イタリア旅行①

ご無沙汰しております。私は今ハイデルベルクに留学に来ていて、3月は一カ月ドイツ語のクラスを受けながら春休みを過ごしました。イースター休みに急遽イタリアに行ってきたので、今回はその思い出を徒然なるままに書き綴ろうと思います。

バディと出会って1週間くらいでイタリア行きを決めた

今回同行したのはバディプログラムで出会った私のバディ。彼は年下だが4か国語をほぼ完ぺきに話すことができる。最初にもらったメールに「今デュッセルドルフにいるからよかったら来て」的なことが書かれていて、到着直後だった私は「は!?3時間くらいかかるし色々やることがあるのに、行けるわけなくない!?」と思いっきり怪しんでしまった。
でも実際に会ってみるととても優しくて、私のことをすごく気にかけてくれて面倒見もよく(年下だけど私がお世話される側である)、主に彼のお陰ですぐに仲良くなった。

ドイツ語のクラスが終わってからセメスターが始まるまでの半月間、本当はクラスメイトと旅行しようと考えていた。しかし仲良くなった日本人の友達は別の友達と予定があったし、他のヨーロッパから来た留学生たちは帰国する人が多く、仲間を見つけられずにいた。

そんな時バディと話していたら、彼はイタリアに旅行したいけれど同行者がいなくて困っているということが分かった。私はとっさに「一緒に行く!?」と言いながら身を乗り出した。誰でもいいから一緒に旅行したいというのが本心だった。当時私は失恋したてで、つまり言い換えれば誰とどう旅行しようが自由という身になっていたのもある。こうしてこの会話始まって3秒で私のイースター休みの計画が決まった。

そうと決まってからは、とにかく時間がなかった。この時すでに予定日の2週間前。週末に一日かけてホテルや移動手段を調べて予約し、細かい予定に関しても毎日調べながらチケットを取る日々。直前なので安い飛行機を取ることなどに苦労した。EU内の旅行ということで手続きが簡単なのもあって、ひたすらに楽しみだった。飛行機は荷物が多いともう一人分くらいの値段がかかるので、リュックサック一つで一週間の旅行を乗り切ることに決めた。

計画はこうだった。
4月3日、デュッセルドルフに移動して彼の実家に泊めてもらう。翌日は日本食を楽しんで、18時の便でデュッセルドルフの空港からイタリアのペスカーラに飛ぶ。20時にペスカーラに着いたら、夜行電車でベネチアまで移動。途中ボローニャで1時間半ほど、真夜中の乗り換えのために屋外で待つ覚悟だった。本当はペスカーラからベネチアまではバスの予定だったのに、それが運休になってしまったのだ。この運休の知らせにはかなり不服だったが、それでも一番安い方法だった。

そして3日、15時頃に集合して電車でデュッセルドルフへ。ドイツの電車は頻繁に遅れるのだが(そしてその度に「ドイツへようこそ!」とドイツ人は言う)、この日はそこまで遅延せず順調に走った。途中ケルンを通過すると知り私は大興奮。ケルン大聖堂を見ることが、私のドイツ留学の最大の目標だったからだ。まさかこんな形でお目にかかるとは!私は18時半頃にケルンに着くことを調べ、寝過ごさないようにアラームまでセットした。
途中はのどかな田舎の景色が多く、たまに見えるお城と自然を車窓から楽しんだ。そして18時半、少しでも長くお目当てを見たい私にとって、問題は左右どちらの窓からケルン大聖堂が見えるのかだった。大聖堂をはさんで両方面に線路があり、直前までどちらを通るのか分からなかった上に、私たちは進行方向と逆向きに座っていた。だからとても難しく、あっちだこっちだと大騒ぎした後、ついに見つけた大きな塔。その時私は満面の笑みだったという。
ケルン駅には3分ほど停車しており、停車中の電車からも大聖堂を拝むことができた。私達はわざわざ見やすい場所に席を移動し、その迫力に圧倒されていた。ちょうど日が傾いていてケルン大聖堂を照らし、その姿はまさに荘厳だった。電車が発車し、美しい聖堂は遠ざかっていった。また、あなただけのためにここに来ます。

その後約1時間でデュッセルドルフに到着。日本人街は、日本の中華街と違って街並みは日本らしくなく、ビルの1階に日本食のお店が並んでいると言った感じ。ラーメン、寿司、お好み焼きなどがあった。私はラーメンが食べたかったので列に並んだ。メニューに焼きそばもあってかなり揺らいだが、固い意志で醤油ラーメンを注文、チャーマヨ丼をシェアすることにした。お客さんはドイツ人が多かったけれど店の奥では日本語が使われていて、なんとなく新鮮な気持ちになった。肝心のラーメンは醤油ラーメンの色ではなかったし、味も醤油か…?という感じだったけれど、美味しかったのでなんでもいい。何と言っても、日本のラーメン屋と違って食べ終わっても少しゆっくりできる雰囲気が私は気に入った。

バディの実家に着弾。でっかいモフ犬が出迎えてくれた。緊張してあまりご両親とは喋れなかったが、とにかく彼の部屋に通してもらって猫様と戯れた。彼は両親とは中国語で、妹とはドイツ語で話していてすげえ、となった。1本映画を観て、寝ようと思ったらシャワーが部屋に隣接していてびっくり!そうだった、一人に一つのシャワーとトイレなんだっけ。家の大きさとそのシステムの便利さに感心しつつ、翌日に備えてさっさと寝た。
朝は猫様が私の上とか枕もととかを散歩する振動で起きて、いい朝だった。

すごくゆっくり起きて、街に出て肉まんとちまきを買って公園で食べた。両方もちもちでおいしかった!お腹の余裕があったら日本の食べ物も買い足そうと思っていたけれど、かなりお腹がいっぱいになった。どこをどう歩いたのかよく分からないが、とにかく彼に付き従う形で川沿いや旧市街を歩いたり、ショッピングしたりして満喫した。日本語の書かれたTシャツを見つけて、その言葉たちがあまりにも意味不明で面白かった。

彼のお母さんが空港まで送ってくれるというので一度家に帰ったのだが、そこからが悪夢の始まりだった。まずトラムが途中のトラブルで運休していた。別のトラムとバスで帰ることになり時間がかかった。この時点で時間があまりなかった。さらに私たちが時間があったら食べようと思って買ったイチゴを、時間がないのに食べることになり、お母さんはみかんまで用意してくれた。急いで食べたけどとても美味しかった。ただ彼がなぜか食べないのでなかなか減らず、私は欲張りみたいに映っていたかもしれない。時間が迫ってから出発すると、道路が帰宅ラッシュなのか激混みで、デュッセルドルフ国際空港に着いたのは17時、最終搭乗の30分前!急げ!と思って案内板を確認すると、
私達の便はないのである。

…??なんで?

違うターミナルかもしれない、と彼は言うが、ここは確かに第一ターミナル(というか、このへんは彼らに任せることにしていた)のはず。インフォメーションの人に聞いたほうがいい、ということで急いでカウンターに行くと、なんか信じられない単語が聞こえた。
80㎞??

どうやら、私たちの乗る飛行機が出発する空港はここデュッセルドルフ国際空港ではなく、80km離れた小さな空港だった(北海道で言う丘珠空港!)!!
どう考えてもそこまで飛行機で飛ばない限り、最終搭乗時刻には間に合うはずがない。無理だ。その瞬間は絶望だった。
ごめんなさいと謝るバディ。私も彼に任せっきりにしていたので申し訳なかった。
ただ、うじうじもしていられない。ここからは頭をフル回転。再びお母さんを呼んでもらい、その間になんとかその小さな空港に行く方法がないか調べてみた。無理。
今からここで飛行機を取ったら、300€くらいする。無理だ。
じゃあ、バスは?ヨーロッパにはフリックスバスという長距離バスがあり、様々な都市を結んでいる。調べてみると、50分後にデュッセルドルフ中央駅からヴェネチア行きのフリックスバスがあった!というかそれしかない!!!中央駅までは車で20分ほど。予約するしかない!!!

ということで今度は中央駅まで送ってもらい、15時間バスに乗る覚悟を決めた。それが嫌だから飛行機を取ったのに。
日本の夜行バスと違って途中休憩がないので、急いでファストフード店でバーガーを買って夜ご飯を用意した。時刻は17時40分。スーパーでもう少し健康にいいものを買いたいという彼を「これ逃したらどうなるか分かってる!?」と半ばヒステリックに拒否し(というかトイレ借りたんだからここで買ってあげなさいと思っていた)、出発予定時刻10分前にバス停にスタンバイすることができた。
この10分くらいで3台ほどのフリックスバスが各都市に出発し、どのバスがベネチア行きなのかで混乱したが、その過程で他の乗客とも仲良くなったり、違うバスの人を見送ったりした。最終的に5分ほど遅れてきた私たちのバスには、パスポートを見せるだけで簡単に乗れた。思っていたよりも車内は快適で、充電もできたしシートも倒せる。本当はご飯を食べるのはあまりよくないようだが、15時間何も食べないわけにはいかないのでこっそり食べる。トイレはバスの中にあり、本当に休憩で外に出る時間はない。飛行機のためにパッキングしていたのでバスで荷物を引っ張り出すのは大変だったが、ごく簡単に寝る準備をして就寝。日本でオタクをやっていたので夜行バスに慣れていて良かった。

途中オーストリアとの国境でパスポートを見せるように言われた。時刻は午前2時。オーストリアには停車しないのに見せるんだ、と思ったが、さすが日本のパスポートは強くて、見せるだけでよかった。他の乗客でいくらかお金を払わないと入国できないと言われた人がいてかわいそうだった。眠かったので理由は知らない。

次に目が覚めるとイタリアにいた。パスポート見せてないのに。入国基準がよく分からないが、とにかく入国できた、飛行機を12時間ほど前に逃した私達もイタリアにたどり着けたのである。奇跡だった。ただオーストリア入国の件でかなりの時間そこに留まったため、ベネチアには予定より2時間ほど遅れて到着した。まあそんなことはいいのである、とにかく無事にホステルに荷物を預けて、水の都を楽しむ用意が整ったのだから。


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