上で、弟と、妹がいます。父がこのことばを発したとき、私は妙な違和感を覚えました。ああ、そんな風に思っているんだ、とその言葉には喜べませんでした。父は弟と妹と比べて私が社会的に一般的に人付き合いも仕事もある程度難なくこなせる人間に育ったと言いたかったのかもしれません(二人に失礼でしょ)。
しかしこうして気兼ねなく話せる父親との関係にも過去にコンプレックスがありました。私はあの時に戻りたくない。ずっと根底にあったもの。それが、大した出来事ではなかったことを物語るようなその一言に、私は腰が抜けそうになりました。もしかしたらあの頃は父にとっても辛い時期で、よく覚えていないのかもしれません。何かの本で、人は本当に辛い経験をすると忘れてしまう生き物だと書いてあったのを思い出し、それもとりわけ事実なのかもしれないと複雑な気持ちになったのを覚えています。私はその経験から「人に頼れない」人間になってしまいました。人に頼れないといっても、特に責任感が強いわけでも身の回りのことをすべて自分でできるようになったというわけでもなく、困ったときに「どうしよう」と言えない意味での「人に頼れない」でした。これが後々ヤバいことなんだと痛感します。どの家庭にも何かしらの問題がある。私は友人の家庭環境や周囲の大人たちを見てきて、家庭内に居心地の悪さを抱えているのは自分だけではないと思っていました。ごはんを食べさせてもらって学校に通わせてもらっているだけでも十分恵まれている、今考えると発展途上国の裕福層のような価値観に囚われていて、何を基準に決められていた”幸せ”なのか、もっと「なんで?」をぶつけてもよかったんだと感じます。人に頼れないがゆえに「悟り」が得意になってしまった私は、自分のことは自分で決められるため人に心配されず、自ら頼る機会を失います。(つら。)反抗期を経て高校生になると、養ってもらってるんだから何も生意気なことはいえない、嫌なら自分が自立するしかないという思いでいっぱいでした。たくさんぶつかったけど、お互いに人間なんだからと言い聞かせ向き合いきれず、仕方のないものだと悟ってしまっていました。その上、大学に進学してから出会う社会人の方々の中にも育った環境や過去のトラウマを言い訳にする方もいて、どこかで「こうはなっちゃいけない」と自分に言い聞かせてたんだと思います。いい大人になってまで家庭環境を引きずってはいけないと。しかし、自分の根底にあるものはやはり家庭や家族との関係性だったため、大学では社会学部に進学しました。より人と出会う幅が増えても学んだことで色々と冷静に判断できてきましたが、過去をひきづっている大人の姿をみても痛い思いもわからなくないし、むしろ年齢を重ねるごとにその傷が深く膿んでしまう様子がひしひしと伝わりました。私自身も大人になるにつれ、家庭による過去のバックグラウンドを話すのは子どもじみていると自閉していましたが、人間関係や就活を通し、どうあがいても向き合わないといけない事象だと感じました。「仕方ないもの」「親も人だから」で解決できることではなく、自分自身と過去を照らし合わせなければなりませんでした。人は家庭で自己を学び、学校や社会で他者を学びます。性格形成の基盤は3歳ほどで決められるといわれていますが、その後生まれてくるきょうだい関係や学校環境も交わり7~9歳くらいまでに決まるとみています。その時期にどれだけ愛情を受け取るか、自分の意見や感情を表現できるか、またそれを肯定される環境が整っているかがとっても重要なんです。自分の過去を話すことは弱さをみせるようで恥ずかしいものだという方もいるかもしれませんが、この幼少期の経験が20代~30代になっても根底にあるものだとしたら怖くないですか?この事象をスルーしたまま大人になることは、昇華できなかった感情を放置したまま大人になるということです。今後、自分がもし親になるとき、子どもを一人間として尊重できる「おとな」になれているといえるでしょうか。だからこそ、10代後半~20代前半のうちに自分の育った環境と自己を形成している要素(経験)と向き合わなければならないと私は思います。自分と向き合わずにして人を幸せにするのはどれほど難しいことか、目の当たりにしてみてきましたから。そのために私は、今、過去の経験とその分析を発信します。いつまでも昇華できない大人にならないためにじぶんで昇華させます。また、「人を頼れない」人間は本当に問題だらけでした。一見自立してるように見えてかなり未熟で、ダサい。それでも人を頼らず自分で意思決定できる人って「人の手を借りなくても生きていけそう」と思われるんですよね。女として辛すぎません?男性も女性も関係ないと思いますが、人に甘えたりお願いできる女の子がとっても羨ましかった。妹や周りの女の子をみていても、一定の年齢まで「こうはなっちゃだめだ」が自分を支配し、さらにそれが自ら機会を損失させていたことに気づき、ぜんぜんだめやん!「人に頼れない」人は、自己表現に欠けます。また、これはきょうだい構成において第一子がなりうるものとは限りません。他の外的要因による場合もありますし、親ではなく上のきょうだいが下の子に圧をかけた場合もあります(まあそれも親が原因なんですけどね)。自己表現が下手な人の難点は、「伝えたいことが伝わりきらないこと」です。自分ではたくさん考えて、譲れないものがあって、誰かに共感してほしいのに、それをやってこなかったから、そのやり方を教えられなかったから、本当に伝えたいときに伝えられないもどかしさと勘違いされることに葛藤します。そしてなぜ今になって自覚できているかというのは、今一緒にいる人たちのお陰だといえます。過去を否定せず今を応援してくれるコミュニティで、じぶんと向き合い受け入れ合うことで、今までの自己分析が「言い聞かせ」だったことに気づいた場所でした。そのコミュニティの想いや達成したいビジョンについてはまた後日書きますね。また、この過去と向き合い方や自己理解、自己肯定、そして自己表現までのフェーズをこれからは発信していきたいと思います。「分かってもらえる人だけでいい」なんていいません、伝えるのは下手だけど、今は人に聞いて、取り込んで、形にすることをしていこうと思います。私は分かり合えない人は基本的にいないと思っていますし、向き合えれば受け入れられればいい、それだけのことだと思っています。分かられずに「それ価値あるの?」と言われ悔しい思いもたくさんしましたし、今でも分かられないことの方が多いです。でもそれは生きてきた世界がちがうという解釈のほかに「伝わり方」の違いがそうさせてるんだなと思います。世界各国で多様な言語と表現が存在するのと同じで、その人たちにはその人たちなりの「知り方」があります。あとは、向き合うか目を背けるか、それだけ。今は分かられないかもしれないけど、何の船にも乗っておらず何の肩書も持ち得ていない私でも、伝えられる限り伝えつづけます。なんでこんな性格に育ってしまったんだろうと思うこともあるけど、私には幸せにしたい人がたくさんいるし、いるからやらないといけない、うそやりたいだけ、それだけです 人に頼れないとかほざく私は、ずっとずっと周りのひとに代弁され生かされていました。今でもそんなことばかりだけど、もっと相互に「生かし合う」人たちと幸せになりたいです。じぶんのためにも、これからのためにも、表現していきます。