何者にもなれなくとも
最近、友達から羨ましがられることが多い。
ちゃんと自分のやりたいことを定職にしているのが、大きな理由だと言われる。
周りの人は思うように進路が決まらなかったり、途中で辞めてしまっていた。一人は国家試験を受けたけど、受からなかったので再受験すると言っていた。一人は学校の先生をしていたが、業務量に耐えられなかったので辞めてしまい、実家に帰ってしまった。一人は留年して就活をしているが、内定がまだもらえずにいる。
進路が決まらない不安はよくわかる。
自分も去年までは公務員試験を受けていて、一つも受からなかったらどうやってこの先生きていけばいいのだろうと毎日考えていた。今思えば当時の自分は思い詰め過ぎだと思うけど…
テレビやニュースを見ていると、渋谷でハロウィンを楽しんだり、行楽地に訪れる学生グループがいたり、日本の若者は人生を謳歌しているように映るが、そうでない人たちもやっぱりいて、薄氷を踏むような思いをしている人はけっこう多い気がする。
大学のゼミの人たちも、去年の12月の時点で進路の決まっていない人が半数弱いたので(4~5人くらい)、厚労省が発表している学生の就職率90%は本当なのかと疑ってしまう。
そういう周りの人たちのことを思うと、自分はけっこう恵まれているのだとしみじみ思う。周りの人たちも、僕が前から進路について努力していたのは知ってくれていて、「ちゃんとやっていて偉い」だとか「あの頃はよく頑張っていたよね」と声をかけてもらうこともある。
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少しずつ仕事にも慣れてきて、自分のできることが増えて、今は少し落ち着き始めている。まだまだヘトヘトな毎日を送っているけど、薬科生の友達から「すぐに覚えてしまえる仕事より、毎日いろんなことが起きて刺激的なほうが、仕事としては充実しているよ」と言われたのを思い出し、忙しいことは有難いことなのだとしみじみ思うよ。
いろんな仕事がある中で、自分がこれをやりたいと思ったり、これなら続けていけそうと思えるような仕事に、どれだけの人が就けているのだろうか。やっぱり多くの人は生活のためやお金のためにと、歯を食いしばっている人も多いと思う。
そんな中で今の仕事ができるというのは、案外幸せなことなのだろう。
まだまだ落ち込みがちな日々を送っているけど、ちゃんと休息を取りながらこれからも自分にできることを、コツコツとやっていきたい。
何者にもなれなくとも、命を取られるわけではない。
じっくりやっていけばいずれどこかにはたどり着く。今が大変な人たちも、腐らずにやっていけばなるようになる。
長野旅のおすそわけ
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