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マスモリ的コミュニケーション論

noteを始めて改めて思った事。僕にとって今日に繋がるコミュニケーションの基盤となっているのは90年代から関わってきたハードコアシーンに依る部分がやはり大きいなと。

それは勿論仕事にも活かせましたし、今ハマってる自転車や森林ボランティア活動にも繋がっています。
僕にとっては音楽も映画もファッションも自転車も洋服も森も全て地続き。ずーっと繋がってるんです。

やってる事は変わっても方法論は一緒なんですよね。

コミュニケーションの基盤となるもの。それは興味だと僕は思います。相手にどれだけ興味を持つか、です。

それから知ろうとする事。その人がどんな事を考えどんな事をしているのか。何故それをしたいと思ったのか。これから何をしようとしてるのか。

そしてもうひとつ大切なこと。それは自分自身が一体何が好きで何に興味を持っているのか。己を知る、つまり自己分析ですね。

これを是非じっくりと考えていただきたいなと思います。

他人と上手くコミュニケーションを取れない方々の話を聞いていると自分には興味を惹かれるものがない、趣味がない、特別好きなものがない、といった事を話されているように思います。

勿論中には本当に何に対しても全く興味がない、趣味がないという人も居るかも知れませんが、人間というのは成長する段階で必ず外部から影響を受けているものだと僕は考えます。

小さい頃どんな遊びが好きだったか、どんな友達と遊んでいたか、どんなテレビ番組や映画を観てどんな本が好きだったか。
どんな些細な事でも構いません。それを少しずつでも見つけ出し紐解いて下さい。
そうすると意外と忘れていた、自分の中に隠れていた興味のカケラ、核みたいなものに出会う瞬間があります。

ただその瞬間をキャッチする、感じ取るアンテナの感度を高める作業は必要となります。

じゃあどうすればいいか。それは自分自身に関心を持ち続けること。そうして注意深く自身を観察し続けていくと「あ、自分はこういうの好きだったな」って思う瞬間が必ず訪れるはずです。

あとはその興味があること(モノ)、好きなこと(モノ)を心の引き出しに入れて整理する作業も大切。そしていつでも取り出せるようにしておくこと。これを整理しておくと自分の中の興味に対する理解度が深まると思います。

よく引き出しが多いという表現がありますよね。これは僕自身の考えですが、引き出しを持つ時に大切なことは「如何に多くの引き出しを持つか」ではなく、「持っている引き出しに何が入っているか」だと思っています。

つまりは知識としての引き出しを沢山持つより数は少なくても興味の引き出しを持ちましょうということ。

勿論知識を沢山得ることは決して悪いことではないのですが、知識を得る行為自体が目的化してしまうとあまり意味が無いように思います。
そういった自己満足の世界はヴァイナル・ジャンキー(レコードコレクター)のカラー盤違いやジャケ違いを集める行為に近いかなと 笑(この辺は改めて別の機会にでも)。

ちなみに僕はマウンテンバイクが好きなんですけど、遊びのフィールドとなる自然や森も当然好き。それが高じて森林ボランティア活動を始めたくらいです(笑)
じゃあその興味って一体どこから来たのか、一度深く掘り下げてみたんです。

僕の実家には小さいながらも庭があって、真ん中に大きなオンコの木が生えてます。それと僕の住む街には白樺の木が多く生えていて、そうしたオンコや白樺の木の皮、匂いが堪らなく好きでした。

何故好きか、と言われると単純に樹皮のゴツゴツしたりザラザラしたテクスチャーが好きでした。朽ち果てて苔生した水楢を何時間も観察したり針葉樹のヤニをベタベタと手につけて匂いを嗅いだりするのも大好き。これが原体験だったと思います。

その流れで小学生時代に流行っていた鉄道模型やガンプラのジオラマ作りに欠かせないコルク、樹木の模型が堪らなく好きだった事も思い出しました(ガンプラも宇宙戦よりジャブローのジオラマが好きだったし、鉄道模型も都会より田舎の風景の方が好きだった)。

更には恐竜好きから派生して化石採集にハマり、化石からカッコ良い(と、自分が思う)石を集めていたこともあります。

そこから現在のファッションに対するデニムやオイルドコットン(Barbourとか)にレザー、家具の木と鉄のアンサンブルや街中で見かける錆びて朽ちたトタン、古ぼけた煉瓦壁への興味(というか一種のフェティシズムとも言える執着)へと繋がっていったのではと考えてます。

つまりは自分の好きの大元を知ることにより、今まで漠然と好きだった事・モノを数珠繋ぎにし関連付けて考える。
それを続けていくと自分の中である程度好きと思える事・モノの法則というかセオリーが見えてくると思います。

これらが所謂ベースレイヤーとなり、更に繋がりそうなものを常日頃からアンテナを張って探していきます。

このアンテナを張る、という行為。単に新しいものや珍しいものをキャッチすることではありません。

例えば。ファーストインプレッションで目に留まった情報があるとします。そこから何故自分がその情報に惹かれたのかを分析します。
その時に役立つのが先ほどの引き出し。要は引き出しに入っているものとの共通点を自ら探る訳です。
この経験を積むことによって自分の興味の精度を上げていきます。

ある程度精度が上がってくるといちいち引き出しを開けなくても分かるようになります。
そうするとたまに他人からすると突拍子もない、脈絡のないもの同士が結びつくことがあって面白いんですよ。それが所謂個性のひとつになるんだと思います。

他人を知るためにはまず己を知る。コミュニケーションが苦手な方はまず自分自身とじっくり向き合ってみませんか。そして相手に興味を持ち、知ろうとして下さい。

これを書いている今、皆さんご承知のように対面的なコミュニケーションを取りたくても取れない状況に陥っています。それも世界中で。

誰がこんな時代が訪れると想像したでしょうか。もしデジタルネットワークがこんなに発達していない時代、僕らが手紙でやり取りしていたあの時代に未曾有のウイルス・パンデミックか起こったら果たしてどうなっていただろう。

そう考えると今のように直接相手と会わずとも瞬時にコミュニケーションが取れる事自体がとても素晴らしいことだなと感じています。

そして会いたくてもなかなか会えない今だからこそ、今出来る方法でのコミュニケーションを大切にしたいなと改めて思います。

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