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火星はもうすぐ死ぬ

 「この中学校に合格しないと将来水商売で働かなきゃいけなくなるよ!」「部活に入らないと将来水商売で働かなきゃいけなくなるよ!」「保健室に行かずに毎日学校に通わなきゃ将来水商売で働かなきゃいけなくなるよ!」・・・等々。「〇〇できないと将来水商売で稼がなきゃいけなくなるよ」が母親の口癖だった。母親がまるで「悪ことをすると妖怪に食べられちゃうよ」のような言い方をするもんだから、私は無意味にそれが怖く恐ろしいことなのだと思っていた。実際、母親はそう思わせる目的でそう言ったのだろう。しかし、まともな家族のもとでまともに育って有名大学を卒業し安定した職に就いている両親の元に生まれた私は、幸いにも両親のようにちゃんとできそうにないから、母親にとっては得体のしれなかった世界に行けるのかもしれない。

 でも、母親だけじゃない。容姿で恋愛の相手を判断するのを悪いという風潮や、会社やバイトの面接で水面下の顔面審査があることを批判する風潮がある一方で、それでも恋愛や就職はやはり美人の方が有利であるという現実。私は女として生まれ、確かに女としての体と心を持っているのにも関わらず、それを露出したり着飾ることが「色気付いている」と抑圧される現実。そしてそれを隠そうが隠すまいがこの世の様々な人から性的対象として見られる現実。自分の身体のえっちなところが好きなのに、それを晒している様がかわいそうなことだと思われ、「もっと自分の体大事にした方がいいよ」と言われる現実。私は自分の身体をお前らなんかよりずっとずっと大事にしてるよ、自虐でも自傷でもなんでもない。ただ生きているだけなんだ、
 私はずっとずっと、生まれ持った身体と、他者や社会が示す私の身体、自分が自分に対して持つ身体がバラバラすぎて、自分の身体が自分のものだと思えたことがなかった。

 そして、2019年の暮れから、個人団体どちらもで、さまざまなイベントに出演させていただいたり、イベントを主催させてもらったりしていた。その中で、それ以外でも、私は何度も様々な人にいろんな文脈で「かわいい」という言葉をもらった。しかし私はその「かわいい」や、それに類似する言葉たちを良い意味で受け取れたことがなかった。「かわいい」と言われることが苦手ですらあった。私が「かわいい」なのはその通りだと思う。でも、人から受ける「かわいい」を、私はどうしても認められなくて、イベントで「かわいい」と言われるたびに、ああ、私はかわいいだけでしかないんだ、と絶望していた。実際、そうなんだと思う。去年の夏に参加したイベントで、たまたまお客さんとしてきていた好きな女優さんからの「あなたは本当にかわいい」という言葉で、「かわいい」で覆い隠されてしまっていた自分の魂の弱さや思いの貧弱さを、良い悪いではなく、受け入れることができた。そして素直に悔しかった。ただただ、悔しかった、。
 私は容姿や仕草の「かわいい」ではなく、いや、その「かわいい」は前提で、その上で私が私として、魂の形や思いの強さで、愛する人たちと戦いたいのだ。

 「火星はもうすぐ死ぬ」は、その最初の戦いです。私が確実に生まれ持ったこの肉体で、幼女性を、刹那を、「かわいい」を、呪いを、弱さを、本当に私のものにする。そしてそれを武器にする。私はこの肉体から逃げない、という決意表明。そして私がその身体で戦うということを、社会に、大好きな人に叫ぶ。そういう作品です。
 カメラをお願いしたすくなめちゃんも、すくなめちゃんの写真に映る私が最も私の理想の私で、そして正しい私だと思ったから、お願いしました。そしたらすくなめちゃんは私と写真と肉体ととても真摯に向き合ってくれて、最高のバトルができた。とても、とても感謝しています。ありがとう。
 結果、この作品を見て言われる「かわいい」やその他の様々な言葉は驚くほど素直に受け入れられます。この肉体を持つ自分を信じられたから、自分以外の人という意味での他者からの言葉も信じられるようになったのかもしれません。
 だから、私はこれをグラビアだとか写真集だとか書いたけど、それは私が私として戦うためのステージが一般的にそうであるだけで、私はグラドルになりたいわけでも被写体として生きていきたいわけでもない。でももし将来その時のバトルにまた必要になったら、私はグラビアをやったり、被写体になったりするかもしれません。

 先日、好きなアーティストの方と話したときに、「ソープもキャバもアイドルもAV女優もストリッパーも芸術家も水商売だと言えると思う」と言われたことがとても救いでした。彼は人気商売で、という意味でそう言ったけど、私は身体を使って生きているという意味で同じことを思います。でも、本当は正直、水商売だとかアイドルだとかグラビアだとかどうでもいい。私は、自分の肉体を、武器を最大限に使って生きていきたい。この記事で散々書いた私の「かわいい」もまだまだ弱小だ。「かわいい」をもっと強大に、弱さにもっと自覚的に、肉体をもっと自由に、世界をもっと広く。

 私はただのかわいい女の子です。でも、もっともっと強くなります。もっともっとおもしろくなれる絶望だらけのこの世界で、どうか私と一緒に生きていきましょう。

写真集の購入ページです。残り少数ですがぜひ。ヒリヒリするような生を感じてください。


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